春はあたたかで苦しい。
子供の頃の春といったら新学期、クラス替えの季節。元来人見知りだったワタシにとって、新しい友達や担任の先生との関係を築く作業というのは無駄な緊張を伴うものだった。中学、高校は部活というシェルターがあったので教室での緊張を忘れることができていた。どこかめんどくさい性格な割に、大きな決断をするときにあまり迷わないワタシは、あっさり東京の大学を選ぶこととなる。当時、地元の新聞には県内の受験生がどこの大学に合格したかが掲載されていた。ワタシは自分の名前が掲載されているであろう新聞を合格発表の日、家族の誰よりも先に目を通す。…ちゃんと名前があった!一番に父にお伺いを立てた。
『行ってもいい?』『いいよ』
短い会話だったけど、とってもとっても嬉しかったことを覚えている。ただ、抑えたトーンで父が返事してくれたことを思うと、ちょっと寂しかったのかなとも思う。父と違う道を選んだことが寂しかったのか、東北地方を飛び出して東京に出て行くことが寂しかったのか、ちゃんと聞いたことはなかったけれど。
上京して学生生活が始まると、さすがに少しは大人になって色んな人と知り合い、人と関わる経験値が上がっていた。この頃のワタシにとっての春は、新しい繋がりや新たな世界が広がる期待感しかなく、ふわふわした気持ちで過ごすことが多かったように思う。ところが、大人になってからの春は新年度という世の中の句読点の一つでしかなくなる。挙げ句の果てには、別れの季節、物語がリセットされる季節だと思い知らされることとなる。
…………
父は17年前に他界した。5月のことだった。
ガンが発覚し転移していると宣告されてから3ヶ月程で亡くなったのだが、それまでの1年間の彼の行動がなんとも言えない気持ちにさせることばかりだった。従兄弟たちの集まりに参加したときは、思い立ったように自分の母校やゆかりのある場所を巡ったそうだ。そういえばあのとき叔父さんがね、というエピソードを従兄弟から色々教えてもらったのは葬儀の時だった。それから、ガンがわかる前にさっさとお墓を買っていた。
自分の命の〆切を理解していたとは思えないが、自分の気持ちに素直に行動した結果そうなっただけなんだろうと、ワタシは思っている。
ワタシは当時実家を離れて暮らしていたので、そんな父がさっさと準備したお墓と対面するのは葬儀当日となった。
「夢」と、たった一言が墓石に刻まれていた。
え、なんだこれ?
涙が勝手にあふれた。カッコつけたなあ。カッコつけたからさっさとお墓に入りたかったんだろうか?人の最期ってこういうものなんだろうか?死別というイベントが始めてだったし、色んな感情が整理できなかった。はっきりしていたのは夢という言葉にどんな想いを乗せたのか誰もわからないということだった。案外、雰囲気だけで選んだ言葉かもしれない。それから、カバン1つだけ持ってどこかにふらっと旅に出たいと話していたこともあったそうだ。もしかしたら、お墓を作ってから命を閉じるまでの時間をどう過ごすのか、自分なりに想像した結果ふわっと浮かんだ言葉かもしれない。多分そんなに力んで選んだ言葉ではないとワタシは思う。だから余計にカッコいい。残念ながら直接褒めてあげられなかったけど。
…………
翌年の春、ワタシは職を変える、東京を離れる、パートナーと離れる、一気に色んな決断をした。東京を離れる日、手にした新幹線こまちの切符が往復ではなく片道で、とてつもなく寂しかったことを覚えている。途中仙台まで泣き続けたこと、けれども仙台を過ぎてからは明日何をするか思いを馳せていたことも。
自分で決めた道を生きているつもりだけれども、春になるとどうしてもこの時期のことを思い返してしまう。転勤や退職というその人にとって大事な句読点すら、ワタシから大事な人をまた奪わないでくれと発狂したくなることもある。冬が終わって迎える春はあたたかいはずなのに。
春はあたたかで苦しい季節だ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?