幹、色とフレーム
前述した記事の後半で金脈のにおいを嗅ぎつけて走り出して申し訳ない。あれは間違っている。金脈はあるのかもしれないが、自分でそんなフレームで見るなっていったのにまたボケツッコミ論を展開したことが間違い。新訳、シン・おもしろい論スタート
幹をどのくらいのサイズでとらえようか
土佐兄弟を、ネットフリックスのアホみたいな量のタグをつけることで、カテゴリを分解、そののちにこれの何が軸なのか、またそのサイズを観測する。
#学園 #あるある #ショートコント #日常 #兄弟 #仲良し #令和
薄いか、けどあんま思いつかんかった
逆にnotでその輪郭をとらえる
not漫才 notツッコミ notシュール not理不尽 notフリオチ not自虐 not下ネタ notお約束
自分ではじめて意味があるのかわからんくなってきた。
最も重要に見えるの#学園をさらに分解できるか
学園の構成要素
全員の共通認識がある ノスタルジー 規則性 それなりに登場人物に幅があっても問題ない 制服の存在 教師と生徒のみの狭い関係性
であるとする
この作業を全部に施すのは面倒であるため、省く
次に土佐兄弟であると言いきれる最小のタグを決める
この4つで大体該当する面白いを作る人が土佐兄弟と言い切れる
あるあるを省くと学園コントをする人が入りまくるし、下ネタを排除せなニッキューナナが乱入してくる
ではこれが、土佐兄弟の軸、なのか
違うと思う。
では軸とは何か、それは視線である。何を面白いと思い、どう面白いのかをどう表現するかで表出させる「面白い」の構成要素のなかの、さらに先
「なぜそれが面白いと思ったのか」だとしたい
コンビニをテーマに面白いを考える
コンビニは客を選ばない。どんな客が来ようと問題はない。
というコンビニの構造に対してアプローチをするなら、強盗を来させる、ヤクザを来させよう、万引きしよう、点滴のチューブを持ったジジイを来させよう、アザラシを、河童を、実家にいるはずの母親を、来させよう
これらのアプローチは不特定の”客”に対しての大喜利だと言える。そこに来店する至る理由をしっかり肉づけすればいい
逆に”店員”にアプローチをかける
ため口、レジ金を抜く、Tポイントカードの裏面をめっちゃ見る、清掃モップがびっちょびちょ、支離滅裂、上裸、完全にポケモン、アニメ声、クソデブ
これらのコントを面白そうだと思うだろうか、これらの特徴からコント内に役職を無意識にあてがっていないか、それらはルッキズムの片鱗を宿していないか
通常何の問題もないことを前提に設計された構造の内側に、外見、内見、に問題がある何かを異物のように投げ込み、それを原因に生じる不協を笑いの根源に使ってはいないか
これらの発想はすべて”コンビニ”から始まったもので、そこがすでに間違っているのではないか。コンビニは舞台装置であってそれ自体の可能性の内側で面白いをつくるという発想が間違っているのではないか
コンビニの構造を考える
誰が来てもいい 基本バイトで接客にはマニュアルがある 品揃えは多い 時間帯を選ばない 仕事は多岐にわたる
考えれば考えるほどコンビニの自由度は高い、他人同士がコミュニケーションをとる理由も明確で一方通行でどういうロールをこなすのかが一目でわかる。優秀すぎる
アタマいて~~自分が何しよるのかあんま分からんくなってきた
そう、軸だ!軸とはの話!
今のとこの定義は、視線と視点、
おばあちゃんを面白く考える
サイボーグおばあちゃん ←おばあちゃんは生身であるという常識に対する面白い
肩で息するおばあちゃん ←おばあちゃんは余裕があるもの、という常識に対する面白い
キーエンスで働くおばあちゃん←おばあちゃんがする労働はせわしなくない、という常識に対するおもしろい
戦争の話になると袖をまくるおばあちゃん←戦争の話は意気揚々とすべきではない、というおもしろであって、その行為者として上位で面白いのがおばあちゃんであるだけ
ワンピース強さランキングスレに常駐しているおばあちゃん←興味がないはずで、熱を上げる必要がない議題、行為者として上位で面白いのがおばあちゃんであるだけ
おばあちゃんはなぜ面白いのか
ステレオイメージが強く、出来るイメージよりできないイメージが各所で先行する存在であるため
おばあちゃんとお兄さんで比べてみてね!
また話がそれた
おばあちゃんの話は完全に必要なかった。ニュートラルな人間 男を想像して、そいつが何なら面白いのかを考える
男←おもしろくない 汗まみれの男←不明 ぼーっとした男←怖い
ちょっと考えたけど、あんま進展がないししょうもない大喜利にまたなってしまいそうやからやめる
つぎは男をどこに置くとおもしろいか、考える
最終電車←ドラマのにおい 畑←頑張ってね 会社←ニュートラル ゆるめるモ!のライブ←これで笑うのは前時代
これが何かに依存した発想の限界なんすわ、ここからさきには行けんのですわ、
ならどうやってその先に行くか
文脈なんすわ、文脈でなぜ面白いのかを固めるんスわ
最終電車にスト缶をもって寝ている←おそらく逆方向、もしくは寝過ごすんすわ
畑にサスペンダーをつけて鍬を持っている←意識高いスローライフを理想に移住してきた奴っすわ
ゆるめるモのライブで泣いている男←好きなんすわ
いや違う、こんな話をしようと思ったんじゃない、やっとおもいだした、したかった話ってのは
土佐兄弟にプレイバック!!
土佐兄弟は何を面白いと思っているのか、一言で表せ
そんな奴いたな~っていう共通理解由来のあの日馬鹿にできなかった奴を見つけ出すことをおもしろい、としている。
いいって反論はどうせされるの分かっていってんだから
何が面白いのか、どう面白いのか、ここの一貫性を持たせることって重要じゃないのか?製作者は何が面白いのか明確な視線を一定でもつべきじゃないのか?それが作風じゃないのか?
ツッコミ軸、とかボケ軸、とか、漫才コント、とかべしゃり漫才、とかじゃなくて、それらは構造であって軸ではないでしょうと、
ぱっと思いついたのは東京03
あれの何が面白いのかは、角田のダメ感とか飯塚のキレツッコミとか豊本のペース感で、それらを自然に発生させることができるように構築してある。
これが軸だと、そう、考えていますよと、いうことですよ、と、
軸がないと、軸がないと、軸がないと、軸がないものができるから、軸があったほうがいい。
今日はいろんな種類の液体を飲みました。内臓が喜んでくれたらいいなぁ~
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