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将来のサッカー日本代表監督に大岩剛を推す3つの理由

僕は昔から、将来のサッカー日本代表監督に大岩剛を推している。激推しというわけではない。「大岩剛とかいいんじゃない?」というレベルの推しだ。

反射的に「何を言ってるんだ」と思う人も多いだろう。だが、何となく推しているのではない。それなりに理由はある。

それを、大きく3つに分けて記述する。
※なお、これは森保一現監督の否定ではない。「将来の」と書いていることからもお分かりいただけるだろう。

1、主力の不在に影響されない

大岩剛は、主力が抜けても大崩れしない。彼が昨年まで率いていた鹿島アントラーズは、(なぜか)毎年のように主力が負傷離脱するチームだ。それも複数人。加えて昨年は主力の退団も相次いだ。客観的に見ても、戦力的には中位レベルだったと思う。だが、そのような試練に晒されても、鹿島は3位だった。お世辞にも内容が良かったとは言えない。しかし、大幅な戦力ダウンに遭っても上位に食らいついたことは、もっと称賛されていいと思う。

日本代表は昔から主力に依存しがちだ。かつては本田、遠藤、長谷部だったが、昨今では大迫、柴崎、長友への依存が強い。彼ら絶対的な主力が負傷したり所属クラブで干されたりすると、代表チームの戦力も目に見えて落ちる。それはサブの選手の実力不足というよりも、彼ら3人の個の能力に依存する戦い方を採用しているからだろう。

もっとも、優れた能力の持ち主がいればある程度依存するのは仕方ない。それに、これは日本に限ったことでもない。どの国にも絶対的な主力はいるし、彼らが欠けただけで別チームになる国も多い。欲しい選手を補強できない、練習期間が短い、スポンサーが口出ししてくる… 等々の制約がある以上、代表チームはそうならざるを得ないのかのもしれない。

その点で大岩剛には、主力が多数欠けてもチーム力の低下を最小限に抑えた実績がある。主力に依存し過ぎない、あるいは依存していた主力が離脱しても、控え選手で上手くやりくりできる。彼が代表チームの監督に向いていると思う理由の一つ目は、これだ。

2、戦術がシンプル

大岩剛の戦術は、最近流行の欧州流ではない。南米流に近い日本流だと思う。「一番日本人向き」との声も根強い4-4-2システムをベースに、守備を優先的に組織し、攻撃はシンプルであまり手数をかけないようにする。

このサッカーは、攻撃面の選手頼み感が否めず、戦術マニアたちから「和式」と酷評されてきた。
確かにクラブチームの戦術としては物足りないかもしれない。しかし、代表チームの戦術としてはどうか。
代表チームは、毎日一緒に練習できるクラブチームとは違う。様々なクラブで様々な戦術を叩き込まれている選手たちが、試合の1〜2週間前に集まって、パッと練習して、試合に臨む。そんなことばかりだ。
僕はそんなチームに、クラブチームで流行っている複雑でロジカルな欧州流戦術を期待しない。もちろんクラブチームばりの戦術で戦えたら最高に楽しいが、そうするにはザックジャパンのように「主力を固定して同じ戦術を採用し続ける」か、カタール代表のように「クラブチームをほぼそのまま代表にする」かしないと厳しい。そして、どちらもあまり良い戦略ではない。

その点、ベーシックな大岩流サッカーは非常に代表向きだと思う。良くも悪くもシンプルで、代表に浸透させるにはちょうど良いくらいの難易度だと思う。
ちなみに、彼の採用する4-4-2というシステム自体が、格上相手に守備的に戦うことに向いている。かと言って格下相手に機能しないわけでもない(例:アトレティコ・マドリード)。なので、サッカー中堅国の日本に向いている気がする。
また、鹿島での戦績を見ても、大岩剛の4-4-2の質には一定の信頼を置ける(格下相手の戦いには少し危うさもあったが)。これが理由の二つ目だ。

余談だが、日本人監督として最も優秀なのは片野坂知宏、下平隆宏、鬼木達の3人のうちの誰かだと思う。しかしながら彼らが、制約だらけの代表チームで、クラブチームで魅せているようなサッカーを組織できるとはイマイチ思えない。似たようなものは作れるだろうが、同質のものは作れない。彼らの良さを存分に発揮できるとは考えにくい。それは広島での森保一と代表での森保一を比較すればお分かりいただけるだろう。

「クラブ監督と代表監督は別物だ」とアンチェロッティは言った。片野坂氏らはクラブチーム向きの監督であり、代表チーム向きではない。そして、代表チーム向きなのは、大岩剛のようなシンプルなタイプだ。僕はそう思う。

3、修正力が高い

大岩鹿島を見ていた人なら、一度はこう思ったことがあるだろう。
「なぜそれを前半からやらないのか」
「なぜ前半からベストを尽くさないのか」

そう、彼が率いていた鹿島は、
前半…酷い有様
後半…別チームのように強力化
ということがよくあった。クラブワールドカップのグアダラハラ戦がその最たる例だ。
この試合に関しては、最も信頼できるサッカー記者の1人・河治良幸氏が解説しているので、リンクを載せておく。

世界舞台でも変わらなかった「鹿島らしさ」。グアダラハラに逆転勝利の理由/クラブW杯準々決勝 https://www.goal.com/jp/amp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%88%9E%E5%8F%B0%E3%81%A7%E3%82%82%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%95%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A9%E3%81%AB%E9%80%86%E8%BB%A2%E5%8B%9D%E5%88%A9%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96w%E6%9D%AF%E6%BA%96%E3%80%85%E6%B1%BA%E5%8B%9D/14upch3edddqzyqpyj7uvff9?utm_source=twitter&utm_medium=amp

なぜ修正力が大切なのか。その理由は、初期プランが上手くいくとは限らないことと、代表チームでは初期プランが上手くいかなかったときのリスクが大きいことである。

代表チームは情報戦・駆け引きの要素が強く、親善試合では戦術を隠すor選手を見極めるべく、戦術面で本気を出さないチームが大半だ。
ゆえに、真剣勝負で初めからプランが完全にハマることは珍しい。(ハリル時代のオーストラリア戦は稀な成功例だが、あれは対戦相手の監督が「自分たちのサッカー」にこだわるポステコグルーだったのも大きい。あの時のポステコオージーはザックジャパンに似ており、質は高いが対策もしやすかった。一方他の国相手では、戦略家のハリルでもそう毎回上手くはいかなかった。)
真剣勝負では「対戦相手が、対策して丸裸にしたチームとは別チームだった」なんてことがザラにある。本戦でいきなり別チームになるのだ。その好例は、南アフリカW杯の岡田ジャパンとロシアW杯の西野ジャパンだろう。両者とも、戦略というよりは単に直前の混乱から戦い方を変化させただけであったが、そのおかげで対戦相手のスカウティングを潜り抜けることができた。対戦相手は相当焦っただろう。

繰り返しになるが、事前に用意したプランがハマらないことはザラにある。さらに代表の試合は一発勝負の要素が強いので、シーズンを通してではなく「試合中に」修正しなければならない。
「修正力の大岩」は、これに関して非常に強い。昨年度は修正が上手くいかずにズルズルと負けることもあったが、それを差し引いても彼が率いていた鹿島アントラーズの修正力には、凄まじいものがあったと思う。

これは、代表監督の能力として非常に心強い。

補足 重圧を背負って世界と戦った経験

この記事を公表した翌日、しゅー@サッカー垢さんから「大岩監督は代表の重圧にも強いかもしれない」という旨のコメントを頂いた。これは完全に盲点だったので、以下に補足として付け足しておく。

彼は常勝軍団でプレーしたのち、監督に就任し、どちらでも相応の結果を残してきた。その時点でかなりのプレッシャーだったと思うが、加えて彼はACLやクラブワールドカップでも指揮をとっている。特に、ACL決勝やクラブワールドカップでは、ある意味「日本を背負って」世界と戦ってきた。重圧の中でも結果を残すメンタリティが、彼には備わっていると思う。

日本代表監督が背負う重圧は尋常でない。国だけでなく、日本屈指の人気コンテンツの先行きをも背負っているのだから仕方ない。岡田武史氏の発言の数々を見ても、その恐るべき責任の重さが推し量られる。
その重圧は、ACLやクラブワールドカップよりもだいぶ重いとは思う。

しかしながら、雲泥の差とまではいかないし、「日本を代表して、世界中の注目が集まる舞台で、世界各国の多種多様な特色を持つクラブと戦う」という点で、性格的に全くの別物でもない。
ゆえに、「大岩剛ならば代表監督特有の異常なプレッシャーに耐えながら結果を残せる」と推測することは十分に可能だと思う。

「大切なのはチームのメンタルであって監督のメンタルではない」と思う人もいるかもしれない。しかし、監督の仕事はサッカーの指揮だけではない。選手のコンディション、モチベーション、メンタルのマネジメントも重要な仕事である。また、上司である監督のメンタルは、部下である選手のメンタルにも直接的に影響を及ぼす。その意味でも、怯むことなく何度も大舞台で戦ってきた彼の経験は、必ずや大きな武器になると思う。

不安要素

ここまで、彼を日本代表監督にするメリットばかり書いたきた。しかし、もちろん不安要素もある。

Ⅰ.欧州流から離れていく恐れ

代表チームに欧州流の複雑でロジカルな戦術を組み込むのは非常に難しい。大岩サッカーのようなシンプルな物の方が合っている。そう書いた。
しかしながら、いくら代表チームとはいえ、基本的なコンセプト・基盤をなす決まりごとを欧州流にするくらいは可能である。
欧州流is最強のこのご時世、基本的なところは欧州流にすべきとの意見は多く、説得力がある。現に、「代表チームにクラブチームのような戦術は無理だ」と理解している人でも、森保一をこの点で批判することは多い。
ところが、鹿島でのサッカーを見てきた印象だと、大岩剛はそういった基本的なところまで南米寄りの日本流にしてしまう可能性がある。果たしてそれで良いのか。世界から取り残されないか。そのような不安を感じないと言えば嘘になる。

もっとも、大岩剛が岩のように頑固に今のスタイルを継続するのかはわからない。欧州流のメソッドを学び、自分の良さと融合させていく可能性は十分にある。それに成功すれば、この不安は消滅する。

Ⅱ.一部シンプルでない戦術

彼の戦術はシンプルであり、その点で代表チームに向いていると書いた。しかしながら、そこまでシンプルなわけでもない。
まず、彼はセンターバック出身だけあって守備にはこだわる。クラブチームほどではないにせよ、守備陣には相応の対応力が求められるだろう。
もっともこれはハリルジャパンにも言えたことであり、そのハリルがディフェンダーたちから好評だったことからも、守備に力を入れる姿勢自体は問題ない。あくまで、浸透させるのはそこまで容易でないという話だ。

より不安なのは攻撃面だ。個人能力に頼る南米流寄りとはいえ、彼に攻撃戦術が無いわけではない。セルジーニョと鈴木優磨がコンビを組んでいた頃の横並び2トップには戦術面の洗練が見られた。
全体的にはシンプルだが、2トップのところはシンプルでないのだ。
2トップシステムではフォワード2人の連携が非常に重要になる。当然ながら相性もある。これを、時間も人材も限られている代表チームで、的確に成熟させられるだろうか。

森保ジャパンが2トップを採用したときの様子を見ると、案外難しくなさそうに思える。しかし、あれは所詮格下相手の試合や親善試合でのことである。
絶対に負けられない代表戦では、相手の質も強度も精神的なプレッシャーも別物となる。そこで2トップを機能させられるかは、近年本格的に実践した監督がいない以上、わからない。大岩サッカーの特徴からして、仮に2トップが機能しなければ攻撃面が全く上手くいかなくなるリスクがある。
前述した「世界の潮流に取り残されるかもしれない」とは違い、こちらはより具体的な不安要素である。

Ⅲ、試合前のプランの質

大岩剛は修正力が高い。試合中に修正を施して結果を残してきた。これは心強い長所だ。
しかしそれは裏を返せば、修正せざるを得ないということでもある。なぜ試合前のスカウティングで失敗するのか。なぜ前半が上手くいかないことが多いのか。
これに関しては監督1人でプランを練るわけでもないし、一概に大岩剛の力不足というわけにもいかない。しかし、多少は彼の問題だと思う。いくら修正力が優れていても、前半上手くいかないうちに複数失点してしまえば取り返すのは難しい。前述したグアダラハラ戦も、クォン・スンテの神セーブで前半を凌げたおかげで後半から巻き返せたものの、あれが無ければ敗退していた可能性は十分にある。

前述した通り、予定していたプランが上手くいかないなんてことはザラにある。ただ、彼の場合はそれが他監督よりも多くなりそうなのだ。この、立ち上がり(というか前半)の戦術的脆さが、最大の不安要素かもしれない

まとめ

こうして見ると、監督に推す理由と不安要素が同じ数ある。読みながら「本当に彼を監督に推しているのか」と疑問に思った方もいるかもしれない。
しかし、考えてみてほしい。推す理由は全て過去の彼の活動内容に基づくものであるのに対し、不安要素は(Ⅲを除き)明確な根拠がない。「欧州流に取り残されるかも…」も「2トップが機能しないかも…」も、所詮は憶測の域を出ないのだ。
そういうわけで、力関係では「推す理由」の方が2段階ほど上にある。間違いなく、僕は彼を将来の日本代表監督に推している。

最後に

昨年の彼は、ブラック企業の中間管理職のような立ち位置にいた。主力メンバーを多数ヨーロッパに引き抜かれ、怪我人は例年通り(なぜか)続出し、それでも上層部はろくに補強をしない。そんな状態でもリーグ戦を3位でフィニッシュし、天皇杯では決勝まで進んだ。
だが「常勝軍団のプライドを守れ」だの「クソ無能監督」だのと散々(ネット上で)非難されていた。よく耐えられたなと思う。理不尽にも程がある。

それでも彼は、選手やフロントに責任を擦りつけなかった。試合前の会見では常に対戦相手を尊重していた。インタビューには毎回真摯かつ丁寧に回答していた。
彼の戦術を非難する人は多くとも、彼の人間性を非難する人は見たことがない(僕が見ていないだけかもしれないが)。大槻組長顔負けの悪人面の下には、優れた人間性が隠されているのだと思う。

手腕に疑問を感じることは何度もあったし、一時期はあまりの酷さに、鹿島ファンと一緒になって「大岩監督解任論」と唱えたこともある。しかし、1人の人間としての彼は、いつも魅力的だった。

もしも将来彼が本当に代表監督になるようなことがあれば、その時は全力で応援させてもらう。もっとも、僕は「信者」ではないので、悪い点は批判するつもりだが。

お金に余裕のある方はもし良かったら。本の購入に充てます。