見出し画像

少し遠くから光ってるもの

先日、母との会話の中で「死にたいと思ったことがあるかどうか」の話になった。
どうやら、私の母は死にたいと思った事が無いらしい。
私はそれを聞いて内心かなり驚き、意味無く逆ギレしそうになったが、「へー、そうなんだー」と適当に流してしまった。
今までそれなりに生きてきたけれど、死にたいと思う事は自然の流れだと思っていて、
遡れば、小学生の頃から外的起因が作用しながら「この世は辛い」「居なくなりたい」「死にたい」と日々妄想していた時期もあった。
毎日辛かった訳ではないけど、辛い時期は何度かあった。

私の母は、なかなかなヘビーモードな人生を歩んでいる。
毒親に育てられ、親戚をたらい回しにされたり厳しい躾も受けてきた。子供ながらにして子供らしくない時期を過ごしてきたのではないかと思い巡らすが、本人は至って真面目に個性的に生きていると、娘ながらにして思う。
私の父親に出会うが、残念な事にかなりのモラハラ男で、大分苦労して私を育ててきた。父親は私に対してモラハラや虐待を発動させてきていない。ただ、人としてそれは如何なものかと思わせる言動・振る舞いは垣間見せてきた。

私の父親が私の母にしてきた事を聞いてみると、人間の尊厳とか可能性とか、生きていく糧みたいなものをことごとく潰しているようだった。
金銭面から性的なこと、人格否定等をしていて、そんな話を聞いているだけで「気持ち悪い」と思った。そんな人が私の父親で、平然と世の中を生きている事自体に引いてしまうほど。
私が生まれてきた事は後悔してないが、私の父親と出会ってしまった事はとても後悔している母に、私はいつも何て言葉を掛けていいか解らないでいる。
そっか、と話を聞くしかない。

なかなかヘビーモードな人生を歩んできた母だが、先の通り、自死に至るまでの思いは無いようだ。これは、とてもラッキーで私の母はなかなかに強い人でもあるのだと心強く思う。父親に出会った事自体の後悔を私に当てつける訳でもなく、母にとって個人的な後悔として受け持っているんだなと思った。
母からしてみれば、当たり前のことだと思うが、その当事者が私だったら、私の父親のような人と出会って精神をズタボロにされたら立ち直れるかわからない。自分はそこまで強いと思えないので、その場で人生を終わらせてしまうかもしれない。

幸運なことに、私は楽しい時間を一緒に過ごしてくれる、様々な人達に出会えた。
生涯、天涯孤独で生きていく事は稀かもしれないが、独りで生きていく人もいるかもしれない。
それに耐えうるほど私は独り時間が好きではないので、賑やかしい方が歓迎できる。
独り狼も憧れるが、それは自分にとって楽しめる時間の過ごし方を熟知している人ができる事なんだろう。
私は独りも好きだし、人も好き。
ズンドコにバチバチ激しいのも、シーンと冷たいのも嫌いでは無い。が、元来、独りは苦手だ。

先の幸運を考えてみて、あまりスピリチュアルな方向に考えると肌寒いかもしれないが、縁も運命も自分の気持ち次第で変えていけるのかもしれないと思う。
上手く言おうとするとどんどん絡まっていくのでシンプルが良いけど、つまりは好きなものを引き寄せて付き合っていければ、人生を楽しもうとするかしないか、結局は自分次第。
そして、嫌なことに対しては、自分のケツは自分で拭く精神でやってければと思う。

死に対しての恐怖心はゼロではない。
怖いものは怖いが、その身構えは決して悪い反応ではなく、当たり前の反応だ。

死にたいと思ったことが無い人は、それはそれで幸運だし、屈強だし、様々な経験をしてきた中での結果なのかもしれない。私には無いことなので羨ましい限りだが、今からなろうにもなれない。なれない自分を卑下するのはもう疲れたので、そういう気持ちや考えを深追いしないことにした。

ただ、死を意識してなかった小さい頃は無敵だったように思い返す。
物心がつき始めた頃に死を意識した時、私はこの人生を生きていくのが少しだけ辛かった。
比べられるものではないけど、私はきっとその時何かを知って少し考えられたきっかけを得た。その何かは未だに見つけられてない。

今回、母との会話で見つけられた発見は、後ろめたい気持ちで見つけた訳ではなく、新しいものに出会った前向きな感覚で見つけたように思う。
そうだったんだ!となった訳だ。
人生30年生きてきて、また新しく何かを見つける事ができて少し嬉しい。

そして、私はこんな強くて頼もしい母の元に産まれてこれて良かったと思う。
これも私の幸運の一つだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?