鎌倉の道
ハイキングが好きだ。と言っても本格的な登山をする気はさらさらなく、気軽に行ける低山が好きだ。とりわけ、街と山のあわいを縫い合わせるような道がいい。
たとえば、京都一周トレイルや、鎌倉のハイキングコースなんかが典型的だ。京都も鎌倉もともに寺社仏閣の多い観光地で、山の際というか、「山内」「社叢」のような山であってかつ結界された場所がまさに人の流れの中心地になっている。そんな繁華な観光ルートをほんの数十歩はずれたところにうっすら始まる踏み分け道なんか、もう最高だ。
鎌倉の話をしよう。せっかく落ち椿の季節だから。北鎌倉の駅で降りてから少し歩き、建長寺の奥の半蔵坊のわき道から少し上り始めると、すっと喧騒が遠くなって、かわりに葉擦れの音や鳥の声が聞こえ、気のせいか少し空気も澄んでいる。とはいえ、全く人界を外れるわけではなく、登山客とはすれ違うし、街の音も完全に聞こえなくなるわけではなく、風向き次第で遠く近くに踏切の音だったり、小学校の校庭の歓声だったり、車のクラクションなんかが聞こえてくる。小学生の集団を追い越すときに、7歳くらいの女の子が一人たたっと追いついてきて、私の左手を取ってにこっとしてからまた戻っていく。先生と間違えたんだろうか。ちょっと和む。かと油断していると、突然日がかげって、また日が差したらすっと人の声が遠ざかり、四半時ほども誰ともすれ違わないまま、栗鼠や目白、落ち椿でいっぱいの森を歩いていると、ふと、自分の真後ろに付けて歩調を合わせる者がいることに気づく。止まって振り返ると、栗鼠が走っていくほかは誰もいない。歩き始めるとまた、ざっざっと、どうしても自分の足音とは思われない音がする。ところどころの砂岩の岸壁に彫りつけられた洞の中からは、地蔵菩薩がこっちをじっと見ている。少し速足気味で歩くうちに、登山客の鈴の音が近づいてくる。すれ違いざまに、こんにちは、と、一言挨拶して、何となく人心地が付く。
そのまま道も下り始めて、いつのまにか舗装路になり、鶴岡八幡宮の境内にいる。いかにも湘南新宿ラインで来ました、という若者たちが、ちょうど人気の路面店に並ぶような感じで本宮に並んでお参りしている。そうだった、神は別に異界にいるものではなくて、日常と地続きの場所にいて、むしろ文化の基調や街並みに当たり前に溶け込んでいるものなのだった、と久しぶりに認識する。水筒に入った東京の水道水を手水舎の水に汲み替えて、また歩く。
八幡宮の参道から外れたら、今度は祇園山に入る。鎌倉の山は柔らかな凝灰質の砂岩で、加工の易しさからいたるところに小さな洞が作られている。小さい菩薩像や灯篭が飾られているものもあれば、土地の持ち主の倉庫代わりになってスコップやリヤカーが詰まっているものもある。山道も、何百年も人が同じ場所を踏み続けて、階段のように削られた岩がいたるところにある。
山と言っても歩きやすいように手入れされた山を歩いていると、なんとなく人と自然が長年かけて上手に折り合いをつけている現場にいる心地になる。だって、目に付くもの全てがちょうどぴったりヒューマンスケールなのだ。ちょうど一人分の道幅。ちょうど背の高さ分まで払われた枝。なんだか楽しくなって、岩場の上で日向ぼっこをしていると、オーストラリア人の集団がやってきて、「Soaking up the sun?」「Yes, rezarding.」といって歩き去っていく。彼らは日本人が変な行動をしていると、話しかけようにも言葉が通じる自信がないので、お互いに代弁しあって納得するのだ。散歩中の犬に名前を聞いたら飼い主が代わりに教えてくれるようなもんだろうか。最近は、山と街に、外国が入り混じっているようだ。コングロマリットの原義が、まさにそんな感じだ。それもまたいい。それにまあ、確かにちょっとトカゲみたいだったかもしれない。温かくなったし、もうそろそろ出てくる頃かな。
今度は八雲神社の脇からまた街に降りて、ちょうどお昼時なので、由比ガ浜まで歩いていわし料理のお店に入る。運よく並ばず入れる。ここのご夫婦はいつ来ても愛想が良く、軽妙な小話が楽しい。釣り人が裏口から入ってきて、すっと釣りたての魚を渡したと思ったら、刺身が一枚おまけに差し出されるのはもうちょっとしたパフォーマンスだろう。いつもの定食もインフレで来るたびに200円ずつ値上がりしているが、それでも良心的だ。この後はどうしよう。もう桜貝は朝から来ているビーチコーマーに拾いつくされてしまっただろうか。そんなことを考えながら、湯のみ茶碗で掌を温めていると、仕事の不条理や、わだかまりが少し遠くなって、何となく良い夢を見た後の気分のような、自分の中でいろいろな和解が成ったかのような気持ちになる。でも、なんだかまだまだ歩き足りないな。
結局大仏ルートも歩くことにする。最近少しは給料も増えたので、鎌倉十余年目にしてついに大仏を見る。生来の貧乏性で、これまでは、いつも素通りしていたのだ。何となく、ロールプレイングゲームの束縛条件が一つ外れて行ける場所が広がったような気持になる。思ったほど大きくないな、と思って近づいてから、大仏前にお供えされた特大の文旦を見て、また大仏に目を戻すとすごく大きい。この大仏なら、文旦も金柑みたいなものだろう。おあつらえに、文旦も皮がおいしい柑橘だし。裏の土産物屋では、いかにも外国人観光客向けの手裏剣や模擬刀があって、一つ買って帰ろうか迷う。結局、大仏飴にした。職場に海外のお客さんが来た時に出したり、逆に海外で道に迷って助けてもらったときなんかにすかさず渡すのだ。土産物屋の裏には台湾栗鼠が無数に群れていて、外国人観光客が写真を撮っている。そのうち鳩豆のように栗鼠豆も売り始めるのだろうか。
土産物屋に始まって、大仏ルートはことのほか栗鼠が多い。がさつく音がして、視界の端で波線を描くような軌跡が動いたと思ったらだいたい栗鼠だ。最初は気が付けば目を向けたが、次第に五歩歩けば一匹出てくるくらいになっている。冬の間に鎌倉の山の椿の実は食べつくしたのか、今は椿の花の蜜を吸っている。何となく童話の中の光景のようだが、目白と競合しないか少し心配になる。
かと思う間もなく銭洗い弁天につく。凝灰岩を掘りぬいて作った洞窟にある神社だ。地質や湧き水を最大限に生かした構造物が丁寧に守られていて、手入れはされていても羊歯や苔は好きに生やしているのを見ると、このままここに住みたいなんて思ってしまう。来世は座敷童がいいな。
葛原岡神社を過ぎると、もう本格的に山の景色だ。神社の境内こそ華やかな八重の椿が植えられていたが、この道はどこまでも藪椿一色だ。人が少ないのか、少し風が出てきたからか、歩く先々でとつとつと先ぶれのように椿が落ちて、栗鼠が飛び交っている。中には器用に椿を咥えたまま樹幹を渡っていく栗鼠までいた。持ち去ってどうするのだろう。どこかに埋めて保存するのだろうか。獣道に沿って追いかけてみると、椿の花が一面に落ちて、日が赤々とあたり、まるで血だまりのようになっているところに出た。栗鼠が持ち込んだものなのかもしれない。何となくそのただなかに寝転ぶと、甘いような冷たいような、花の蜜の香りがした。やっぱり来世は座敷童がいいなあ。ずっとこうしていたいけれど、もうすぐ夕方だ。
名残惜しいけど、もう東京に帰ろう。浸食崖があって街と山が入り組むのは、私が住んでいる板橋の街も同じだ。そう思うと、何となく山の一片を東京まで連れて帰れる気がした。