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書評『左目に映る星』(奥田亜希子/集英社文庫)

胸の中に切ないメロディが流れていくような、静かで深い余韻につつまれていく。そのメロディを何度も味わうように、その余韻の中にひとり立つ。好きだ、と思う。私は、この物語が好きだ。

神田早季子には、忘れられない相手がいる。それは、転校を繰り返した先で、小学五年生のクラス替えで出会った吉住という少年だ。テストはつねに満点でスポーツも得意で、金持ちの息子でありながらそれを鼻にかけるところは微塵もなく、いつも穏やかで二つ歳下の妹の面倒を見るような少年だった。

クラスで誰かが何かに困っていれば自然に手助けを行ない、教師からは「吉住がクラスにいるといじめがなくなる」とまで言われた。色白の肌に涼やかな目をした、中身のことを抜いても格好のいい少年であり、吉住を表す言葉は奇跡以外にないとまで言われるような存在だった。

だが、早季子が吉住に惹かれたのは、彼が奇跡の少年だったからだけではない。友だちといることにしばしば疲れを覚えた早季子にとって、人気のない図書室は落ちつける場所だった。そこで早季子は、右目を閉じて左目だけで校庭を見ていた吉住の姿を目撃する。

それを早季子が指摘すると、吉住は左目にだけ弱い近視と乱視が入っており、景色がぼんやりするのが面白くて、ときどき左目だけでものを見ているのだと語る。それを聞いた早季子は、歓喜する。何故なら、早季子もまったく同じだったからだ。

やがて早季子は、抱えていた鬱屈を吉住に打ち明ける。左目だけでものを見たときの衝撃や、そこから感じた世界の脆さ。人と分かり合えない孤独感。昼休みの時間だけではとうてい足りず、この話題は数回の逢瀬に亘り、吉住は「分かるよ」と口にする。

吉住には二つ歳下の発達障害のある妹がおり、ときどき一緒のベッドに寝ることもあり、手を繋いで寝るものの、朝にはそれがほどけてしまっている。

「身体の中で、人はみんな一人なんだよ。自分以外の人間がなにをどう見ているかなんて絶対にわからないし、寝返りをうちたくなったら、大事な人の手だって放してしまう。身体がある限り、人は一人ぼっちで、つまり、寂しいのは当たり前のことなんじゃないかって、最近僕は思う」 

そして、吉住はこう続けるのだ。

「嫌だなって思うことがあったとき、乱視のほうだけの目になるといいよ。いろんなものがぼやけて見えて、なんだかちょっとほっとするから」

早季子にとって吉住は忘れがたい存在であり、今でも右目だけを閉じる癖がある。二十六歳となった早季子は、かつて交際していた日向という男性と別れてからは、合コンなどで知り合った男性と肌を重ねることもあったが、どれほど歳を重ねようとも吉住のことを忘れることはなかった。

だがある合コンで会った男性から、自分の職場にも片目にだけ近視と乱視が入っていて、片目だけ閉じて歩くことのある男性が職場にいるという話を知り、自分の連絡先を伝えてほしいと頼み込むのだ。

その、ときおり片目だけを閉じているという男性・宮内から早季子に連絡が来るのだが、実際に会ってみると、宮内はややぽっちゃりした体型の地味な格好をしており、いわゆるアイドルオタクと呼ばれる人間だった。声優からアイドルを目指しているリリコのファンであり、かなり熱心に追いかけていることが伺える。やがて早季子は、宮内とともにリリコのイベントに参加するようになるのだ。

物語が進むにつれて、さまざまなことが明らかにされていく。いつまでも吉住の残像を追いかける早季子と、偶像でしかないアイドルの姿を追いかける宮内は、どちらもともに違ったかたちの孤独を抱いている。

だがその孤独な人間同士が出会い、互いに言葉を交わしていくさまは、どこかいびつでありながらも痛ましく目が離せない。そしてある結末を迎えたとき、わたしの中に切なくもやさしいメロディが胸に響いた。

これは現実の中に居場所を見つけられない人間の物語であり、同時に自分の中にだけある偶像にすがってもいいのだと教えてくれる物語だった。それがどれだけいびつで孤独なことであろうとも、わたしたちは、それぞれの孤独を抱きしめながら生きていくしかないのだ。

だが、もし、違うかたちの孤独を抱く誰かと出会えたなら、そこにはまた別の道が伸びていくのかもしれない。いつまででも残りつづける残像のような、余韻だけがただ残る。




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