見出し画像

僕らは、いつだって変われる。-家族との不和・高校中退を経て、踏み出した新たな一歩。

”ありのまま生きる”
あなたは自分の心に正直に生きていますか。
誰かのために自分の人生を犠牲にしてはいませんか。

今回インタビューに答えてくれたのは、ブラジルで生まれ、現在は愛知に住んでいる17歳のサムエルです。(以下:エル)

彼はつい最近まで、本当に自分が求めている事ややりたいことが分からず、右往左往していたと言います。

ですが、どうにか自分の人生の舵取りをするべく、高校中退・1人で東京を訪問・「BASE CAMP」(※1)へ参加といった数々のアクションを起こします。そんな彼の「変わりたい」という想いが起こした奇跡とは。

「Choose Your Life Story」では、ハッシャダイソーシャルに出会って、一歩踏み出した若者たちのリアルな声や感情をお届けします。

※1 BASE CAMP
全国の高校生向け「BASE CAMP」は、ハッシャダイソーシャルが運営する新しい仲間や大人と出会いながら、自分の人生をデザインしていくオンラインの学校です。

ブラジル人の両親の元に生まれ、日本で育つ。

-エルはどんな幼少期を過ごしたの?

ブラジルで生まれて日本で育ちました。
ブラジル国籍の両親の元に生まれましたが、僕が幼いころに2人は離婚しています。

母親から話を聞いたんですけど、ブラジルにいた僕の幼少期は、家の近所の人たちに手助けしてもらうほどの苦しい生活を送っていたそうです。
ちょうど、母親と実の父親が離婚し、家庭が一番厳しい時で、母親が仕事を探していたことや祖母が日本にいたことが重なって、母親と僕は祖母のいる日本に移住しました。

母親は、ほどなくして日本で生活しながら働くことになります。そこで母親と出逢ったのが、僕が一番影響を受けたと言っても過言ではない”義理の父親”です。僕が5歳の時に、母親はブラジル人の義理の父親と再婚しました。
義理の父親は、僕の人生にとても影響を与えた存在だと言えますね。

-そうだったんだ。エルにとって義理のお父さんはどんな方だったの?

僕から見た義理の父親は、”自分のこだわりが強く、僕の意見をあまり聞かない”人という印象でした。

僕が何か行動を起こした時に掛けられる言葉は、「なんでそんなことするんだ」「お前には無理だ」など、どれもネガティブなものばかりで。
義理の父親は、僕を傷つけるつもりで言ったわけではなかったのかもしれませんが、僕はそうやって否定されるのが怖かったですし、義理の父親に何も言い返せない自分がとても悔しくて情けなかったです。

中学校に上がり、バレーボール部に入って活動していた時も、義理の父親の”こだわりの強さ”が顕著に出ます。

厳しく、アドバイスをくれるのはとてもありがたい事なのですが、少し度を越していたように思います。僕のプレーや練習メニューに対して、褒めてくれることはなく、「あのプレーはなんだ」「なんでこうしなかったんだ」と否定されてばかりでした。僕が勇気を持ってプレーをしても、練習メニューを考えても、間違いだと正されてばかりで、いつ、頭ごなしに否定されるかびくびくしていました。

一方で、母親は僕のことを受け止めてくれて、傍にいてくれる姉のような存在でした。そんな母親は毎日仕事に明け暮れて、夜勤で家を空けることもありました。そんな、仕事に一生懸命な姿を見ると、とてもじゃないけど義理の父親からされていることを言うことは出来なかったですね。この状況で母親に言ったとしても、心配させて困らせてしまうだけだからと、相談することもなかったです。

毎日の悩みを打ち明けられる存在がいなくて、少し孤独な気持ちであることが苦しくて、何より、義理の父親に対して何も言えない”無力な”自分が悔しくて、頭が痛くなるほど泣いていた時もありました。

こんな状況が、中学に上がるまでの7年間も続くとは、自分でも想像していなくて、自分自身の無力さやこんな状況の理不尽さを痛感する日々を過ごしていました。

そんな、毎日を繰り返していたある日、僕はとうとう我慢できなくなり、義理の父親に言い返したことがきっかけで、彼と大げんかになります。

この出来事を機に、これまで自分の中だけにため込んできたモヤモヤを、母親に打ち明けます。母親は驚いた様子でしたが、僕のことを理解してくれました。それがきっかけで、両親は離婚し、物理的に義理の父親とも離れます。

仲間とバイクを乗り回す日々。バイクが僕の悩みを忘れさせてくれた。

-話してくれてありがとう。すごく苦しかったと思うんだけど、両親がご離婚された後はどうなったの?

僕は、中学のころもバイクに軽く乗っていたんですが、高校に上がったこの頃からも先輩や仲間と遊ぶようになります。仲間とバイクに乗ることが、当時の僕にとっての唯一没頭できることで、やんちゃな先輩と仲良くなればなるほど、遊んでばかりの毎日から抜け出せなくなって、その頃は学校にもほとんど行っていませんでした。

バイクに乗ること以外で没頭できることがなくて、どこか虚しい気持ちもあったように思います。

東京_210507

そんな時、当時僕の担任だった先生から
「お前が母親を支える立場だろ。そんなんでいいのか。」と一喝。
その一言に、僕ははっとさせられました。

”両親が離婚し、母親も働きづめで苦しい状況であるにも関わらず、僕は一体何をやってるんだろう。”
”どんな時も僕のことを受け止めてくれて、支えてくれる母親を裏切ってしまっているのではないか。”
”自分の事しか考えていないじゃないか。”
そんな母親に対する申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

僕は、「このままじゃいけない」と一念発起し、自動車工場で初めてアルバイトを始めます。その時は、「自分を変えたい」「変われる」そう信じていました。

またしても、とある出来事が起きます。

当時、僕は16歳。
働いたこともないし、何が正しくて間違っているのか分からない年頃です。
そんなある時突然、僕よりずっと年上の大人から、2,30人の社員の目の前で「お前は使えない」と言われてしまったんです。とてもショックでした。「なぜ、こんなことを言われなければならないのか」と思いました。

「自分を変えたい」と思って始めたアルバイトでしたが、そんな想いも打ち砕かれ、またしても無力感でいっぱいになります。そして、ほどなくして元のバイク生活に戻ってしまいました。

自分を見捨てず、支えてくれる人との出逢い。

-そんな辛い出来事があったんだ。どうやって、気持ちを立て直していったの?

僕を見捨てずに、いつでも僕を信じてくれた学年主任の先生がいてくれたからだと思います。ハッシャダイソーシャルの三浦さんと出逢えたのも、この先生のおかげです。

その先生、僕が特にやりたいことがないことを知っていたんでしょうね。
ある時僕を呼び出して、一本の動画を見せて下さったんです。
それが、三浦さんが出ている『ガイアの夜明け』でした。

その時は正直、「ちょっと気になるなあ」くらいの感じで動画を見ていたんですが、なんとその数日後に、実際に三浦さんが僕の学校に講演に来てくださったんです。

三浦さんは講演の中で何度も「自分の可能性を信じよう」そんなメッセージを繰り返していました。このメッセージは、当時の僕の背中をググッと押してくれるものでした。僕は「もうこの人に話しかけるしかない!」と思い、講演後、三浦さんに話しかけます。

自分自身のこれまでの話や今感じていることを、本当に全て話したら、僕の想いが届いたのか、三浦さんは「俺がいる東京に来なよ」と言ってくださったんです。

東京へ行かない理由はどこにもありませんでしたから、その後すぐに、東京行きを決めます。

東京_210507_2

東京での写真

東京では、三浦さんの側で実際の働く様子を見たり、オンラインスクール「BASE CAMP」1期の様子を見たりしました。

遊びまくって学校を謹慎中だった僕にとって、自分と同世代の高校生たちが活き活きと自分のことを話す様子や、三浦さんが想いを持ち活動されている姿は刺激的でした。

たくさんの学びや気づきがあることにわくわくして、今度こそ、自分が変われるチャンスだと思いました。
本気で「自分らしく、のびのびとやりたいことをやれる人生にしたい」そう思いました。

人生の大きな選択。高校中退、BASECAMP へ。

東京から愛知へ戻った僕は、2つの選択で迷います。
学校を辞めて新しい環境に飛び込むか、謹慎期間中大人しく過ごすか。
そんな時に背中を押してくれたのは、やはり、いつも傍で支えてくれた学年主任の先生でした。

「お前がやるんなら俺は止めんよ」
そう言って、僕の背中を押してくれたんです。この時の先生の言葉があったから、自分を信じて新しい世界へ飛びこむこと・学校を辞めることを決断出来たんだと思います。

そして僕は「学校を辞めて、3ヶ月間のBASE CAMPに専念し、自分の人生を再スタートさせたい」という想いを胸に、高校を中退します。

三浦さんが講演会で僕たちに伝えてくれたように、この時には「自分にも可能性は無限にある」と信じることができていたし、学校を辞めて全てを失うわけではないと、前向きに思えていました。だから、この先の未来は怖くなかったです。

でも、正直、やっぱりどこか不安な気持ちはありました。
「進学しなければ、このまま落ちこぼれになってしまうんじゃないか」「BASE CAMPに参加することは自分のためになるのだろうか」
「この選択は、本当に正しかったのか」
そんな不安な気持ちの中、BASE CAMP2期生としての日々をスタートさせます。

自分を変えることができた、かけがえのない3ヶ月間。

-その決断、本当に勇気が必要だったと思う。実際にBASE CAMPで過ごした3ヵ月はどうだった?

気付いたら変わっていた、そんな3ヵ月でした。
「変わりたい」ってずっと思っていたけれど、気付かないうちに周りの友人からも「エル、自分のことたくさん話すようになったよね」って言ってもらうようになったんです。

BASE CAMPでは、毎回の全体授業で「成長シェア」という1週間の気づきや出来事・自分の成長をみんなに共有する時間がありました。この時間で僕は、これまでであれば、絶対人に話さなかったことを自然と話していたんです。

画像3

BASE CAMP2期生みんなとの集合写真

僕の「あれやりたい」「これやりたい」という想いに対して「じゃあやろう!」と、みんなが背中を押してくれた。

そんな、小さな”挑戦”を繰り返すうちに、これまでは信じることの出来なかった”自分の可能性”を信じられるようになりました。
「僕、意外と何でも出来ちゃうんじゃね??」って。

こうやって思えるようになったのは、紛れもなく、BASE CAMP2期生のみんなと、いつも「エルは大丈夫や!」って背中を押してくれる大人たちが傍にいてくれたおかげだと思っています。
こんな、家族みたいな存在に出逢えたことが嬉しいです!

-ありがとう!3ヶ月間のエルの学びを通して、今後の意気込みをどうぞ!

僕は今、アルバイトをしながら、ハッシャダイソーシャルの取り組みにも参加しています。どちらも、自分がやりたいからやっている事だから、すごく楽しいです!今は、新しいことや「やってみたい!」と思うことにチャレンジすることを通して、出来なかったことができるようになる喜びを味わっています。

これからも、そうやって、自分の「やってみたい!」という気持ちに素直に生きていきたいと本気で思います。これからも応援よろしくお願いします!

あとがき

最後まで読んで頂きありがとうございました。
インタビューを担当させて頂きました菜々美です。

私は、自分の気持ちに正直になって、”ありのまま生きる”という選択を大切にしているエルの姿を見て、とても心がわくわくしました。

新しいことに絶えず挑戦すること、一見ネガティブに思えることもポジティブに捉えて前向きに進むこと。そんな大切なことを、彼から教わりました。

この文章を通して「くよくよせずに、やりたいならやっちゃおうよ!」そんなメッセージが多くの人に届いてくれたら嬉しいです。
この記事を読んでくれたあなたの、背中を、そっと一押ししてくれるものとなりますように。

〈取材・文章=ハッシャダイソーシャル 三代菜々美/木村りさ

【寄付について】
ハッシャダイソーシャルの、毎年140校以上の高校や少年院・児童養護施設等で行っている「全ての若者が自分の人生を選ぶ」ためのキャリア教育プログラムの無償提供はすべて、みなさまのご寄付によって成り立っています。興味を持っていただいた方は、以下のページよりご確認ください!


【オンラインスクール「BASE CAMP」4期生大募集中!】
「変わりたい!」「何か新しいことにチャレンジしてみたい!」そう思えるそこのあなたに、とびっきりの体験をお届けします。
興味を持っていただいた方は、以下のサイトをご覧ください!🚀


全ての若者に教育の機会を届け続ける活動に使わせていただきます。皆さんのご協力をお待ちしております!