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こんな時だから

週末、関西に暮らす学生時代からの友人に電話をかけた。

外出制限されているエリアに住んでいるので、どうしているかなと思い電話をかけた。前半は新型コロナウイルス感染対策に関する話題。ワタシの思い込みかもしれないが、堰を切ったような話しぶりだった。彼女は今、製薬メーカーの生産の部署に出向していて、工場の生産部門従業員から新型コロナウイルスに感染する人が出ないよう、事務方と動線を分けられている話を聞いた。生産がストップすると医療に支障が出るからだ。それから、長年続けているフルートのレッスンの話を聞いた。練習スタジオは一人で使うようにしたり、先生がつくレッスンでも、楽器を人に向けず、壁に向けて吹いたりして気を使っているらしい。
後半は、もう人生の曲がり角に差し掛かった同士、体調管理の話ばかりだった。
あ、スマートスピーカーの話もした。
「あんなん、機械に命令しないで自分でやればいいじゃん!って思ってた」
…おおらかで、淡々としているようで、キビしいところは変わらないねえ。
うまく使いこなしているタレントさんの話を教えたら、そうなのかあ、と納得していた。

正味一時間。電話で育ったバブル世代は、一時間ぐらいの長電話なんてお手の物。テキストのやりとりだと言葉を探してしまうワタシは、電話が好きだ。人の声を直接聴いてわかることもあると思うんだ。そういう意味では、ツイキャスやzoomは嫌いじゃない。

会社の人以外と話すことがなくなった、と友人は言った。一方、人的資源が少ない田舎に暮らすワタシは、そこまでの変化を感じていない。家と会社の往復だけなのは変わらない。だけど、見えない不安と戦っているのは同じだ。

最近、Twitterのタイムラインを追うことに疲れを感じている。医療従事者を多くフォローしていると、どうしてもコロナに関する話題が多い。東日本大震災のころからTwitterを活用し、仕事の上でも便利に活用してきたが、なんだか疲れを感じる。

どうしてだろう?

東日本大震災は、復興していく過程を皆で共有していくからまだよかった。けれど、今は出口の見えない不安と戦っている。刻々と状況が変わる中、自分と家族、職場を守って生きるために確認しなくてはいけない情報が多い。コロナに関係なく、日常を淡々と過ごすのが私たちの役目なのになあ。

というわけで、心を整えるべく久しぶりにnoteを開いた。仕事で考えなきゃいけないことがたくさんあるけど、気持ちが揺らぐと逆に遠ざかりたくなる。書くことで気分転換したくなる。また書こう。

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