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詩が遺してくれたもの

とある休日、カフェでコーヒーを飲んでいたわたしの耳に女性2人のこんな会話がとびこんできた。

「仕事なにやってるの?」

「施設で働いてるよ。そんなに忙しくないし悪くないよ」「でもー、高齢者マジ無理。話し相手とか無理」

・・・聞こえてきたのは、なにか気持ちがモヤッとするやり取りだった。モヤモヤの理由はよくわからないけど。

施設といっても色々あって、心身ともに健康に近い高齢者が集うところもあれば、なにかしらバランスを崩して生きている高齢者が集うところもある。うーん。若い人の価値観ならまあ無理って思うことがあっても仕方がないのかな。

わたしは山に囲まれた田舎にある薬局で働いている。薬局というところは、というよりわたしが働く薬局がそうなのだけれど、何か苦痛を抱えながらも元気で過ごしている高齢者がたくさん集う場所だ。長く同じ場所に立ち続けると、顔馴染みが増えて、訪れる患者さんと共有する時間も長く深くなる。共有する時間軸には物語性を感じることも多い。わたしにとっては、患者さんというよりも尊敬すべき人生の先輩と言える方々と出会うことが出来る場所かもしれないなと思っている。

そんなことを考えていたときに、ふと本棚に眠っていた詩集の存在を思い出した。わたしが訪問している施設に暮らしていた患者さんが綴ったものだ。

******

ある日の夕方、主治医と一緒にわたしは彼女の居室を訪れた。

「これから、薬剤師さんが薬を届けてくれるから」

それだけを言い残して主治医は部屋を去ってしまった。

・・・(えっ!?)

たぶん、彼女も同じ思いだったはずだ。90歳を超えた女性のところに、たかだか30歳を超えたぐらいの見ず知らずの小娘が突然放り出されたのだ。仕方ないから何か話しかけてやろうか、そんな空気をわたしは感じ取った。少しの失笑から会話が始まった。

これが、彼女とわたしの出会いだった。

それから、2週間に1回ペースで施設を訪問するようになった。他にも5人ぐらいの患者さんの部屋を訪問していたが、彼女の部屋を訪れるのはいつも最後にしていた。どうしても話が長くなるからだ。最後に訪問することで、夕食の時間が来ると話を打ち切ることが出来た。そんなずるい計算もあった。

こうして言葉にすると、わたしもどこかで「高齢者、マジ無理」って思っていたことがわかる。

それでも、彼女の話を聴くのは嫌いではなかった。だから、彼女もわたしを信頼して色んなことを話してくださったのだと思う。ときどき人生論のような話にも飛躍したが、きれいな言葉でお話する方だったので難しく聴こえることはなかった。その他に話すことと言えば、お天気のこと、同じ施設で暮らす人々のこと、主治医が往診に来た時の会話の内容など、至って普通のことばかり。小娘が言うのもなんだが、可愛らしい方だった。

彼女の部屋はいつもきれいだった。一輪ざしにはいつも花が飾られていた。週刊新潮の表紙を創刊当時から描き続けていた谷内六郎さんの絵が好きで、雑誌の切り抜きやカレンダーが飾られてた。

一方、部屋をきれいに保つことには「いつここで死んでも恥ずかしくないように」という彼女の強い覚悟があった。やはり、90歳を超えて生き続けると「死」を感じざるを得ないからであろう。

わたしが訪問するようになってまもなく、彼女は詩集を出版した。当時彼女は93歳、発行した詩集としては11冊目になるそうだ。幸せなことにわたしは詩集を頂くことができた。この詩集には、「老い」によって先祖代々から受け継がれてきた家を守る力を失い、老人ホームに暮らしの場を移した彼女が見たもの、感じたことが、強くてうつくしい言葉で綴られてる。
わたしが印象的だと感じた一文を引用する。

"長い長い航海の果て 傾いて 破れて 錆びついて 横倒しにおかれ 二度と海へもどれぬ山の難破船 窓のあかりがどんなに美しく闇に映えていても ここは山の港 船出のかなわぬ港"
ーー落日の花*¹p113

これは、わたしが訪問している、つまり彼女自身が暮らす老人ホームのことを綴ったものだ。この老人ホームはわたしの働く薬局から北に15kmほどのところにあり、家や店も少なく見渡すと山ばかりのところだ。なるほど「山の難破船」か・・・。うつくしくも哀しい表現に思えた。それよりも、「船出のかなわぬ港」。この言葉には「老いること」に対する覚悟のようなものを感じた。

この詩集の表紙が彼岸花だったのも彼女らしい。彼女は地元秋田で詩集を出し続けた、いわば土着の詩人だ。土着というと、ずっとそこに在る桜の木がイメージに合いそうだが、「私は病院に行かずにこの部屋で死にます」という毅然とした態度や、するどい感性をもつ彼女には彼岸花の燃えるような赤の方が似合っていたからだ。

2011年、彼女が100歳を迎えた年。

彼女は部屋で倒れた。脳梗塞だったそうだ。

彼女は主治医にも「この部屋で死にたいから何があっても病院には運んでくれるな」と意思表示をしていた。だけど、「はい、わかりました」と言えないところに医療の難しさがある。主治医は息子さんに彼女の状態を説明した。

「まだ呼吸しているけどどうします?」

結局、救急搬送されて病院へ向かった。

彼女とわたしのかかわりはここで途切れることになった。退院した後、彼女は他の施設で生きた。脳梗塞によって彼女から言葉という羽を奪われたまま、生きた。

2012年の春、彼女が老衰で亡くなった。101歳だった。

その年の8月。

彼女の息子さんから遺稿詩集が送られてきた。最後の詩集を発行したあとにしたためた作品が見つかったからとのことだ。最後の詩集を発行した後、94歳から100歳で絶筆するまでの22の作品がまとめられていた。訪問した際にノートを見せていただいたことはあるけれど、22もの作品が残っているのは衝撃的だった。老いてもなお、研ぎ澄まされたままの感性だった。わたしはおそらく中秋の名月を見つめながらしたためたであろう、「たましい」という詩がとても好きだ。「いつまで生かされるのか?」「いつになったらお迎えが来るのやら」という長く生きている人たちが感じるモヤモヤした想いを、満月を見つめながら美しい言葉で紡いでいる。市販されている詩集ではないのでこれ以上紹介できないのが残念でならない。

******

彼女の詩集をあらためて読み返したわたしは今、その言葉に突き動かされるようにキーボードを叩いている。最後に出版された詩集の彼女のあとがきを少し長いが引用する。

人の住むところ老人ホームも人の世、余命を人の世話にゆだねる、その矛盾を、福祉という名に変えて、一人、一人が貫いて生きてきた人生観を伝家の宝刀のように秘めながらの集団。(中略)やがて人に預ける命も終りを見れば、私もまた、長く住んだ風葬の村にかえり、そこの土になる。そして、いつの日か、千年の種子のようにこの世によみがえるかも知れない。めぐりめぐる人の世の輪廻。ーー*¹落日の花p137

・・・生まれ変わるその日のために、詩集を出版する決意をしたのだそうだ。

「老いること」と真摯に向き合い毅然と生き続けた一人の女性の人生観が綴られて、圧倒される一文だった。

高齢者=弱者かもしれないが、それ以上に人生の先輩であるという尊敬の念は忘れてはいけないのだと思う。

輪廻ではないけれど、詩集が出版されて数年たった今。

わたしは彼女の言葉をふたたび受け取り、自分で言葉にすることで誰かにつながっていくことを願いながらキーボードを叩いている。

*¹ 「落日の花」坂本梅子

「物語が行き交う場所」
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