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父は床屋で僕のことを待っていてくれた話。

間もなく6月。父の「命日月」なんです。

なので汗ばむこの季節になると父のことを思い出します。やはり家族の話題は尽きませんね。

なので今回はそのお話しをお届けします。

父が亡くなる1年ほど前。母が膝関節の手術をした時の約4ヶ月(9月から12月まで)父を僕の家で預かりました。

当時の僕は、お酒も飲んでいたので、休みのたびに父を連れ出し、おっか〜(妻)の運転で当時住んでいた家の近所をあちこち、飲みに連れて行った。

父も楽しそうにしてました。

その一時同居のある日のこと「ゴロー悪いんだけど、床屋に行きたいんだよな」と父が言う。

たしかに、ごま塩の坊主頭が「使い古した筆」のように「ボサボサ」に伸びていました。

ならばと、休みの日曜日の夕方、父を床屋に連れて行きました。「帰りに迎えにきますから」と店主に告げ、僕らはスーパーへ買い出しへ。

ところが運が悪く、スーパーは大混雑、帰りの道路は事故渋滞。いつもは大体1時間もかからない位で戻って来れるのに、その日は1時間半ちょいかかってしまった。

やっと床屋さんが見えてきてドアの前に目をやると、車道をじっと眺めている父の姿が見えました。僕が散髪代の会計をしていると、床屋のご主人が「お父さんお待ちかねでしたよ」そっと耳打ちしてくれました。

父に「待たせて悪かったねぇ」と僕。

父は「そんなに待ってねぇ〜よ」と強がりを言ってたっけ。

表に出て道路を挟んだ反対側の駐車場に行く途中そんなやり取りをしながら、父の手を取り横断歩道を渡る。

その時の手の温もりが未だに忘れられません(涙

けどその晩、スーパーで買った「まぐろブツ切り」と「イカ刺し」を肴に成田の地酒「長命泉」で父と僕、おっか〜(妻)の3人で大いに盛り上がりましたけどね。

「長命泉」をたらふく飲んだのにその後1年で天国に逝ってしまった父。でもこんな親孝行みたいなことが出来たことに感謝したいです。

さてさて、命日に近づくことだし、他にもエピソードがないか、父の遺影とにらめっこして思い出してみましょうか。

けどですね「親孝行したい時に親はなし」と言うじゃないですか。やっぱりしみじみそう感じます。もっと親孝行したかったな〜と、いまはそれが心残りですね。

では今日はここまでにしましょう。

それじゃまた〜👋👋👋

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