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お母さんみて!見て見て見て!

我が家には、現在2歳の息子がいます。
息子を見ていると、日々さまざまなものへの興味や関心が急激に高まっていると感じます。

本記事では、
新しい世界が広がり、冒険していくことの増える2~4歳頃の「見て見て期」について考えていきます。


見て、の向こう側に見える気持ち

子どもが言う「みて!」には、愛着感情があるように感じます。
誰にでも言う子もいますが、「お父さん・お母さんみて!」という子の方が基本的には多い印象です。
「自分のことを親に肯定してもらいたい」という思いが関係しているのではないでしょうか。

親が声で反応し目を合わせることで、「自分を気にかけてくれている」、「自分を肯定してもらえている」という安心感につながります。



自分はどうだったのか

親に対し「みて!」と言ったときに、「見てるよー!」という返答だけだった。小さい頃の私にはそれが少し寂しかったです。

当時を振り返ると「みて!」の真意は、「親にも見てほしい」のではなく、「同じ体験、同じ感覚を共有してくれている?という確認・質問に近かったように感じます。

欲しかった言葉は、「それは何?」「今のすごいね!」など会話や、親が感じた気持ちでした。



「体験と感覚の共有」での課題

体験の共有とは
「楽しそうだね、一緒にやってみてもいい?」
と言って子どもと一緒にやってみること。

感覚の共有とは
「今のとっても大きかったね。びっくりしたね」
と言って感じたことを言葉にすること。

上手に言葉や態度、表情を使えば、子どもの気持ちの面での要求を満たしてあげることが出来ます。
つまり体験と感覚の共有は、そんなに難しいことではありません。

しかしここで課題となるのは、
「親が、子と同じ熱量になれない」ということです。

積み木も、絵本も、道端の石も、もう見飽きてしまった。
何度も何度も同じ遊びを繰り返し、親にとって目新しさがない。
同じ情熱、同じキラキラの目で、体験・感覚共有をするのは親にとって、なかなか難しいです。



向き合う時間を決める

親の興味がわかない遊びでも、子どもとの体験・感覚共有するために…私は、産後 助産師さんに言われた言葉を思い出すようにしています。

夜間授乳は、夜勤だと割り切って
「起きるものだ」と思った方が良い。
夜は寝るもの、という概念があると
起きるのがつらくなる。

子どもと遊ぶのに、夜勤はありませんが。
今は子どもと向き合う時間と心を決めた方が良いです。
最初は5分、携帯や本、家事やお仕事から離れて、子どもを見るだけの時間と決めて。
たとえ子供が振り向かなくても、たとえ子供から呼ばれなくても、とにかく子どものことを見る。

そうすることで次第に、子どもの成長や機微な変化が見えるようになるのではないでしょうか。
座り方が上手になったな。そんな遊び方もするのか。同じおもちゃでも、違う反応を見せるようになった。こういうときに、親の方を気にするんだな。など。

同じ絵本を読み聞かせても中期的な目で見れば、反応や態度から子の成長を感じることが出来て、ほっこりした気持ちになれると思います。

どんな親でも一人の人間ですから、「みて!」の要望に100%の力で答えることはむつかしいでしょう。
しかし些細でも成長や変化に気が付く親は、子どもの心に安心感を与える言葉のバリエーションが自然と増えるように感じます。

「みて!」の向こうにある、肯定してほしい・安心させてほしいという子の気持ちに、寄り添う一歩ではないかと思います。



安心して外の世界に飛び出してほしい

しばらく子を見ていると、偶然こちらを向いた子どもと、予期せず目が合うこともあります。
表情が変わらずに、すっと元の遊びに戻ることもありますが、時には、見られていたことに対し恥ずかしそうにしたり、嬉しくてたまらないというような笑顔になってくれたりと、その時々で様々な表情を、こちらに向けてくれます。

親が見てくれている、気にかけてくれているという気持ちが芽生え、安心して新しいことに挑戦したり、外の世界に向かってみたりと一種の拠点のような存在でありたい。
子どもと目が合うとき、ふとそんな風に思うのです。


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