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「価値観の違い」との向き合い方

農村あるある?なのかもしれませんが、親子間・特に世代間での価値観の違いはすさまじいものがあります。(もちろん、個人差はありますが(-_-;))そんな中でも、どうやって価値観の違いに向き合って平和的に?暮らすかというのは自分にとっての大きな課題でした。

価値観の違いあるある

例えば、草刈りの基準。草が少しでも伸びていると、ちゃんと管理できていないと見なされたり、いつの間にか草刈りしようと思っているうちに片付いてしまっていることもよくあります。(有難いけれど…)
あと、家で法事をやることが当たり前なので、法事前には仕事が忙しくても家の大掃除をやるのが「普通」なのですが、私はいまだに馴染めないので、掃除の気配がしたら逃げています(笑)。あと、結婚したらすぐ子どもを持つのが普通という考えだったり、農業は女性がバリバリやる仕事ではないという考えもあります。

「分かりあう」必要はない

こういう些細ないろいろなことで混乱し、そのたびに「わかってほしい」という信念を捨てきれなかった私は正義感のようなものを振りかざし、自分が傷ついた理由や傷つくから言わないでほしいことを相手に伝えるようにしていました。
でも、決まって返ってくる言葉は「あなたのとらえ方が悪い」「傷つくようなこと言っていない」という言葉でした…(伝え方も悪かったと思いますが…)。こんな感じで相手に理解してもらえずイライラして消耗していました。「わかってほしい」欲の強い私は、逆に「自分がおかしいのかな?自分の考え方がおかしいんだ…」と思い、余計に傷ついて、ボロボロになって、でもやっぱりわかってほしいので自分の思いを伝えて、また傷つく…という繰り返しでした。

最近ハッと気づいたのですが、これってすごく単純に考えてみると・・・
例えば
私:生牡蠣が嫌い※本当は好きですが、わかりやすい例として生牡蠣(笑)
相手:生牡蠣が大好き。

という前提だとします。そこで、
私:「生牡蠣が嫌いなんです。何故理解してくれないの?わかってください!!」
相手:「生牡蠣が嫌いなんておかしい。こんなに美味しいのに、食べられないあなたが悪いんじゃない?」                    
みたいな・・・(笑)。こんなどうしようもない議論と似たような部分があります。ここで私が頑張って、いかに生牡蠣が嫌いかを相手に伝えたところで、生牡蠣が大好きな人には理解できないですよね。
でも、別に分かり合う必要ってないですよね…。もちろん、うまく地域コミュニティの中で生きていくには、ある程度理解し尊重しなくてはいけない部分はあります。ただ、分かり合うために消耗する必要はないと思いました。
生牡蠣嫌いな人は嫌いだし、好きな人は好き。そこで喧嘩になる必要はない。好きな人も嫌いな人も、共存すればいいのだとなんとか思えるようになりました。

「共存」する

前提となる信念(価値観)が自分と違う場合、お互いに分かり合うことはすごく難しいです。価値観に優劣は無い上に、議論しても前提が違いすぎるので、分かり合えるはずもなくただ消耗するだけでした。
かといって、わかりあえないから・違うからといって排除するのも違うし、そもそも家族や地域って共に生きていかないといけない存在。すべての人と分かり合う必要はないけれど、共存していく。この「共存する」というのが、今の自分にとって大きなキーワードになっています。
分かり合う必要はないし、気にすることなく、私は私のままでいいし、自分らしく生きていけばいい。ただ共存すればいいんだ。このように考えると心がとっても楽になりました。
ただ、やっぱり嫌なことは嫌ですし、価値観の違いにイライラすることばかりです。本当に難しい…。でも、うまく距離を置き、自分らしさも保ちつつまずは「共存する」してみることを意識してみるといいのかなと思います。

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