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【自分を愛する、とは】自分を大切に、自分を愛そうとして全敗した、赤裸々なシェアと結婚のご報告(2021年05月加筆)


■物語の続きを書きました(2021年5月)

これは2020年に書いた記事ですが、2021年に追加で加筆とご報告を書きました。プライベートなことのため有料部分となりますが、結婚に至るまでの心理的なことや考え、取り組みについてシェアしております。気になる方は最後までお読みくださると嬉しいです。


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自分を大切にする、自分を愛する・・・もはや聴きすぎて耳にタコができている人も多いかもしれません。


「また出たよ・・・」と思うかもしれないですね。それくらい、いろいろなところで提唱され、今や成功法則の仲間入りをしているこの台詞。


10年前にわたしが潜在意識業界に飛び込んで起業した時と、10年後もうその業界から足を抜こうとしている今とで、自分を大切にするとか自分を愛するとかいったことに対する認識はどのように変わってきたか。


一言で表現すると

天と地ほど違う

と言えます。


この記事では、わたしが今心身ともに実感している”自分を大切にする”とは、そして、心身通して経験した”自分を愛そうとして失敗した”実体験を、赤裸々にお話ししたいと思います。


記事は前半と後半に分かれており、後半はややプライベートなことが含まれているため、有料とさせていただきますが、基本的には無料部分だけでも満足していただけるように書きました。


主なトピックはこのようになっております。

ー無料部分ー

■自分を大切にしようと思ったきっかけはいつも恋愛だった?
■大切にしようと、愛そうとするたび窮屈になって言ったわけとは
■それでもやめられず”執着”した結果
■自分を責める材料を探す習慣との決別
■こんなことをしたけど、ことごとく惨敗した
■諦めない姿勢、それこそがわたしの求めていたご自愛そのもの

ー有料部分ー

■自分の弱さを受け入れたとき、大切にする存在が変わった
■”愛から解放された”という感覚の芽生え
■パートナーシップに失敗はないと実感した
■とことんやってみて、そして全部ひっくり返った。
■最後のメッセージ ”ご自愛とは?”

ー加筆部分ー

■結婚のご報告
■そして物語はこのように続いた
■条件にこだわった先にあったもの
■いま、改めて思うこと


かなり長いので、お好きな時にゆっくりお読みください。



■自分を大切にしようと思ったきっかけはいつも恋愛だった?


今、この記事を読んでいるあなたはきっとどこかで自分を大切にすることが、何かしらの成功に繋がるとか、幸運を引き寄せるとか、お金の問題が解決するとか、一度は聞いたことがあるからこそ、ここにたどり着いているのではないでしょうか。


そして、おそらくですが、心のどこかでちょっぴり「ほんとうにそうなのかな?」なんていう気持ちがあってこの記事のタイトルが引っかかっているのではないでしょうか。

そうであるにしろ、そうでないにしろ、わたしが自分を大切にしようと思ったきっかけは、ただシンプルに”うまくいかせたい”からでした。


仕事?お金のこと?人間関係?

いいえ、恋愛でした。


恋愛をうまくいかせたかった。恋愛をうまくいかせるためには、自分を大切にしなければいけないんだ、と書籍や様々なブログで目にして、とにかくわたしは愛情の獲得のために自分を大切にすることを覚えました。


どんな物事にせよ、それをはじめたきっかけってとても大切だと思うんです。

それに良い悪いはありません。きっかけなんて大体最初は不純な動機からはじまることが多いのですから、気にしません。


しかし、最初のきっかけ、つまり”目標”を見失ってしまい、途中から手段と目的が入れ替わることはよくあることでした。

恋愛をうまくいかせたい、幸せな恋愛がしたい、幸せな結婚っやパートナーシップを築きたい・・・そんな気持ちがスタートでしたが、気づけばわたしは”自分を大切にできているかどうか”をひどく監視するような、強迫観念を抱くようにさえ、なりました。


”うまく”大切にできているかな。
”ちゃんと”大切にできているかな?


実はわたし・・・。多分ですけど、いや、多分じゃないな、ほぼ確実なんですけど


小さい頃から自分を、超大切に扱ってきた方


だったんですよね。


これに気づいたのは結構あとだったんですけれど、思い出せば思い出すほど、心の勉強やお仕事をしていなかったときのほうが、ものすごく本質的に自分を大切にすることができていたんです。


できていたことなのに、できていないと思い込んで、できていないから、できるようになろうとするということは、つまり


もともと普通にできていたことは、やらない


わけですよね。


わたしは、もともと知っていたのです。自分を大切にする感覚も、そのあり方も。今ほどうまく伝えられはしないだろうけど、呼吸をするように、自分を大切にし、愛してた。


特に、リュック一つ背負って世界中を飛び回っていたときなんて・・・。もうそれはそれは、すごく自分を大切にしていた旅でした。(この話はまたどこかで)

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バックパッカーをしていたときの自分が当たり前に自分を大切にできていたなら、そのときお金なんてカッツカツのカッツカツだったし(2回言いました)

もちろん人脈もなければ友達もいない、両親とも良い対話はできていないし、ましてや大学休学して人生さまよっていた時期。


しかし、そのあとはわたしは勘違いをするようになっていきました。


自分を大切にするためにはお金に余裕が必要だ。
自分を大切にするには時間の余裕が必要だ。
自分を大切に生きるためにはやりがいのある仕事が必要だ。


さて。あなたにもありますか。自分を大切にするための条件。

それも、後からなんとなく自分の中に蓄積していったもの。肌感覚や自分の体感覚を無視して取り入れたもの、気づかぬうちに自分を脅迫するようになっていった条件です。


あったなら、気づいてみると、まずはいいと思います。


わたしはまず、身体の声を失いました。


本来はどちらかというと、ものすごく感覚的なタイプです。今はかなり元に戻った感じがあるのですが、一時期は身体の感覚を失い、気づいたら自分の中にあるのは”理想という名の標語”だけ。


自分に対する意見。自分に対するモットー
言い方を変えれば”持っとったら批判されずに済みそうなモットー”
(ここ笑うところですよ奥さん)


ここでいっちょ、大切な結論をひとつ。


自分を大切にするとは、身体の声を聞くこと。


そして、自分を大切にする技を磨くとは、


相反する頭の声と心の声と身体の声を、全部聞いてあげて全部諦めないこと。


はて、ちょっと難しく感じそうなので解説したいのですが、続けて読んでいただければ謎が解けるようにしますので、どうぞお付き合いください。


■大切にしようと、愛そうとするたび窮屈になっていったわけとは


とまぁ、いろいろなプロセスを経て、自分を大切にしようと、愛そうと、すればするほど窮屈になっていく感じが増していきました。


自分を大切にしたいという感覚、気持ちはとっくに色あせたモノクロ調になっていて、それはもう空虚なものでした。大切にしたいから大切にする、ではなく、自分を大切にすることは、あらゆることをうまくいかせるための重要なことだからやる、と。

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空虚なことに気づいているのに、それを大義名分くっつけて続けることは結局、一番なんの意味もないことだと今ならわかります。

しかし、執着しているとき、あるいはそれに依存しているときは気づいていてもやめられません。


わたしは、心を専門とした仕事をしているにも関わらず、自分を大切に・自分を愛することに依存し、執着していったのでした。



何かうまくいかないことがあったらすぐ、

「わたし最近自分を大切にしていなかったかな?」

何かネガティブなことがあったらすぐ、

「わたし自分を愛していないかな?」

ひどいときは

「自分を愛せていないからこんなことになるんだ!」


こういう風に思ったことがあるかたはぜひ、挙手してください。エアー挙手でいいです、心の中でひっそりとね。



でね。自分責めに見えますよね。その通り、なんのひねりもありません、自分を責めているのです。


”自分を責める”ために、自分を大切にしているかどうか、愛せているかどうかを、ひたすら気にしていたということです。



つまり、自分を大切にしているかどうか、愛せているかどうか、なんて本当はどうでもよくって、ただ欲しかったのは『自分を責める理由』だったのです。


どうしてこれに気づいたかというと、実は「あ、わたし、自分のこと大切にしたいと全く思ってないや」ということに気づいたからなのです。


自分を大切にしたいと全く思っていないわ!


ことばにするとややネガティブに聞こえるかもしれません。でも、気づいた瞬間は超爽快!


わぁ!わたしこれっぽっちも自分のこと大切にしたいとか、愛したいとか、全く思っとらんわ!!あははははは!


となって、個人的にはチャンチャン♪だったんですけど、流石に間を端折り過ぎていますね。


話を少し戻して・・・

自分を大切にする!
(それで成功するんだ!)

自分を愛する!
(それで素敵な彼をゲットするんだ!)


ってやっていた時期についてもう少し、お話ししたいと思います。


■それでもやめられず”執着”した結果


自分を大切にすることや愛することに対して、窮屈感、焦燥感、そして劣等感のようなものがあったことに、途中ですでに気づいていました。

その度に、「自分を大切にしているブランディング」の方々を見ながら(すみませんちょっと揶揄入ってますw)


どうしてわたしはできないの?
わたしと彼ら彼女らのやっていること、何が違う?


と考えていました。


今思えば、何も違わないんですよね。何も、違わない。

自分を大切にできていそうな人を見て、自分ができていなさそうに見えるのは、自分がそう見たいからだって気づくのはもう少し後のこと。



自分を大切にする、自分を愛する!これに無意識的に執着した結果わたしが得たものは、原因不明の体調不良や偏頭痛、アップダウンの激しすぎる感情と強い怒り、そして自分に対して常に感じる「わたしは嘘つきである」という感覚。


わたしがこのとき、主に実践していたのは以下のようなことでした。

・自分のやりたい!と思ったことをしてあげる
・自分に好きなものを買ってあげる
・自分の気持ちを聞く
・自分の感情の声を聞いてあげる
・自分の直感を大切にする
Etc…


あれ?どれも有名な本やブログに書いてあることですね!しかも、秦由佳さんも直々にそういう本出してますしね!(えへ)


これらのやり方、方法、心がけが間違っているわけではないんです。これらは全て正論です。


もう一度言います。

これらは全て、正論です。

でも。正論って、使われるべき瞬間が大切だと思うんですね。


正論は答えそのものではなく、本質を理解する手助けする道しるべ


世の中にはたくさんの正論や正当法がありますが、その本質を理解し、自分仕様にカスタマイズすることが大切なんだと私は考えています。


■自分を責める材料を探す習慣との決別



「わたしこれっぽっちも自分のこと大切にしたいとか、愛したいとか、全く思っとらんわ!!!」


と気づいたのはかなり大きな発見でもあり、衝撃でもありました。あれだけ日々、自分を大切にする方法を探していたのに、わたしの内側では(わたしの女性性は)大切にして欲しいとは思っていなかった。



しかし、これだけでは語弊があります。


大切にして欲しくないわけではありません。むしろ、「大切にされるべき存在である」ことが大前提だから、まずはその真実を骨の髄まで理解して欲しい!という方が適切かもしれません。


わたし自身がわたし自身に何よりも求めていたことは・・・

”わたしの声を聞き、わたしの声に素直になること”

でした。


ここでいう”わたし”とは、女性性のことです。


つまり、わたしの女性性は、わたしの男性性に対して

「わたしの声を聞いて欲しい」
「わたしの声に素直に導かれて欲しい」


ということでした。


これがそのままイコール、”自分を大切にすること”と同じ意味でした。

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しかし、わたしは自分の声を聞かずに『勝手に思い込んでいる方法』で自分を大切にしようと思っていました。

「わたしはこういうのが好きなはずだから」
「わたしはこういうことを求めているはず」


それは、わたしの男性性が持つ、自分勝手で、ヒロイズムに満ちた、なんとも雑な戦略でした。

女ってこういうものが好きなんだろう?男ってこういうのが好きなんでしょう?ただそれだけでは相手のこと全く見えていませんよね。わたしがわたし自身に対して、そうだったのです。



『だって、あなたを大切にしたら、成功するんでしょう?』

『あなたを大切にすれば、あの人から愛されるんでしょう?』


ベクトルは一体、どこを向いているのでしょう。これでは、エセの自己愛ですし、なんちゃってご自愛ですよね。



色々面白いことやらかしていたので、わたしの失敗談をシェアしたいと思います。


■こんなことをしたけど、ことごとく惨敗した


●休みたくないのに休んでた


わたしの人生に休日はほぼないんです。

なぜなら、仕事や創作のやっているあらゆることがやりたくてやっているから、あっちを休んでもこっちをやってる、という感じで、とてもポジティブな意味で人生に休みがありません。

やっている仕事の全てがクリエイティブであり表現であり、本気の趣味でもあります。

しかし、なぜか休まなきゃ!休まなきゃ!と思っていました。


もちろん、疲れた時や身体のケアは欠かせません。でも、どこか・誰か・何かと比べて、本当はやりたい、あれをしたい、あれを書きたい、これを続けたい!という”声”があるのにも関わらず

今寝ないと朝起きられないから

とか

今休まないといけないから

とか

本当は見えているヴィジョンがあるにも関わらず、それを無視して、形だけの休暇を取っていました。休んでも休んでもチャージされず、悪循環でした。


●食べたくないのに食べさせた


これも休む、と似ています。食べたくないのに、時間だから・・・とか、ちゃんと食べなきゃいけないから・・・とか。

あとは、いいお店にいって高級なディナーをすれば自分が満たされると勘違いして、”声”を聞かずにそればっかりしていた時期もありました。

自分にお金を使えばご自愛できると、勘違いしていたんですね。


250円のお弁当が食べたい時もある。500円の牛丼が食べたい時もある。午後15時に夕食を食べたい時もあるし、1日1食で十分な時もある。


それなのに、わたしは”リアル”にいなかった。


今食べとかなきゃ時間ないし。
タンパク質摂らなきゃいけないし。
粗食じゃ体力がなくなるし。


今は、あえて表現するなら以前より”適当”です。(今朝の朝食は松屋の牛丼ですが朝食は月に数回しか食べません)


●料理好きな人になりきっていた


ごはんを作るのが好きです。でも、それは作りたいときに限ってのみ、です。外食も好きだし、人のごはんを食べるのも好きだし、なんなら食べないことも、好き(笑)

それなのに、男性性が勝手に憧れたのでしょうか、”自炊をする女”になりきってしまってたことがあります。


自炊をする女(笑)自分で書いてて自分で笑っちゃいます。


イメージが見えていない、あるいは作りたいものが無い(むしろ、あそこに食べに行きたいというのがはっきりしている)にも関わらず、気づけば自分自身に”自炊する女”を押し付けていたのです。


●したいのにかっこつけた


本当はあれをしたい、というのがはっきり”見えて”いるのに、カッコつけてやらなかった、自分らしくないんじゃないか、という理由でやらなかったりしてました。

例えば、昔はコスパの良い低価格のブランド(だけど人気)のお店には入らない!といった、男性性の勝手なプライドがありました。


これも、「ご自愛は自分にお金をかけてナンボや」みたいな謎の執着があったのでしょう。1500円のスカートになんてなびかない、そんな自分でいたかったのは、ただの男性性が持っていたかっこつけだったのです。


●旅行に出れば自己愛できると思っていた


ビジネスクラスに乗って、いいホテルに泊まって、旅行でもすれば自分が喜ぶと思っていた時期がありました。

今は何にもお金をかけずとも旅行気分で入られますし、かけたいときはお金をかけます。でも、一時期は、とにかく現実から離れる時間を取れば取るほど自分の心が満たされると思い込んでいました。行きたいときに行けばいい、けれど、”余裕のある旅ができる自分って素敵”という、これもまた自分の声をある意味無視した勝手な自己愛だということに、当初は気づきませんでした。


■自分の弱さを受け入れたとき、大切にする存在が変わった話


いかがですか?

どれも一見、自分を大切にしているような感じがするんですよね。わたしもそう思い込んでいました。しかし、形だけで中身がなかったのです。箱だけ素敵で中身のないプレゼントを自分に送りつけてた、みたいな。


ここまで読んで「あっ・・・」と気づくポイントは人それぞれ違うと思います。


わたしは、自分を喜ばせなきゃ喜ばせなきゃ!と思いすぎて逆に、自分の喜びを勝手に決めつけるようになってしまったのです。


・自分のやりたい!と思ったことをしてあげる
・自分に好きなものを買ってあげる
・自分の気持ちを聞く
・自分の感情の声を聞いてあげる
・自分の直感を大切にする
Etc…


これらはどこの本でも、どの先生も教えてくれていることです。


だけど、本当に大切なのは「何のためにやるの?」ということ。


成功するためにご自愛するの?
愛されるために自分を大切にするの?
お金を引き寄せるために自分を大切にするの?
痛みを感じないようにするためにご自愛するの?

・・・


実はわたしが最終的に心の底から”自分を大切にするってこういうことなんだ”と分かったのは、恋愛やパートナーシップの関係を通してでした。


『そういうことを望んでいるんじゃない!わたしのことをもっとよく観察して、わたしのことをもっとよく見て』

『勝手に思い込んだ自分の愛し方をわたしに押し付けないで』

『わたしが求めていることはそんなに大きなことでもお金がかかることでも、すごいことでもないんだよ』


いつも、自分のパートナーに対して思っていましたが、これは紛れもなく自分自身に対して思っていたこと。


そして、自分自身からのどんな些細な要求も、”叶えられるかどうかじゃなくて、叶えようとするかどうか”その姿勢そのものが、重要だったのです。



■諦めない姿勢、それこそがわたしの求めていたご自愛そのもの


わたしの女性性は、わたしの男性性(思考)からするととんでもない要求をすることがあります。


わたしの中にポンっと生まれるイメージ、ヴィジョン、インスピレーションは時に、わたしの思考からするとぶっ飛んでいて、実現不可能で、とてもじゃないけれどやりたくない(と男性性が思う)ようなことがかなりの頻度であります。



それを、昔は取捨選択していました。


無理そうなもの、怖いもの、失敗したくないものは、勝手に「トライするに値しないもの」へと放り込み

難なくできそうなこと、人が喜びそうなこと、わかりやすく結果が出そうなこと、それだけを採用していました。



本当は、できるかできないか、実現するかどうかなんてどうでもよくって。


全部採用して欲しかった、そしてトライして!そう言われ続けていました。


「そのトライする姿勢、見えた世界を見えたヴィジョンを、どんな些細なことでも諦めないこと」


それこそが自分に求めていた”ご自愛”だったのです。


もちろん、いつもいつも、実現不可能そうなことではありませんが、どんな些細な声も否定せず、どんな些細な声であっても必ず一度は採用する!と決めてからは

今まで無視していたような、無謀で厄介なヴィジョン(だけどエネルギーに満ち満ちていてとても臨場感があるもの)がどんどん自分の中に流れ込むようになりました。



そして、鍛えられました。


わたしの男性性は、そのヴィジョン、そのインスピレーション、その実現不可能そうな臨場感あるイメージに対して


『いやー、無理だっぺ』と軽く流したり
『なんてことを想像するんだ』と否定したりせずに


とにかく一度はトライする。


失敗するかもとか、やってみてもできなかったら嫌だから、とか実現できなかったら敗北感がすごいから、という理由で邪険に扱わないことで、本来持っている男性性のものすごいクリエイティビティが発揮されるのを感じました。


その中で、本当に実現しなかったこともあります。しかし、9割は、何らかのシンクロニシティや、奇跡とも呼べるようなタイミングや助け、チャンスなどによって形になっていきました。


そうやって、少しずつ少しずつ、自分の中にいる男性性が自信や自己信頼を取り戻していったのです。



わたしはわたしに、大切にされることとか自分を愛することとかを求めていたわけではなかった。


わたしが求めていたのは、わたしに訪れるリアルなヴィジョン、見えた世界、どんなに難しそうで怖くてもそこに突き進む勇気と姿勢そのものだったのです。


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さて、ここからはちょっとプライベートな話、わたしにとって最も大きな気づきを与えてくれた恋愛とパートナーシップの実体験をシェアしていきます。


お相手のプライバシーに配慮してちょっとうやむやにすることもありますが、相手があっての話なのでここからは有料にさせていただきます。


■自分の弱さを受け入れたとき、大切にする存在が変わった


どんなプロセスがあったかはちょっとさておき、今のわたしの感覚をまずは共有させてください。

まず、恋愛に関して。

異性や他者からの愛を欲しいという感覚が、綺麗さっぱりなくなりました。

というより、「愛されているということ」を認識することへの執着が全くなくなり、誰よりも自分自身に好かれていたいという感覚がとても強いです。


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もし人生が無条件に自由で豊かだったら何をするかと言われたら書く、というくらい書くことが生きる上で欠かせない人間です。10年間の集大成を大放出します。サポートは全て執筆と研究活動に使わせて頂きます