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ゆるやかに思い出そうと思う

 わたしの子は、小学三年生の一学期に学校に行けなくなりました。発達障害とそれに伴う適応障害が主な理由です。その後、いろいろありましたが、昨年中学校を卒業し、今は学校に行っていません。
 現在学校に行っておらず、就職もしていない彼の日々は後々詳しく書くことにしまして、今は比較的穏やかな毎日であることだけ記しておきます。
 私の子、仮に「タケくん」とさせていただきます。自分の子ですが、少し距離を置いて書き留めたい気持ちもあるので、くん付けで通していこうと思います。

 タケくんとの16年、とりわけ不登校状態であった小学三年生からの7年余りをこのような形で書くのは、初めてです。医療機関等にかかるときに、これまでの経緯として書いたことはありますが。
 母である私は、子どもの時から日記等を書くことによって、自分を見つめ直したり、思いをぶつけたりする質でした。それが、タケくんが不登校になってから、あまりに自分へのダメージが大きかったのでしょうか、文章を読んだり書いたり思い出したりすることが辛くなり、私自身がそれまでの人生で持っていた、自分が落ち着いく方法の大きな一つを手放してしまったのです。
 仕方がないとはいえ、このことは、私の心の落ち込みを長引かせることになってしまいました。現在の彼の義務教育後の心配事だけでなく、不登校の7年の辛さを常に引きずっています。

 私は、この 7年を今までまっすぐ見つめることができませんでした。でも、もうそろそろ書きたい、書いておきたい、という波が静かに自分に寄せてきているのを感じています。書いてみよう、自分のために。タケ君のために。(彼は、自分を守るために忘れてしまったことがいくつもあるから記録しておきたい)
 そして、今もどこかで悩んでいる方にとって、どこか一部分でも何かの参考になったり共感したり少しでもお役に立てればという思いで、書き始めようと思います。無理せず、タケ君の16年をゆっくり行ったり来たりしながらになると思いますが。

 さて、今回の記事のために、不登校が始まった頃の写真を探しました。当然のことながら、少なかった!そして、選んだのが、上の画像。お店や施設でよく見る、非常口を表すあれですね。非常口誘導灯でしたか。元の写真は、あのグリーンカラーです。ちょっと、生々しすぎて、モノクロに加工しました。
 これは、小学三年生の6月、学校を休み始めた頃、タケ君自身がとった写真です。上の子の部活の大会を、近隣の体育館に私と二人で見に行ったときのもの。学校生活の「非常口」を求めていた彼が、そういう思いで撮ったのかは、今となってはわかりません。ただ、とても象徴的だと感じています。


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