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黒猫ものがたり

アタシはここ最近の記憶がない。ご飯も誰かが用意してくれていた気がするけど、ある日突然食べる術を失った。けれど、大きな手でアタシの頭をわしゃわしゃ撫でてもらった温かい記憶だけは残っていた。またあの温かい手の感触に包まれたいなぁ…。アタシは何かを求めて住宅街のマンションの吹き抜け広場に毎晩通うようになっていた。

ここには色んな猫たちが集まっていた。野良猫の道を歩むもの、飼い猫として自分の家を持つもの、それぞれ個性の違う暮らしをしている。多様な個性が毎晩集まると、いろんな話で持ちきりだ。川沿いを縄張りにしている猫が強そうだとか、いつも線路沿いを散歩している猫がカッコいいとか、ここのマンションに優しそうな人がいるとか、毎晩のように情報交換が行われていた。人と一緒に暮らす、もしくは暮らした事がある猫たちによると、人間の世界は意外と生きづらそうだと聞いた。なんでもお仕事で怒られて帰ってきて機嫌が悪かったり、オスとメスが喧嘩したり、かと思えばワンワン泣いてみたり。人間が泣いているときにそばに行ってゴロゴロ喉を鳴らすと喜ばれるんだぜ!って自慢話を聞いたこともある。美味しいものを食べさせてもらって外敵を心配しなくても良い暮らしをゲットするには人間にすり寄ればいいのかな。人間って猫より単純なのかな。ただ側にいてニャアって声をかけ続ければ安心して満足するだなんて。もしかしたら、猫が人間の側にいるとみんな優しくなるのかな。猫も地球平和に貢献できるのかもな。そんな風に考えたらちょっと誇らしくなった。

ここには色んな毛色の猫たちが集まっていた。白黒のぶち猫、タキシードを着ているような柄の猫、白い靴下を履いてるような柄の猫、三毛猫、トラ猫。いつも集まったら仲が良いもの同士で毛づくろいしあって、互いの存在を確認しあっていた。アタシは黒猫だから、みんなの個性豊かな毛色が羨ましかった。
月が明るかった初夏の夜、広場に真っ白できれいな毛色の猫がやってきた。アタシは自分と正反対の色をした白猫くんに一目で恋をした。恋は自分にないものを求める。それでいて似ているところも探してしまう。アタシはお腹の毛が少しだけ白かったから、それが嬉しくて仕方がなかった。そして、恋は実った。タキシード柄の猫もアタシに寄ってきたけど、アタシの気持ちは白猫くんにまっすぐに届いた。

一方、アタシは人間に対する興味があった。あの、大きな温かい手の感触が忘れられなかったから。だから、日中のパトロールのときに、かたっぱしから人間に話しかけてみることにしたんだ。

「ニャァ」「…」
「ニャァ」「…」

みんな一瞬笑顔になるけど結局無視して通り過ぎてしまった。誰も優しくしてくれない。頭を撫でてくれない…。

とてつもなくお腹をすかしていたアタシは、途方にくれて、とあるアパートの駐車場に立ちすくんでいた。そうしたら、買い物袋を下げたお姉さんがやってきた。アタシは知っていたんだ。カサカサ音を鳴らすビニールの買い物袋の中にはたいてい美味しそうなものが入っていることを。 最後の力を振り絞って駆け寄った。
「ニャーーー!」
お姉さんは物珍しかったのか、買い物袋の中からプラスチックの容器に入ったポテトサラダを取り出してくれた。
「美味いニャーーー!」
なんだかしょっぱくて美味しかった。食べた事がない味だった。ポテトサラダなのに、ほんのり赤いつぶつぶが混ざっていて、容器の裏には明太ポテトサラダと書いてあった。・・・人間はこんなご馳走を食べて暮らしているのか、いいなあ。あっという間に全部平らげてしまった。
アタシはお姉さんのお家についていった。最初は困った顔をしていたお姉さんだったけど、結局お家に入れてもらう事ができた。この日から、アパートの105号室を訪ねるのがアタシの日課になった。アタシは猫だけど、アパートの部屋の順番はちゃんと理解していたんだよ。右端から2番目の部屋がお姉さんの部屋だって。

お姉さんはいつも決まった時間にアパートに帰ってきた。アタシには時間の感覚がないんだけど、お姉さんはいつもキーホルダーの音をチャリチャリ鳴らしていたからすぐに気がついた。少しぐらい遠くにいてもすぐに気がついた。アタシはお姉さんの部屋で少しの食べ物をもらって一休みし、気が向いたら夜の街へ帰っていくのが習慣になっていた。

その頃のアタシは、大好きな白猫くんとの間に出来た新しい命を宿していた。お姉さんには悪かったけど、来るべき時の為に、アタシはお姉さんのお部屋にあるクローゼットという空間に目をつけていたんだ。暖かそうな布地がたくさんあって、適度に暗くて、外敵からの目線を隠すことが出来そうだったから。
ある日、アタシは自分だけで子猫を産んだ。その日から家族を守る仕事が増えた。だから、アタシは夜に出歩くことをやめたんだ。お姉さんのところには朝少しだけ通うことにした。猫なのに人間みたいに忙しく過ごしていたけど、お姉さんはいつもご飯を用意して待っていてくれたから。

数日後。
お姉さんは部屋の窓を開けて、首の長い大きな声の怪獣みたいな何かを操っていた。どうやら掃除機というものらしい。アタシはお部屋にお邪魔してお姉さんの様子をジッと見つめた。お姉さんは、いつもと違ってお部屋から出かける様子がなかった。…今がチャンスっ!
アタシは急いで子猫たちの元へ帰った。一番最初に産まれた真っ白な子猫を咥えてお姉さんのお部屋に向かう。戻ってきたアタシの様子を見て、お姉さんは驚いていた。アタシは迷わず、クローゼットの上の段に登ろうとした。
「ちょっと待って!」
お姉さんの温かくて大きな手がアタシの行く手を遮った。その衝撃で咥えていた真っ白な子を落としてしまった。
「ニャッ!」
アタシはお姉さんを睨みつけた。せっかく外敵を気にしなくて良い空間を見つけたのにな。また、安全などこかを、誰かを探さなきゃいけないのかな。ちょっと悲しくなった。・・・けど、お姉さんは何か察してくれたようで、どこかからダンボールの箱を用意してくれた。アタシの身体のサイズにぴったりの箱だった。ダンボールの箱は猫が大好きなアイテムの一つだ。箱の中に出入りするだけでかくれんぼ遊びが出来るし、バリバリと爪を研いでスカッとすることも出来るし。そんなダンボールの箱に、お姉さんは温かそうなタオルケットを敷いてくれた。
「ここならいいよ」
アタシと真っ白な子猫を温かくて大きな手で導いてくれた。広くて暗いクローゼットじゃなかったのが残念だけど、安全な場所で安心できる暮らしを手に入れた。

アタシは残った2匹の子猫たちを迎えにいった。お姉さんは驚いていたけど、嬉しそうな優しい顔をしてアタシたち家族の様子を見つめてくれた。・・・あの時、お姉さんに駆け寄って良かったんだ。

アタシたち猫の家族と人間との長い暮らしがこの日から始まった。長い暮らしといっても、猫の命は短い。人間と暮らす期間なんて10年もあれば長い方だと思った。アタシは人間に守られて暮らす代わりに失ったものもあった。3匹の子猫たちのうち2匹は見知らぬ誰かが迎えに来て連れて行ってしまった。しかも一番好きだった彼と同じ毛色の白い子猫が連れていかれてしまった。…あれだけは寂しくてしばらく姿を探したな。それから、ほかの猫に恋をする権利を奪われてしまった。というよりどうやって恋をするのか思い出せなくなってしまった。それでも白猫くんに出会ったときの記憶は残っていて、ときどき胸がチクっとなった。

3年の月日が流れた。

アタシは自分と同じ黒猫の子猫と、人間のお姉さんが暮らすアパートのお部屋で生活していた。ある日、アタシは窮屈で大嫌いなキャリーバックに閉じ込められた。このときばかりはお姉さんが憎たらしい。あのバックに入るときはたいてい動物病院というところに連れて行かれるからだ。けど、今度はずいぶん長い時間閉じ込められた。不安で不安で、口がカラカラになった。
半日ぐらいたって、やっと解放された。でも、見たことがない景色だ。落ち着ける場所はどこ?…どうやら、今までのアパートのお部屋とは違う、広いお部屋に来たみたいだ。そんな広いお部屋がたくさんある、新しいおうちに来たみたいだ。あ、これ人間がよく言う「引っ越し」ってやつだ。

そして、思い出した。アタシは前の飼い主が引っ越したときに迷子になったことを。もしかしたら、捨てられたのかもしれないことを。

でも、今度は子猫もいる。お姉さんも一緒。ひとりぼっちじゃないから大丈夫だ。

新しいおうちは、匂いを覚えるまで大変だったけど、ちゃんと慣れることができた。猫も意外と出来る子でしょ?それから、お姉さん以外にも人間がいた。声が似ているし、「ニャー」ってアピールするとご飯をくれる人たちだったから、すぐに好きになった。そして、生まれて始めて首輪をつけた。うん、おしゃれ。なんだか、急に飼い猫らしくなったかな。首輪には鈴がぶら下がっていた。正直、アタシたち猫の敏感な耳に鈴はうるさかった。けど、お姉さんがキーホルダーをチャリチャリ鳴らして「ただいま!」って合図してくれたみたいに、首輪の鈴が鳴ると、「ここにいるよ!」ってみんなに合図できるみたいだから我慢した。ここは外でも遊べたし、草も食べ放題だった。木登りもできた。モグラを捕まえておうちの人に自慢したこともあるし、鳥や虫の鳴き声を聴きながら「ケケケッ、ケケケッ」と一緒に唄う新しい趣味も出来た。

ここではみんなが仲良く生きている。猫も、人も、鳥も、虫も。

広場に通っていたあの頃よりも、ゆっくりとした時間が流れるようになった。

さらに年月が過ぎた。

ずっと人間と仲良くしていると、目の前にいるお姉さんがヒトなのか猫なのか、わからなくなるときがある。身体が大きいだけで、きっと猫の仲間なんじゃないかな?だから、おうちを隅々までパトロールするときも一緒に歩くし、いつも一緒のお布団で眠る。ときどき、お姉さんの腕を捕まえて毛づくろいもしてあげるんだ。猫の舌はザラザラしているから、なかなか良いマッサージなんじゃないかな?お姉さんも温かい手でわしゃわしゃ撫でてくれたり、ブラシを使ってアタシの毛並みを整えてくれるし。これがとっても気持ちいいんだ。

「ニャッ」

アタシは喉をゴロゴロ鳴らしながら鳴いた。

#猫 #小説 #猫目線 #エッセイ

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