「それ誰が決めたの?」
僕が良く誰かから何かの相談をもらった時に、あるいは自分自身に対してよく投げかける問いの1つに、
「それ、誰が決めたの?」
という問いがある。
世の中、誰が決めたかわからない「普通」で溢れかえっている
普段生きていると、僕らはどこまでが「普通」で、どこまでが「普通じゃない」のか、良くわからなくなることがある。
例えば、僕のところに良くある相談の1つに、転職なども含めたキャリアの相談があるが、
その中で良く聞く話として、「転職って◯◯歳越えると厳しくなるって聞いたんですけど、、、」という話がある。
これに関して言うと、答えは「まぁ一般的にはそうなんじゃない?」「転職エージェントさんに相談すればそう言われるんじゃない?」という答えになるが、僕からするとそんな常識クソ喰らえである。
だから何なのよ。仮に一般的にそうだとして、それがどうしたの?
転職エージェントさんが持っているデータや肌実感として仮にそうだとしても、僕から言わせれば、それは今の転職の仕組みの中で考えるからそうなだけであって、世の中見渡せば40歳越えようが、50歳越えようが、転職してる人はいくらでもいるわけで、要は「どこに目を向けるか」に尽きると思う。
難しいと思えば難しいだろうし、簡単だと思えば簡単なのだ。
言葉が世界を作っている
「そうは言っても、それは一部の優秀な人達の発想でしょ?」「精神論でしょ」という声が聞こえてきそうだし、別にそれを否定する気もさらさらないが、そう思っているうちは、何の可能性も生まれない。
同じリンゴを食べて「美味しい」という人と、「マズい」という人がいるように、世の中は「事実」と「解釈」でできていて、それが「リンゴである」ことは仮に事実だとしても、それを美味しいと思うのか、マズいと思うのかは、あくまであなたの解釈でしかない。
同じように「転職は◯◯歳を越えると厳しくなる」という「一般常識」(あえて事実とは言わない)を聞いて、「その通り」と解釈するのか、あるいは「だからどうした?だって転職してる人なんてゴロゴロいるじゃん」と解釈するのか、でその人の人生は作られている。
つまりは、「解釈」であり、「言葉」が世界を作っている。
常識の枠の中で生きる
あなたがもしどこかの誰かが決めた常識の枠の中で人生を終えたいのであれば、それはそれでいいと思う。それはきっと大多数の人が共感してくれる人生であり、それはそれできっと幸せなのだと思う。
でも、もしあなたがそんな大多数の中から抜けて自分が思う人生を生きたいのなら、どこの誰が決めたのかもわからないくだらない常識に捉われずに、「え、それ誰が決めたの?」という問いとともに、自分らしい人生を生きる道を切り開いていってくれたらなと思う。
そのためにまず何をしたらいいか?
それは簡単。常識に捉われずに生きてる人達の生き方に直に触れること。勇気を出して、そういう人達の輪の中に身を置いてみること。最初は居心地が悪いと思うけど、そんなの最初だけ。
一人でモヤモヤしてるだけじゃ何も変わらないし、そんなことしてるうちに人生すぐに終わっちゃうよ。
ということで、今日はここまで。
僕が夜中ふと書きたくなって書いたこのnoteが届くべき誰かに届きますように。
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