なぜ私は歌ったり描いたりしたいのだろう?
さっきの記事の続き。絵や音楽が好きな私は考えました。
なぜ人は描いたり歌ったりするのかな?って。
なぜ表現したいんだろう?って。
それは、人が持つ心というものが、計り知れないほど大きくて、
とてもじゃないけれど言葉だけでは表せないものだからだろう、
と思いました。
だけど、同じものに触れて同じような感想を抱くのはなぜかな?って思ったのです。それは、
心はひとつしかなくて、それをみんなで共有しているからだと思いました。
ざっくりすぎるけど、簡単な図を書いてみました。
上のイラストについて説明します。
これ、円じゃなくて、球体、3Dだと思ってください。
心は基本ひとつで、それを何人かで共有している。
共有している部分はそれぞれ違っていて、
同じ部分(色)を共有している人とは、
気持ちが通じやすい。共鳴しあえる。
こういう球体がいっぱいあって、それがくっついたり離れたりして、さらにもうひとつ大きな世界を形作ってるんじゃないかなって私は思ってます。
(私、世界は相似形だとうっすら感じていて、
これ、物質を形作る電子や、星が形作る銀河と同じように、心もそういう構造になってるんじゃないかなと思っています。小さなものから大きなものまで、目に見えるものから見えないものまで全部だいたい同じ構造なんじゃないかと!)
上の図は、お花みたいになった。だからタイトルは「心の花」。
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心というものについて、さらに考えました。
心は常に表現されたがってる。
だから、私は絵や音楽に触れたいんだと思う。
言葉よりダイレクトだし、誤魔化せないから。
言葉だと、時に嘘をつけてしまう。
意識的に。無意識についてしまう時もある。
それは、頭が一生懸命計算してくれて
丸裸の心が傷つかないように
一生懸命守ろうとしてくれるからだと思う。
でも、
どんなに表現を重ねても、それが嘘だったら心は満足しない。
だから、私は絵を描きたいし、歌を歌いたいんだと思う。
絵や音楽では、嘘をつけない。
描かない人でも、歌わない人でも、絵や音楽に触れたいと思うのは
心が本音でしか存在できないようにできているからじゃないかな。
人は嘘をつけるけど、心は嘘をつけない。
人は嘘をついたからって死んだりしないけど、
心はちょっとずつ死ぬのかも。(※ここでいう嘘をつくとは自分の本音をごまかすという意味です)
絵や音楽は
本当のことが滲み出やすい。
いや、絵や音楽だけでなく、
人が一生懸命時間をかけて心を込めて形にしたものは全てそう。
滲み出る。
言葉も同じ。
心からの言葉は人の心を打つ。
伝えたいという思いは必ずどこかに響く。
心はいつも「本当」に触れたがってる。
共鳴したがってる。
感動して胸が震えたり、高鳴ったり、涙が出たり、
心が何かを感じる時は、
「私の本当を表現してくれてありがとう」って、
心が頭に伝えたがってるんだと思う。
だから、私は歌いたいし描きたいんだと思う。
自分の心が伝えてくる「ありがとう」を
まず、私自身が聞きたいんだと思う。
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ごちゃごちゃ考えてしまいました。考えるのが好きです。
でも言葉だけを使って表現しようとすると、ぴったりな表現が見つけられず、私は余分な装飾をしてしまいます。そういうのを削ぎ落としていきたいです。だから描きたいのか。またここに戻った。
さて、イラストの説明に戻りますが、
心は目に見えないから、
私たちは自分たちの手で、心を目に見えるものにして、
讃え合いたいんじゃないのかな。
歌ったり踊ったり書いたり描いたりして
自分が持っている色を見せ合って
自分と響き合う人を見つけたいのかもしれないですね。
なぜ、私は歌ったり描いたりしたいのか?
それは、私の心が伝えたがっているから。
心が自分の形を知りたがっているから。
私が、共鳴する誰かと出会いたいから。
勢いで書きました。あとで、書き直すかもしれないけれど、
とりあえず一旦公開します。
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