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【ロータリークラブで講演】     鈴木春信の描いた評判娘「笠森お仙」を詳しく解説します!

久々の投稿

久々の投稿です。
6/26に港区の会場で、7/10と7/24にオンラインで開催した
「第3回畑江麻里の初心者でも楽しめる浮世絵講座」を今回も盛況で無事に開催いたしました!
浮世絵講座の準備等でnoteの更新ができなかったので、4月以降のことを投稿したいと思います。

日暮里ロータリークラブで講演

テレビ番組の出演がきっかけで※(前回のnoteの記事で紹介しました)
日暮里ロータリークラブで、以下の講演をしました。

※修士論文で取り上げた「笠森お仙」をはじめ、「江戸のアイドル」について、現代のアイドル(元AKB48)と若手女優さんに解説しました

2022年5月19日(木)
講演内容
「浮世絵美人画にみる評判娘ー笠森お仙を中心にー」

https://www.instagram.com/p/Cd3KtJspi_c/?igshid=YmMyMTA2M2Y=

この講演では、最初に浮世絵の中の美人画(びじんゑ)
出来るまでの背景やその特徴を説明し、江戸時代に絶対な人気を誇った
評判娘「笠森お仙」についてお話しました。

今回のnoteでは、詳しく笠森お仙についてご紹介できればと思います。

浮世絵の中の美人画(びじんゑ)

現在、「美人画」は、「美人画/びじんが」と呼ばれていますが、
「画(が)」というのは明治時代に作られた言葉で、江戸時代からあった
言葉ではありません。
明治時代にできた言葉の「美人画」も、
江戸時代の当時は、「美人絵」と呼ぶのが普通で、江戸時代に、
「美人画」と記されている作品も、「びじんゑ」と呼ばれていました。
この文字「ゑ」は、これで「え」と読みます。
他にも、江戸時代は絵師のことを「画師」とかいて「ゑし」、と読んでいました。

この浮世絵の中の美人画ですが、初期のころは、このように吉原の遊女などが主に描かれていました。

それが江戸中期になり、鈴木春信が多色摺木版画の錦絵を誕生させたころになると、一般の女性も描かれるようになります。
このとき題材になったのが、江戸の庶民に広く知られ、人気を得ていた
評判娘」です。

それまでの美人画に描かれる対象は、遊郭の女性や芸子などが多かったですが、鈴木春信はそこから更に視野を広げ、実在する評判の娘を美人画に取り上げることで、美人画を大衆にとって身近で感情移入しやすい存在にしていきました。
評判娘の中には、主に水茶屋で働く娘や、楊枝や歯磨き粉などを売る娘、神社の巫女、煙草屋の娘など、実に様々でした。

江戸の評判娘・笠森お仙

江戸中期に多色摺木版画の錦絵を誕生させた浮世絵師・鈴木春信は、画業の晩年に、大衆に普及する浮世絵を制作します。
この評判娘の中で最も多く春信の美人画に描かれたのが茶屋娘の
「笠森お仙」でした。春信はお仙の錦絵を最も多く描き、30種類以上は知られています。
お仙はこの当時最も絶大な人気を誇った、今で言う「すぐ会いに行けるアイドル」でした。

鈴木春信《お仙の茶屋》 中判錦絵、 明和6年頃(1769) 東京国立博物館蔵


では、当時人気だった笠森お仙はどのような人物だったのでしょうか?

評判娘の中で別格な人気を誇ったお仙は、鍵屋五兵衛という農民の娘で、
お仙が13歳の頃、谷中にある笠森稲荷の水茶屋「鍵屋」の茶屋娘として働いていました。
お仙は細腰の清純派の美少女で、明和元年(1764)13歳になった頃から「こんな場末にはもったいないほど綺麗だ」と、参詣客を魅了していました。
お仙は素顔のままで充分美しく、お化粧をしなくても、木目の細かい肌は餅のように白く、うるんだ目、よく通った鼻筋、小さな可愛い唇、そして肢体からにじみ出るような清潔な色気があったといいます。

鈴木春信《団子を持つ笠森お仙》 中判錦絵、明和5、6年頃(1768、69) 個人蔵

こちらに描かれるのは、お供え物の団子の皿を盆の上にのせて持ったお仙の姿です。背景には次の出番を待つ団子や茶碗が並べられた棚、水桶などの店先の様子、笠森稲荷の鳥居も描かれています。笠森稲荷には杉木立があったといわれています。

ちなみに、お仙がいた水茶屋「鍵屋」があった場所は、現在の功徳林寺がある場所にあります。
一方で、お仙がいた鍵屋の「笠森稲荷」は、現在の養寿院にあり、
場所が異なります。

 ※江戸時代、谷中には大円寺と福泉院という、現在の功徳林寺がある場所に二つの笠森稲荷がありました。そのうち、福泉院前の水茶屋「鍵屋」にいたのがお仙。その後、福泉院が消失し廃寺になり、笠森稲荷は寛永寺の子院・養寿院に移転します。明治26年に福泉院跡に功徳林寺が建立され、稲荷社が祀られます。
ということで、現在の功徳林寺がある場所に、お仙の水茶屋「鍵屋」があったのです。
 

では、江戸から離れた谷中にいたお仙が江戸で評判になった理由は何だったのでしょうか? 
春信はお仙が有名になり出してから錦絵に描いているのですが、本当のきっかけは何だったのでしょうか・・・?

この答えは、次回公開の「第3回 畑江麻里の初心者でも楽しめる浮世絵講座」の記事(9月上旬公開予定 有料記事)に詳しく書くので是非ご覧下さい♩
テレビでは話せなかったことを当時の評判記など一次資料を踏まえ、さらに当時の歌舞伎にも着目して書きます!

お仙のライバル、本柳屋お藤

お仙には、当時その人気を競ったライバルがいました。それが浅草で楊枝などを売っていた評判娘の本柳屋お藤です。

鈴木春信《風流江戸八景 浅草の晴嵐》中判錦絵 明和5、6年頃(1768、69)メトロポリタン美術館蔵

お藤は、お仙とは違って江戸から近い浅草で楊枝を売っていた娘です。
浅草観音の境内で楊枝や歯磨き粉などを扱った、本柳屋というお店で働いていました。
この作品では、この本柳屋の店先で、若衆と語っている様子が描かれています。
 このお藤を描いた作品、足元にイチョウの葉が描かれていますが、本柳屋は大銀杏の木の付近で営んでいたそうで、彼女は「銀杏娘」とも呼ばれました。

お仙とお藤の違い

では、お仙とお藤、どちらが人気だったのでしょうか?

当時の評判記を見ると、お仙の方が圧倒的に人気で、春信の浮世絵にもお仙が最も多く描かれています。
お藤は人がよく集まる浅草で有名になりましたが、お仙は江戸からやや離れた繁華街ではない谷中で人気になったという違いもあります。
お仙は春信の浮世絵によって人気になり、春信もお仙の人気によって有名浮世絵師になりました。
 

二人はこの時代、評判記などで比べられたりします。
では、どのような違いがあったのでしょうか?

お仙は、化粧などしなくても美しかったとの記述があるので、ナチュラルなすっぴん美人
お藤は化粧が濃かったという記述があるので、メイクが濃く派手目の、華やかな美人(テレビでは港区女子と紹介)でした。

ただ、この二人、拡大してみると、どうでしょうか。
顔の区別はありませんよね?

両方とも春信が描く、華奢で少女のような美人の像、という理想化された型で描かれています。

ではどのように区別したのでしょうか?
春信は主に、背景描写でその人物が誰であるかを見分けました。

お仙であれば、鳥居や茶碗など、そこが笠森稲荷の水茶屋であるという背景描写。
お藤であれば、楊枝や歯磨き粉などが並べられている楊枝屋の背景描写で二人を区別していました。

鈴木春信《お仙と菊之丞とお藤》横大判錦絵  明和年間(1764-1771)東京国立博物館蔵

こちらの作品は、テレビ番組でもご紹介したものです!

真ん中にいるのが当時の人気女方の二代目瀬川菊之丞で、両端にいるのが、右側がお仙、左側がお藤で、春信は二人の評判娘を背景描写で描き分けていることがわかります。
 
ちなみに、当時、「明和の三美人」といわれているのは、
笠森お仙・本柳屋お藤・蔦屋お芳の三人
でした。
しかし、蔦屋お芳の人気は、他の二人には及ばず、お仙とお藤が圧倒的に人気があり、蔦屋お芳の浮世絵は知られていません。
春信は蔦屋お芳ではなく、当時の人気女方・菊之丞を加えて三美人として描き、女形の菊之丞「プロ」と並ぶ美人の「町娘」というニュアンスでお仙とお藤が描かれた可能性もあったかと思います。
 また、浮世絵師は当時人気の女方役者の似顔イメージをもとに美人の容貌の典型を作り上げることをしているので、春信がこの二代目瀬川菊之丞を原型として美人様式を確立したとも思われます。

では、今この二人の評判娘は、背景で描き分けがされているからお仙とお藤だとわかったと言いましたが、背景以外にも見分ける方法があります!
それは何でしょうか?
私は、なぜ真ん中にいるのが二代目瀬川菊之丞だとわかったのでしょうか?
この答は以外に簡単です!
(こちらの問の答えも、次回公開予定の記事に書きたいと思います)

ちなみに「第3回畑江麻里の初心者でも楽しめる浮世絵講座」では、講座の最後に、今質問したことを踏まえて、上級者向けの質問を1つしてみました!
(浮世絵講座には一般の方以外にも、美術館学芸員の方や研究者、大学教授の方など多彩な方々が参加して下さったのですが、あまりにも専門的すぎる質問をしてしまったため、どなたも答えられませんでした。というのも、
鈴木春信の研究は数多くあるものの、「お仙と江戸歌舞伎を絡めた研究」はまだほぼ誰も行っていないからなので、この研究を進めて、いつか発表できれば思いました・・!)

※この未公開の研究を踏まえたお話は、9月上旬に公開予定のnote有料記事に掲載したいと思っています。

最後に

今回の記事の「江戸の評判娘・笠森お仙」の箇所で、お仙がいた水茶屋「鍵屋」があった場所は現在の功徳林寺にあるとお伝えしましたが(当時は、福泉院という名の寺)
功徳林寺は、日暮里から徒歩5分ほどの場所にあります!
所在地:東京都台東区谷中7-6-9

お仙がいた水茶屋を想像できる笠森稲荷もあるので、
日暮里に行かれた時は、是非立ち寄ってみて下さい♩

では、次回は9月上旬頃に更新できればと思います!





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