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はたして学歴に意味はあるのか?

前回、「どうやって自分は作られた?」というタイトルで、1冊本を御紹介したが

今回は自分の価値観に影響を与えた「人」の話。

これで言うとやはり一番大きな影響を与えている人の1人は間違いなく「母親」。

教育ママだった母親

僕の母親はいわゆる「教育ママ」(←この言葉で皆がどんな人を想像するかわからないけど)で、小さい頃は往復ビンタをされて育った。

一定の歳になるまで、どこの家庭でもそういうもんだと思ってたけど、どうやらそうでもないらしい(笑)。

(知らない人のために誤解のないようにお伝えすると、母親との仲も含めて、家族関係は極めて良いことを付記しておきます(笑))

中高一貫校(進学校)を経て、国立大学へ

親うちの母親は、「親が子供にできることは教育だけ」ということで、僕も7つ下の妹も中学から私立の進学校に入れてもらった。決して裕福な家というわけではないので、今思えば結構大変だったと思うが、母親曰く、「僕が小学校よりも、塾の方が楽しそうだったし、勉強が好きそうだったから中学を受験させた」と言い、僕は「(受かったらスーパーファミコンを買ってあげるという餌も使いながら)母親が描いたレールに乗せられた」と言い、ここは意見が食い違うところだが、

何はともあれ、僕は中高一貫の進学校に通い、受験勉強を頑張った結果、大学は国立大学に進学することになった。

で、「はたして学歴に意味はあるのか?」

で、今回のテーマである「はたして学歴に意味はあるのか?」という問いに対する自分なりの答えだが、結論としては、「意味はあったと思う。ただし、そこ(学歴)に安住してしまうと後できつくなるかも。」という感じだろうか。

何を言わんとしているかと言うと、これまで僕も2回転職を経験しているが、「一橋卒」ということで、もし学歴がなかった場合と比べたら書類で落とされる確率はおそらく減っているのは間違いないだろうというのと、最初の面接をする面接官の印象にも多少なりともプラスの影響を与えているのではないかと思う。

が、一方で。「一橋大卒」という肩書きは、最終的にその人を積極的に採るか否かジャッジする際の決定的な理由にはなり得ない。それは、一橋卒ということを示しているだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。

学歴が、成長を阻害する危険性。

先日もこんな記事があった。

どこ大卒、なんてのは、きっとそれなりに受験勉強頑張ったのね、ということを示しているだけであって、大事なことは、その人が何を思い、どんな経験をして、これからどこに向かおうとしているのか。

言うてみれば、その人の生き様が学歴の価値を決めるんであって、学歴自体にそれ以上の意味は特にない。

そういう意味では、「経歴」や「肩書き」も同じ。

世の中、自分の肩書きに安住してしまっている人、肩書きがあるが故に身動きが取れなくなってしまっている人、肩書きがあるが故にそれが不健全なプライドになってしまっている人が、たくさんいるなぁと思う。

逆に、学歴や肩書きに捉われずに、自由奔放にチャレンジしている人を見ると、素敵だなぁと思う。

さて、これから世の中はどんな方向に向かうのかしら。

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