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下町への憧れ

下町と呼ばれる場所が好き
下町にしかないような情緒感や懐かしい雰囲気、古びて年季の入った外観の建物が好き
また、下町や古い商店街特有の、干渉しないあたたかさに安心感を感じる。

そういう場所に安心感や新鮮さを求めてよく行くのだけど、やっぱりなんというか、行くたびに自分はまだまだそういった場所や雰囲気に染まろうとしている段階なのだと感じる。

やはり下町で長年生きてきたからこそ滲み出るものがそこに住んでいる人や店を営んでいる人にはあって、そういった人達にしかないあたたかさがあり、街に溶け込んでいる感じがある。
街とその人達が一体になっているというか。

今はインスタとかTikTokとかで、昭和何年から続く老舗〜とか90歳のおばあちゃんが営む屋台〜とかがめちゃくちゃおすすめに流れてきて、映えるオシャレな店とかよりおじいちゃんマスターがいる純喫茶とか下町の隠れた小さな居酒屋とか、誰も見向きもしなかったようなボロボロの店がバズって逆に若者の行列が出来るようになったり、そういうものがコンテンツとして注目されているなと思う。

私もそういうのを見てうわーめっちゃ素敵だ、、と思って行ってみたりすることもあるけど、そういうお店が繁盛して嬉しいという気持ちもある反面、そういう”古き良きもの”が1回の映えの為に”消費されるだけ”のものとなっているように見えてしまうこともあり、急にどっと人がごった返してしまいそのお店の元のペース以上のものを求められたり、元々は常連客などでゆっくりそこそこで回っていたお店なのに客層も急に変わって嫌な思いをすることも起きてしまうんじゃないかと思ったり。

そういう列の中に自分が並んだとき、あ、自分はこの街で生きてきたここの店を昔から知っていて日常の中で通っていた人達からしたらミーハーのように見えているのかも。なんて思ってしまったり。考えすぎなんだろうけど、私はそういうふうに見られたくなくて。
好きだと思った店には何回も通いたいし、そこに溶け込みたいって思う。

今は下町への憧れがあり、それを求めて行っているが、いずれはそこが好きとか嫌いとか憧れとか関係なく、そこが自分の生活の一部となり日常になり自分ごとがその街というふうになれたら素敵だななんて思う。

古い食堂や喫茶店で新聞読みながら1人で飯食ったりコーヒー飲んでるおじさんとかって、別にそれがイケてるとか思ってなくてただただコーヒー飲んで休む。飯を食う。というシンプルな目的のためにそうしているし、
公園で昼寝したりベンチで読書してるご老人もそれがただの日課なだけだったり、

自分が同じことをしようとしてもどこかそれが素敵と思うからやってるみたいなところがあるんだけどきっとそれは若者特有の感覚で、歳をとるにつれてそういうことをするのに慣れていちいちわくわくしたり素敵とかかっこいいとか思わなくなっていくのかもしれないね。
そう思うとむしろ今のうちに楽しいと思う感覚を大事にしておいた方がいいのかもしれない?笑


時代の流行りは本当に繰り返されていて、
最近は平成初期風やy2kファッション、昭和レトロ風がめちゃくちゃ流行っているが(私も1920年代のファッションやら生活スタイルやらに超ハマっている)、やっぱりその当時の本当にそれが主流だった時代には勝てないというか、この言い方はめちゃくちゃ誤解生むと思うし今の〜風が偽物とは思ってないんだけど、それでもやはりその時代を生きてきた人達にしか出せない本物の雰囲気があると思ってて、それに憧れて素敵だなと思って真似して少しでもその憧れに近づこうとしているんだよね〜

今は純喫茶が好きとか下町が好きとかあえて古いものを使うっていうのが逆にミーハーっぽく思われたりすることもあるけど、そんなことは気にせず周りが飽きてもそれらを愛し続けることで自分が近づきたかったものにいつか、おばちゃんになった頃にはなれるのかな〜なんてね。
2連休なので明日はひたすら散歩して自分の中のお気に入りの店を見つけられたら最高♡

破綻

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