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あいまいな記憶で書く「あいまいえ」のお話


 その当時、あいまいだった自分のやりたいことの輪郭を少しずつ明確にしていくための最初の第一歩は、「あいまいえ」での出会いでした。そんなある意味今の私の原点ともいえる場所が解散したということで、あいまいな記憶をたどって書くちょっとした小話です。
※写真は本記事と全く関係ありません。笑

「あいまいえ」との出会いをさかのぼる記憶の旅

 「あいまいえ」なるシェアハウスに最初に行ったのはいつ頃だろう。確か迷える子羊だった日立時代のはず。転職の1年前くらいだっただろうか。
 であれば、2016年の秋~冬あたりか。やっぱりあいまいだ。

 訪れたきっかけは、当時ルームシェアをしていた大学サッカー部の同期が、「ワークル」というコミュニティを紹介してくれたことだった。同期が「今のはっしーなら行ってみると面白いかもよ」的なことを言っていた気がする。ちなみに、同期が「ワークル」という存在を知ったのは、彼が参加しているアクセラレータプログラムの中に「ワークル」があったからだったと思う。

 同期がそのプログラムに参加していなければ、ワークルにも参加することもなく、あいまいえに行くこともなかったかもしれない。
 やはり、世の中何がきっかけになるかわかりませんな。

 そのワークルというコミュニティでは、対話を通じながら、自分のやりたいことをマイプロジェクトとして立ち上げてみようぜ的なことがなされていた(これも記憶があいまい)。
 泉岳寺にあるどっかのお寺で行われた、ワークル主催のイベントに初参加し、「お、何したいかよくわかっていない自分にはちょうどええやん」と感じてワークルに参加。そして、最初のオリエンみたいな回が「あいまいえ」で行われ、それが初訪問だった。はず。いや、初めて対話をしたときだったか?

 まあ、どっちでもいいか。いずれにせよ、私の人生をリブーストするきっかけとなった場所であることには間違いない。

「あいまいえ」の記憶

 「あいまいえ」はとても都会にあった。その当時、もう一つ拠点があった鎌倉とは正反対の場所。水天宮前駅から近く、便利な場所にあった。が、似たような建物が並んでいて入口がすごくわかりづらく、良く近くで迷っていた。
 
 また、日立時代は職場が戸塚だったので、平日仕事終わりに行くとき億劫になり、今日はやめとこかな…となることもあった。笑
 でも、とは言いつつその場に行けば、ほっと一息つけるゆるやかな空気感の中で、色んなバックグラウンドの人とも会話が弾み、何か刺激や気づきをもらえていたと思う。今やっている飲み会部(気が付けば3~4年間くらい続いている!)も、「あいまいえ」の住人たちやそこに入り浸っていた半住人と仲良くなっていったから結成された。

 私が実際「あいまいえ」で過ごした時間は決して多くはないけど、私の今とつながっている縁ができている。

さいごに

 「あいまいえ」と出会ってから約4年。転職してからは、イベントに参加したりはたまにしていたが、日立時代より職場はかなり近くなったにもかかわらず、忙しくなってきてからはほとんど行くことはなくなっていた。
 4年もたてば、色々状況は変わる。特に変化の流れが速い昨今ではなおさらだ。そんな変化の中、今回「あいまいえ」も色々状況がかわり、一旦解散となった(のだと思う)。
 私の人生をリブーストするきっかけの場所がなくなるのはさみしいが、そこで得たご縁は、ありがたくも今も私の人生とつながっている。それを大事に、私も前を向いて歩いていこう。
 記憶をたどりながら文書を書き、そう思えた。

インプットしたものを何かでアウトプットしたいと思い登録。いずれブルワリーを自分で立ち上げ、それを中心にビアバーやゲストハウスなどシナジーがありそうなことを始めることを妄想中。ビールを囲んだコミュニケーションでみんなを笑顔にしていきたい。