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書評『ふたたびの春にー震災ノート 20110311ー20120311』(和合亮一)

『整列』

並ぶ  水の為に
並ぶ  家族の為に
並ぶ  震災の意味を求めて
並ぶ  命の渇きを知って

並ぶ  給水車の前に
並ぶ  水が今日の分だけでも欲しいから
並ぶ  空(から)の容器を二つまでという決まり
並ぶ  なるべく大きなものを持って

並ぶ  雪ふる中で
並ぶ  冷たい水を受け取りに
並ぶ  親と子ども
並ぶ  これまでの歴史とこれからの未来

並ぶ  人類と人類の影
並ぶ  風と空の星
並ぶ  一番後ろから私は生まれて来た
並ぶ  一番前へといつかは進む

(和合亮一『ふたたびの春に』より)─────────────

名前を持たない人びとに、救われたことがある。

彼らは作業着や動きやすい格好に身をつつみ、住めなくなった家の前で、ひとり途方に暮れている見ず知らずの私に手を差し伸べてくれた。彼らは、ボランティアと呼ばれる人々だった。

名前を知ることができたのは、必要なやり取りのために連絡先を交わしたNPOの代表の方をはじめ、ごく数名のみだ。それ以外の人達は名前すら知らないままに、名乗ることすらなく黙々と懸命に働いた。よく晴れた汗ばむほどの陽気もあれば、カイロが必要なほどに凍てつく雨の日もあった。

彼らは今、どこにいるのだろう。このコロナ禍の中で、苦しい思いをしていないことを、ただ願う。

私は、東日本大震災の当事者であっても被災者ではない。そのため震災について語れる立場でないが、2019年にある奇禍に見舞われ、家や家財を失うという経験をしている。それもまた、この一冊を手に取るきっかけのひとつとなった。

現在は一時的な住まいで生活しているが、今年の冬までにはこの部屋を出なければならない。かつての家のあった場所の土地をどうすればいいのか、非正規雇用という経済的に不安定な立場で、今後住む部屋を見つけられるのか。つねに、不安がそこにある毎日だ。現在はうつ病となり、心療内科に通院している。

地震や津波にさまざまなものを奪われた人びとのことに、より思いをはせるようになったのは、自らが思いもよらない出来事に遭遇してからだ。もちろん私自身にとっても当時の記憶はそこにあり、生活も一変した。だが、被災された人々とではまるで比較にならない。時間と共に襲ってくるさまざまな感情や、さらに生活する上での苦労を思うたびに頭が下がる。

この『ふたたびの春に』は、福島在住の詩人・和合亮一さんが東日本大震災で被災された当時、Twitterを通して発信された詩などをまとめたものだ。Twitterでの発信は、3月16日から3月間。そこに投稿された魂の叫びが、2021年2月に祥伝社黄金文庫より刊行された。

私がTwitterを始めたのは、2011年3月、東日本大震災の後からだ。当時は都内にある書店まで通勤していたのだが、唯一の鉄道がなかなか運転が再開せず、ホームページもなかなか更新されず、駅まで行って「電車が動かない」ということもしばしばだった。

Twitterの情報が一番早いと知り、鉄道の状況や震災に関する情報を知るためにアカウントを作成した。当時も和合亮一さんのお名前は目にしていたものの、その言葉をきちんと追うことができずにいた。

今回、現在の勤め先の書店で文庫の新刊を並べようと手に取った際に、そのお名前を目にして、「あの時の」と記憶がよみがえった。あの時、取りこぼしてしまった言葉の欠片を掬い取りたい。そう思い、この1冊を手に取った。

文庫化にあたり加筆された前書きに、こんなくだりがある。

相馬市からほど近い町の海辺では、波にさらわれた方の捜索や救助が行われていた。当初は200名近くもいた町の消防団は、原発が爆発した直後に家族と共に避難していったため、消防団長・長澤初男さんと、わずか10数名足らずの消防団員でそれを行っていた。

浜辺に打ち上げられたご遺体を安置場に運ぼうとしている折に、大きな水たまりに漬かったまま、横たわっている女性を発見したという。そのときのエピソードだ。

“目の前の遺体の回収作業をしていると、とても小さく「助けて」という呟きが聞こえた。耳を疑ったが、か細くだがさらに声がした。

近寄ってみると息をしているのがわかった。すぐに病院へと担架に載せて搬送して手当てをしてもらった。二週間ほどですっかりと元気になられたそうである。

長澤さんは運んでいるときにこう感じたのだった。

「命はそう簡単には消えない」

このフレーズをインタビュー中に耳にした時、言葉に明かりを感じた。”

この言葉に出会った瞬間、何かがこみ上げてきて頬をぬらしていた。女性の命が繋がった奇跡に感謝し、それと同時に、この言葉が生きてここにある私の胸の内を確かに灯してくれた。

この1冊には、さまざまな言葉が刻まれている。

避難所の夜、死者の数が1時間ごとに増えていく恐怖。地震のあとで、皿が割れて破片だらけとなったキッチン。家族のために、給水車に並び水を求める日々。友人からの、度重なる心配の声。

「生きるしかないのだ」と、強く自分に言い聞かせる『声を立てず』(P42)、「私たちは  それでも立ち尽くす木なのだ」と語る『苦難』(P79)。

ここに刻まれた言葉の1つ1つが、浜辺に伸びた波の跡のように静かにこちらの心をさらっていく。まるで、夜の海に佇んでいるようだ。

特に印象に残ったのは、『震災ノート  余白』の部分に書かれた出来事だ。

“ある人が原子力発電所から、20キ内の自宅へと2時間だけの一時帰宅を許された。久しぶりの家に戻り、何を持ってきたのか。

まったく手をつけずに、自宅を後にしてきた。どうしたのかと尋ねられて、「ただ、茶の間で泣いてきた」と一言。それを隣で聞いていた方は、こう話した。

「泣きに帰ったと思えばいいじゃないですか」”

このくだりに出会ったとき、場所もはばからず泣いた。仕事の休憩中に読んでいたのだが、嗚咽がこみ上げてくるのを必死でこらえた。ある日の出来事を、思い出していた。

奇禍に見舞われて、1ヶ月ほど経った頃のことだ。

いつものように電車で1時間弱かけて実家にたどり着くと、そこには誰の姿もなかった。その日は、ボランティアをお願いしているはずだった。不思議に思い問い合わせると、参加する人手が次第に少なくなり、その日はより被害の酷い地域に向かったという。

それまでの疲労と連日の寝不足、思ってもみなかった出来事にショックを受け止めきれず、そのまま庭に崩れ落ちた。仕方ないことだと言い聞かせてみても、どうにもならなかった。

当時のことを、少しだけ書かせてほしい。

高齢で持病のある母に負担を与えるわけには行かず、様変わりした実家の様子は決して母には見せないようにしていた。その代わり私は連日実家に通い、信じがたい光景を幾度となく目にした。当時の状況を撮影したものは、今でもすべてスマホの中に収められている。

やるべきことは山積みで、それをどう進めればいいのかわからなかった。父はとうに亡くなり、母と二人きりで暮らしていた。目上の親族などに相談できればまだ違ったのだろうが、あいにくそんな相手もいなかった。

連日ネットや電話でさまざまなこと調べては問い合わせ、実家のことを進めながら、生活のことがあるため、しばらくすると仕事にも復帰した。さらに、実家には戻れないのだから、新たに住む場所を見つけなければならなかった。当然、それに伴い生活に必要なものも買い揃えなければならない。煩雑な書類上の手続きをはじめ、頭の痛いことだらけだった。中でも、一番は金銭的な面での不安だった。

大げさでも何でもなく、一人四役くらいの日々を送っていた。連日仕事を休んで、周りに迷惑をかけながら実家に通っていた。やがて何とか出勤できる状態になると、毎日一時間弱かけて職場に通い、役所や不動産に通い、遅刻や午後からの出勤という形で仕事をこなしていた。

職場では特別にレジに立つことを免除してもらい、さらに多方面から電話がかかってくるため、スマホを持たせてもらっていた。

連日たまった仕事をこなしながら、仕事の合間に役所やさまざまなところからかかってくる電話に出ては、多岐にわたる手続きやスケジュールの調整を進めていった。不明な点は、何度でも役所等に尋ねた。

実家のことも、さまざまな方面の不慣れな手続きも、引っ越しの部屋探しも、その買い物やリストアップすることも、いくらやっても先が見えなかった。私はこの時期に、2ヶ月で10キロ体重が落ちている。

仕事を休んでいたため有給はもうほとんど残っておらず、あとは欠勤して進めるしかない。非正規雇用で時給制の人間にとって、「仕事を休むことイコール収入が途切れる」ということだ。さまざまな出費が嵩むとわかっている時期に、まる1日を潰してしまったように思えてならなかった。

床が外され、がらんとした家は寒々としていて、つい先日までここに住んでいたとは思えない有り様だった。片付けの際に出た、集積所まで運ばなければいけない廃棄物は、まだわずかながら庭に点在していた。玄関は泥にまみれ、鍵を開けると鼻をつく異臭がまだかすかに漂っていた。

その何もない家の庭に一人立ち、ただ泣いた。

いったい、どれだけのものを失ってしまったのだろう。長年身につけていた服もバッグも靴も、ありとあらゆるものを失った。幼い頃から貧しく、必死でアルバイトをして古本を中心に買い揃えた数千冊の本もなくなってしまった。ここにこうして立ってみても、帰ることのできる家はもうない。

この先どこに住むにしても、生活に必要なものを買い揃えなければならない。だが私は非正規雇用の身で、収入も貯蓄も微々たるものだ。多くのものを失ってしまった今、再び生活を建て直すにはどれだけのお金がかかるのだろう。けれどどんなに一生懸命働いてみても、手元に残る稼ぎではあまりにもわずかなのだ。

ありとあらゆる不安を、たった一人で受け止めなければならないことや、帰ることのできる場所を失ってしまったこと。大切な、この家を守れなかった悲しみや苦しみ。それらが、怒涛のように襲ってきた。

たまたま、その日は手伝いの人達が来られなかったというだけだ。それまでは、数多くの人に手伝ってもらえていたのだから。1人きりで、廃棄物を運ぶための車すら経済的に持てなかった身にとって、大勢の人による無償の手伝いでどれだけ救われたかしれない。

けれどそれが呼び水になり、ただ泣いた。奇禍に見舞われて以来、私が泣いたのは、この日が初めてだった。ほんのいっときでも、自分のためだけに使える時間はごくわずかだったのだ。

今となっては情けない限りだが、その日のことを思い出し、「泣きに帰ったのだと思えばいい」と考えることができたのだ。

ちなみに、この話には続きがある。

涙をぬぐって一人で片付けをしていると、お世話になっている地元のNPOの代表の方と、休みのたびにボランティアに来てくれていた男性が訪れ、声をかけてくれた。彼らは私が連日一人で一時間弱をかけて実家に通っていることを知っており、どうしても人手が足りないことを詫びて労ってくれた。

「このお宅のことを、忘れたわけじゃないんです」

その言葉に救われ、自分のことばかり考えていたことが恥ずかしくなった。苦しい思いをしているのは、自分達だけではない。辛い思いをしているのは、他にも大勢いるのだ。あらためて、さまざまな人の助けに感謝した。

この『ふたたびの春に』は、さまざまな震災のエピソードが登場する。もしかしたら、なかには辛い記憶を引きずり出される人もいるかもしれない。

日本のいたるところで、自然災害が起きている。それはさまざまなかたちで人々の生活を脅かし、大切なものを奪い、ときに人生を変えてしまう。そして、被災する前の生活には完全には戻れないのだ。

また直接の被害ではなくとも、誰かに寄り添い、その辛さを自分のことのように受け止めてしまう人にとって、ここに紡がれた言葉から誘発されるものによって、苦しむ人もいるかもしれない。

だからどうか、「これ以上は受け止められない」と思ったなら、どうかそこでページを閉じてほしい。

本の紹介をしておきながら、「途中で、読むのをやめてもいい」と口にすることはいささか気が引けるものの、どうか無理だけはしないでほしいと思うのだ。目に見える傷だけが、傷ではないのだから。

ここで、ある言葉を紹介させてほしい。それは、『生きている  生きてゆく  ビッグバレットふくしま避難所記』という冊子に収められた40代の女性の言葉だ。

“「頑張ってと言われると、/頑張ってないと思われるって感じちゃうのよね。/だから『お元気で』が好きよ」”

辛い体験をされたりその渦中にある人に、どう言葉をかけたらいいのかと思い悩む人は多いだろう。中には「頑張って」という言葉が励みになる人もいるだろうが、そうではない人もいる。ましてや、とうてい「頑張る」ことが難しい境遇にいる人に、どう思いを伝えればいいのだろうか。

これまで私は、いくつもの失敗を重ねながら、「頑張って」ではなく、いつしか「頑張ってますよね」と伝えるようにしてきた。だが、それも100%の正解ではないような気がする。そんなときに、この言葉に出会ったのだ。

すとんと、心の真ん中に何かあたたかいものが降りてきたような気がした。「どうか、お元気で」という言葉には、声をかけた相手への思いやりと、未来への祈りがあるように思えてならないのだ。

けれどやはり、その人のことを真摯に思い、祈るように生まれてきた言葉には、それ以上のものがこめられているようにも思う。だから、たとえ「頑張って」という言葉であったとしても、そこに確かな思いがあったなら、声をかけられた側の人間の心をあたためる瞬間も、きっとあるのだろうと信じたい。

言葉には、とてつもな力がある。それを、この一冊であらためて思い知ることができた。和合亮一さんもまた、そのことを語られている。

“私たちの精神を追い込むのも、救うのも言葉なのだ。あらためて〈絶対〉の崩壊に立ち向かうには、言葉しかないのだ。”(P163)

そう、私達には言葉がある。

たとえどれほど打ちのめされ絶望の中にあろうとも、あるいは絶望すら受け取ることが難しく、空っぽのように感じられる日々の中でも。怒りや不安の塊が、自分の中で渦を巻いている時であってさえも。

誰かの放った言葉に救われ、その向こうにある思いに打たれるのだ。どれほど離れた場所にいようとも、たとえネット越しであろうとも、確かにまたたき安らぎ、そして慰められるのだ。私自身もまた、何度もそういった経験をしている。

『ふたたびの春に』には辛く苦しい部分もあるが、それと同時に驚くほどの人間の強さと優しさがにじむ。たとえ瓦礫の上でも水を求め並びる、生きていくための力を感じる。

ふたたび、『整列』という詩の最後の一行を抜粋したいと思う。

“「並ぶ  一番前へといつかは進む」”

不安なことも多く、ましてや今のご時世もあり未来はまだ見えない。それでも、この言葉に強く背中を押された。いつかは、一番前へと進むのだから。

これまで出会ってきた名前のない人を思い浮かべて、「どうか、お元気で」と呟いてみる。夜は、まだ続くだろうか。いつか、暁に近づけるだろうか。ほんの少しだけ、夜風に春の気配が舞ったような気がした。



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