“人生損してるよ”の話
注:一般的な“損”と区別するため、“知ることのできない世界”に憧れ羨む気持ちを、その世界がいいものであるか、悪いものであるかに関係なく“ディスアドバンテージ”と表現しています。ここで言う“ディスアドバンテージ”を持つことは必ずしも悪いことではありません。
人の苦手なもの、嫌いなものを聞いたとき、「これの良さがわからないなんて、人生損してるよ」と言う人がいるでしょう。
それに対して、「いや、それは好きな人の理屈であって、嫌いな人にとっては何にも損じゃないよ」と言う人もいるでしょう。
嫌いなものの話になると後者になり、好きなものの話になると前者になる人もいるでしょう。
私の苦手なもの
私は、お酒が苦手です。
ほぼジュースというほどに弱いお酒なら多少は飲めないことはないのですが、ビールや焼酎、日本酒など、“ザ・お酒”といった感じのものは一切飲めません。
そんな私に対して、誰かが「お酒の良さがわからないなんて、人生損してるよ」と言うとします。
それも一理あるのかもしれません。
私はお酒が苦手なので、お酒を飲むよりもお酒を飲まない方が楽しく過ごせます。大前提として、苦手なのに無理に飲むメリットは1つもありません。
でも、自分がお酒が苦手であるがゆえに、嫌なことを飲んで忘れるなんてこともできないし、飲みの誘いにもあまり応えられません。
“飲まないから”ではなく“苦手だから”、知ることができない世界がある。自分が無理して飲んだとしても、飲まなかったとしても同じことです。
だから私は、無理にお酒を飲もうとは一切思わないけれど、「私も、お酒が好きな人間だったらよかったのに」と思います。
自分の苦手について考える
苦手なものがあるということは、結局その人にとって“損”とまではいかずとも、多少のディスアドバンテージではあるのかもしれません。
でも、苦手なものがひとつもない人なんて多分いません。誰しもが苦手なものを抱えて生きています。
それこそが不完全で、人間を人間たらしめるところであると思います。
そう考えると、苦手って、“自分らしさ”そのものなのではないでしょうか。
苦手なものと向き合って、
“それによってどういうディスアドバンテージがあるかな”、
“それは自分に必要かな”、
“必要だったら別の手段で達成できないかな”、と考える。
それは、“自分と向き合う”ということと同じではないでしょうか。
だとしたら、苦手なものに向き合うことは、大仰な言い方をすると自分らしい人生、自分らしい暮らしにつながるかもしれません。
だから、苦手を克服するでもなく、見て見ぬふりするでもなく、向き合って受け入れるということをしたいと思いました。
「人生損してるよ」と言われたら、
「たしかに損かも。でも、それも私らしいでしょ」
いつかそう答えられるようになりたいです。
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