ハタチ基金

「東日本大震災発生時に、0歳だった赤ちゃんが無事にハタチを迎えるその日まで」というコン…

ハタチ基金

「東日本大震災発生時に、0歳だった赤ちゃんが無事にハタチを迎えるその日まで」というコンセプトの下、東日本大震災発生直後から20年間継続的に、被災地の子どもたちに寄り添い支援を行う基金。ここでは、東北で活動する子ども支援団体の人たちのこれまでの経験やエピソードを紹介していきます。

最近の記事

13年前 被災地にやってきた若者たちが始めた 子どもが自分らしく生きるための地域づくり~東日本大震災から13年~

今日は、東日本大震災発生から13回目の3月11日です。 震災直後に東北でボランティア活動を始め、その後支援団体をつくって子どもたちを支え続ける人たちが東北には数多くいます。「認定NPO法人底上げ」と「NPO法人みやっこベース」もその一つ。どうして10年以上も東北で活動を続けているのか。そこには深い理由がありました。 震災当時、東京の大学生だった底上げの矢部寛明さんと、岩手県宮古市で被災した当時中学生の八島彩香さん、宮城県石巻市出身のハタチ基金ディレクター相内洋輔。支える側

    • 津波で何もなくなった町に僕らが居続ける理由 ~東日本大震災から13年「新しい教育」への挑戦~

      「僕たちがここに居続けることが重要なんです。」縁もゆかりもない宮城県女川町に暮らして12年。中高生の放課後の居場所を運営する「一般社団法人まちとこ」の代表は、町の復興に必要なことを尋ねるとはっきりと言葉にした。彼と一緒に働きたいと同じ道に進んだ石巻市出身のスタッフは、東日本大震災発生時は中学生。今の被災地の子どもたちに必要なことを語ってくれた。 東日本大震災から間もなく13年。かつて津波が襲った女川町で、子どもたちの課題と向き合いながら、被災した場所だからこそできる“新しい

      • あの日避難所で 子どもたちから教わった “復興のその先に必要なこと”~東日本大震災から13年~

        あの日避難所で、自分の気持ちをぐっと抑えて我慢していた少女との出会いが、13年続く子ども支援活動の原点だった。自らも被災した男性は、自分にしかできないことが何なのかを子どもたちから教えてもらったという。 ハタチ基金の助成先団体「NPO法人にじいろクレヨン」 宮城県石巻市を拠点に、震災直後から避難所で子どもたちの遊び場づくりを行ってきた。活動を通して見えてきたのは、子どもの生きる力を尊重することが、本当の意味での復興へと繋がっていくということ。そのために、今必要なことは何なの

        • 阪神淡路大震災のボランティアを経験した大学生が いま福島で子ども支援をする理由 #東日本大震災から12年

          その女性が初めて見た被災地は、阪神淡路大震災が起きた神戸だった。 当時大学生だった彼女が現地で目にした、様々な被災地支援。誰のためのボランティアなのか、自分自身の活動にも疑問を持ちながら、現地の人の話に耳を傾け続けた。 あれから20年以上の月日を経て、女性は今、津波と原発、二重の影響を受けた福島県南相馬市で子どもたちに寄り添い続けている。 ハタチ基金の助成先団体「NPO法人トイボックス」で、臨床心理士として子どもたちの支援を行う、高橋紀子さんにお話を伺った。 誰のための

        13年前 被災地にやってきた若者たちが始めた 子どもが自分らしく生きるための地域づくり~東日本大震災から13年~

        • 津波で何もなくなった町に僕らが居続ける理由 ~東日本大震災から13年「新しい教育」への挑戦~

        • あの日避難所で 子どもたちから教わった “復興のその先に必要なこと”~東日本大震災から13年~

        • 阪神淡路大震災のボランティアを経験した大学生が いま福島で子ども支援をする理由 #東日本大震災から12年

          地面が揺れ 亀裂が走ったあの日から続いている “私への問いかけ” #東日本大震災から12年

          地面が大きく揺れた2011年3月11日、仙台市のホテルに勤務していたある女性は宿泊客の避難誘導に追われていた。その後ホテルは、県内外からの災害派遣やボランティアの受け入れ先となり、日々に追われるまま3年が過ぎた。あの日私は困っている人のために何ができたのだろうか。後悔と誰かの役に立ちたい思いを抱えながら進んだ道は、東北の子どもたちを長期的に支える活動だった。 今回は、ハタチ基金の助成先団体「認定NPO法人 キッズドア」の對馬良美さんに当時の思いと、今の宮城県の子どもたちにま

          地面が揺れ 亀裂が走ったあの日から続いている “私への問いかけ” #東日本大震災から12年

          当事者であり続けたい 神戸の高校生があの日心に決めたこと #東日本大震災から12年

          原発事故による被災もした福島のある地域で、今も高校生や若者の支援活動をしている男性がいる。震災直後、神戸の中学生だった男性にとって、東日本大震災はテレビを通して知る遠い国で起きているかのような出来事だった。そんな男性の転機となった担任からの東北の話。そして自らが向かった被災した地域の1年後の風景。今、福島で高校生支援をする男性を支えている。 今回は、ハタチ基金の助成先団体「一般社団法人 未来の準備室」理事の湯澤 魁さんに当時の思いと、今の福島の子どもたちにまつわる課題を伺っ

          当事者であり続けたい 神戸の高校生があの日心に決めたこと #東日本大震災から12年

          「自分を被災者だと思ってはいけない」仙台で震災を経験した私が、東北の子ども支援を始めるまで #東日本大震災から12年

          あの日リアルタイムで目にした大津波の映像。仙台市内の自宅で強い揺れに襲われた後、真っ黒い波が沿岸部の町を飲み込んでいく様子をワンセグで見たある高校生は、そのときから「自分を被災者だと思ってはいけない」と意識するようになった。 東北の広範囲で、大多数の人たちが被災した東日本大震災。それぞれの悲しみと辛い記憶を抱えながら、どんな風にこの12年を過ごしてきたのか。ハタチ基金が助成する団体でも、被災経験がある方々が様々な思いの中で今も東北の子どもたちを支えている。 今回は、高校2

          「自分を被災者だと思ってはいけない」仙台で震災を経験した私が、東北の子ども支援を始めるまで #東日本大震災から12年

          中学3年で被災した私があの日見つけたもの #東日本大震災から12年

          あの日どこにいて、どんな経験をしたのか。その経験が、どのように今へと繋がっているのか。東北の被災した地域で子どもたちの支援をする団体で働く人たちが、どのような思いがあって今の仕事にたどり着いたのか。 2022年にハタチ基金の助成先団体に加わった13団体。そこで働く人たちは、岩手、宮城、福島、それぞれの場所で子どもたちを取り巻く課題を一つ一つ拾いながら解決へと導くために活動をしている。 今回は、岩手県宮古市で中学3年のときに被災した、みやっこベースの八島彩香さんにお話を伺っ

          中学3年で被災した私があの日見つけたもの #東日本大震災から12年