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私が小説を書く理由

原点は、友達一人一人にあてて書いた「手紙」

 学生時代の私は、手紙魔だった。週一通以上は書いていたと思う。大学時代だけ取っても、52週×4年間で、200通を超えるはずだ。宛てる相手はそれほど多くなかったが。とりわけ、一番仲の良い友人との間では、交換した手紙を納めるのに、箱が必要になるほど書いた。

 当時は、なぜ自分が憑りつかれたように手紙を書くのか、動機は殆ど言語化できていなかった。しかし今振り返ると、おぼろげながらも気づいてはいたのだ。人間のかなり根源的な強い欲求として、受け入れられたい、理解されたい、肯定されたいという思いがあることに。

 気心の知れた友人に宛てて、彼女らを受け入れ、理解し、肯定し続けるつもりで書いた手紙は「泣ける」と言われた。

 なぜ友達を泣かせる手紙が書けたか。たぶん、私自身が誰かに言ってもらいたいことを書き続けたからだと思う。告白したけど振られた、付き合ってたけど別れた。そういう場面で「私が彼女だったら、きっとこう言われたら救われるだろうな」と、考え続けていた。
 特定の友達に個人的に書いた手紙は、私自身にとっても癒しになった。 

 そういう体験を、不特定多数に宛てて、できたらいいな。
 この気持ちが創作活動の原点にあると思う。

もう一つの原点は、失恋ソング

 学生時代の私は、全く恋愛がうまく行かなかった。なにせ当時は、自分ですら自分のことを受け入れていなかったのだ。そんな奴が、うら若く人生経験浅い同世代の異性に受け入れられるわけがない(と今は思うんだけど当時はそんなことは分からなかった)
 好きな人には好かれない。好いてくれる奇特な人がいても、恐怖でハリネズミのように身体じゅうの毛を逆立てて警戒して、遠ざけてしまう。だから、恋愛に関しては圧倒的な非リア充だった。

 失恋なんて、しょっちゅう。だから失恋した時の辛い悲しい気分すらも娯楽にするしかない。楽しまなければやってられなかった。そんなある時に出会った、ある失恋ソングに、私は圧倒された。

この曲、私のことを歌ってるみたい

 感激して、ラジオから録音か何かして繰り返しカセットテープで聴いた記憶がある(年がばれる)。

 この話にはオチがある。なんと、私の妹も、全く同じことを考えて、全く同じ曲を聴いていたのだ!!

 この事実に気づいたとき、「なんだ自分だけの曲だと思ってたのに」よりも先に、私は、普遍性を持つポップソングの力に圧倒された

あー、生きててよかった。この本読んでよかった」
 誰か一人にでも、そう思ってもらえたら、私の小説は報われる
。一人の人間が、一生のうちにできることは少ない。そのごく僅かな人生の成果の中に、誰かの心を動かした文章が入っていたら素敵だなと思って書き続けている。

恋愛小説ばかり書くのは、代償行為なのかもしれない

 若かりし頃は、大の苦手だった恋愛について書き続けているのは、私が一番興味のある人間関係だからなのだと思う。全ての始まりであり、浮き沈み含めて、多様な感情の動きが味わえる。
 人生が一番うまくいってなかった時期、恋愛もうまくいかず、自分の心を持て余し、考え込む時間が長かった。あの頃の私は、とても答えが欲しかった。誰かに認めてほしかった。

 不器用だった若き日の私自身に対する手紙を、今の私は書き続けているのかもしれない

 今はうまく行かないことだらけで、辛いばっかりかもしれないけれど。生きてて良かった、こんな自分も悪くないって思える時が必ず来る。そばにいてくれる人が必ずいるから。

 かつての私と同じようなあなたにも、そっと伝えられたらいいなと思う。

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