BADモード
最近リリースされた宇多田ヒカルのアルバムBADモードが素晴らしく良い。宇多田ヒカルはアルバムを出す度に凄みが増していく。どんどん進化していく。素敵な事だ。
多感な時期に何となく思っていた事がある。
あまり自分に軸が無く、その場のノリに合わせて流れるように生きてきたように思う。ただ、ひたすらに「何者かになりたい」感覚を持って踠いていた時期があった。自分が何者か知りたくて右往左往している感覚。
誰かが指し示してくれるのを待っていた。何者かになりたくて、なれなくて、もどかしかった。
または、周りが何者かになっていく様を見ていて羨ましく思っていた。みんな、自分の人生を謳歌している。私だけ劣っているように思えていた。
双極性障害と診断された時、少しホッとして安堵した感覚があった。勿論、多少なりともショックはあったがそれよりも肩の荷が降りた、やっと自分の違和感に名前が付いた、存在が明らかになった、そんな感覚だった。
私個人の感覚なので、他人と比べる事は出来ない。
自分に何らかの異常な部分があって、それは私の中で違和感として大きくなっていて、「自分は何やらどうかしてるらしい」とずっと思っていた。
ネジが外れてるというぶっ飛んだ感覚ではなく、何かおかしいという感じだった。
この人生は生きながらにして、たまに生きにくい部分があり、それは私をたまに苦しめていた。
ちょっとだけ辛かった。我慢して生きてきた。
それらに少し名前を付けてもらって対処できるようにアドバイスをもらいながら、少し生きやすく過ごせるようになった。
部分的に私の人生が前向きになっていく感覚は少し爽快な気分にさせてくれた。
私の躁エピソードを思い出していくと中々に心苦しい事が多いのだが、一番はお酒の場でやらかしている事が挙げられる。
二十歳になったその当時、学生だった私はいわゆる学生ノリでやんややんや飲んでいた。その場のノリで飲んで飲まされ飲み干して、気付けば記憶がない事も沢山ある。ここまでは「ただの飲み過ぎだろ」と結論付けられるが、酔い過ぎた私は感情の振り幅を制御できなくて、泣き始めたと思ったら怒り出し、暴れ始めたらと思ったらトイレに引きこもり、心配して様子を見に来た友人に暴言を吐きまくり、最後は回復体位を取らされ寝ゲロして、翌日起きた時にはその場に居たあらゆる人に謝りに行く旅に出る事になる。覚えている事が殆ど無い。最初の乾杯から記憶が無いのもざらにあった。
過去にやらかしたことは消せない。仕方ないものだ。
なかなか厄介な酔い方をする私を周りの友達や先輩、後輩は優しく面白おかしく付き合ってくれたおかげで、付いたあだ名はジャックナイフだった。
そんなジャックナイフはだいぶ年月が過ぎて、今ではペーパーナイフくらいにはなった。そこまで暴れる事もなく日々を過ごしてるが、今でもたまに記憶を無くすくらいには飲む事もある。
元来、お酒が好きなのである。
前職でのエピソードも中々やってるかもしれない。
前職は繁忙期になると昼夜問わず働き詰めの職種だった為、躁鬱を繰り返していた様に思う。
とにかく、やる気やら緊張感やら何やらを保つのに苦労していた。そこまで気にしていなかったが、違和感に気づき始めていた頃だったかもしれない。
周りには気付かれていなかったと思うが、失敗せずに真面目に仕事をしなければならないという勝手なプレッシャーを自分に掛けていて、雁字搦めになっていた。
しかもタチが悪い事にそれを周りに押しつけていた所もあった。
その当時の私は、だらしなく働いている人を嫌っていた。
そういう感情を抱くと顔に出るので本当に面倒臭い奴だったと思う。
いち社会人として仕事をちゃんと取り仕切らなければいけないと生真面目に働いて、プツンと糸が切れたようにやる気が無くなる時もあった。
辛かった。自分はバリバリに働いてシュッとしたキャリアを築いていくものだと思っていたから、尚更、緊張感が無くなり動けなくなる自分が居たり、周りと比べてそこまで仕事が出来てないように思っていた自分に嫌悪したり、時には楽しくて気付いたら丸一日寝ないで仕事をしていたり。ハイになりローになりと日々感情は目紛しくコロコロ変動していた。
これだけは言っておきたいが、私はその当時、本当に頑張っていたと思う。その当時の私を抱きしめて褒めてやりたい。でも、その頑張りが認められていたかは定かではない。そこら辺はよくわからない。
今にして思えば、こう思っていたのだなと振り返れるがその当時は気付きもしなかった。
私は何者かになりたい。
私が何者か知りたい。
多分、それはあまり良くない傾向かもしれない。
その思考は自分に合ってないかもしれない。
こうありたいと強くハードルを上げてしまったら苦しくなる。
理想は高い方が良いが身の程を知った方が良いとも思った。客観的にもなりたい。
私らしく生きていこうと思うが、私らしくって何なんだとループしてしまいそうになる。
そのループからは自分で抜け出さないと抜けられない。
誰かが指し示してくれる訳では無い。自分でやらないと意味が無い。と言う当たり前の事に気付けたので、そのきっかけをくれた精神疾患には感謝まではしないが、悪くないタイミングで気付けたと我ながら思う。
一旦、適当に生きていく事を目標にして過ごしてみる。
自分は自分の理想には程遠いけど、それはそれでアリ。
受け入れられなくてもいい。
まずは最低限のお賃金と生活レベルを安定させる事とか、目の前のことをひとつずつやっていくしか今は出来ない。
日々流れるように生きている。
気付いたら生きている。特に居なくなる理由は無いので生きている。楽しい事もある。その分イライラする事や辛い事もある。それでも挫けず生きていく。
適当に生きていく。