「響け!ユーフォニアム3」感想! 黒江真由は北宇治と出会わなかった久美子? 吹奏楽の特殊性の中に久美子がみたモノとは?
こんにちは!今回は「響け!ユーフォニアム3」の感想を話していきたいと思う。原作からの展開の改変などにより賛否両論の今作だが、僕はこの改変は結構肯定派だし、最後まで割と面白く観ることができた。それでは初めていこう。
「響け!ユーフォニアム」は京アニの代表作の一つであり、今回のユーフォ三期はそのシリーズとしての集大成であり完結編である。
三期の一番大きな特徴としては、久美子があらゆる意味で「当事者」になることだ。今まで、ユーフォシリーズは、麗奈とかおり先輩のオーデションバトルや、希とみぞれの関係、あすか先輩部活辞めるってよ展開など、吹奏楽部周りの様々な人間関係のゴタゴタや問題を描いてきたが、久美子にとって、その殆どは巻き込まれたり、首を突っ込んでいるだけで、直接関係のないことが多かった。それが今回の三期では、吹奏楽部全体を揺るがす、久美子VS黒江のソリ争奪戦という事件の当事者になり、久美子が中心に話が動いていく。
さらに久美子は、部長として部内の人間関係のケアやマネジメントに奔走する。本来人間関係も含めたチーム全体のマネジメントは、久美子だけの仕事ではなく、顧問の滝先生や幹部の麗奈も担うべきことだと思うのだが、残念なことに、ほぼ久美子一人で負担することなってしまっていて不憫である。麗奈は技術的な部分では頼りになるのだろうが、人に正論を押し付けるような接し方しかできず、むしろ部内の空気を余計悪くさせてしまっているし、滝先生に関しては、人間関係のマネジメントに関してははなから放棄気味である。
オーデションによる滝先生への不信感や、正論で押さえつけてくる麗奈、そして、部長である久美子が転校生の黒江真由にソリをとられたことなどから、部全体の雰囲気が悪くなり、チームの一体感が崩れてしまう。そんな中、大会での演奏直前に、久美子はある演説を行う。その内容は、部内での不満や不安があることは事実として受け止め、それを無理に正そうとはせず、今まで全員で磨いてきた北宇治の音で、全国金賞を取りたいという全員が共通している部分に目を向けようとするような主張である。
部内に生まれている不満等は、新しい体制に挑戦した故に生まれた、ある意味では仕方のない事である。だから久美子はそれを強引に解決するのではなく受け入れる。そのうえで、自分の本心でもあり、全員が共通している思いである、大好きな北宇治の音で全国金賞を取るという目標を前面に押し出し、チームの結束をはかった。
結局人間というのは感情の生き物であり、人間関係の問題は正論では解決出来ない。久美子のように、正しさではなく自分の本心をぶつけ、感情に訴えかけるやり方が、結局一番効果的である。この辺の展開など、あすか先輩編と若干似ている流れではあるが、ある意味でユーフォらしくもあり、声優さんの演技も相まってなかなかよかった。
次に黒江真由というキャラについてだが、久美子は黒江を中学時代のどこか吹奏楽に対して冷めていて、主体性のない自分に似ていると感じていた。この事からもわかるように、黒江とは北宇治と出会わなかった久美子なのだ。こうだったかもしれないという久美子のもう一つの可能性が黒江なのである。久美子は北宇治に入り、滝先生や麗奈、あすか先輩らと出会うことで、吹奏楽に対する熱意や主体性を持ち始めた。黒江は北宇治に出会わず、吹奏楽に対し、どこか冷めたまま成長した久美子なのである。
なので、僕は、最後に久美子が黒江(北宇治と出会わなかった久美子)にオーデションで勝つことで、北宇治で成長してきた自分自身を肯定するというような展開になると思っていた(実際原作では最後のソリは久美子が勝ち取るらしい)しかし、アニメの方では最後のオーデションでも久美子は黒江に負けてソリを取られてしまう。
賛否両論をよんだこの改変だが、僕は賛成派である。黒江にオーデションで勝つことで、久美子は過去の自分を乗り越え、北宇治で成長した自分を肯定するのではなく、オーデションでは負けたけど、北宇治のルールである「実力主義」に殉じ、自分よりも黒江がソリを吹いた方が北宇治にとってベストだという現実を受け入れる事で、北宇治の主将としての使命を果たした。久美子は自分個人の感情よりも、北宇治全体のことを尊重し、最後までその信念を貫く事ができた。どう考えても、この改変したアニメ版の展開の方が優れている。原作改変には色々と勇気が必要だったと思うが、アニメ制作サイドの人達はいい改変をしてくれたと思う。
あと一つ思ったのは、もう一つの京アニの代表作、「けいおん!」とユーフォはすごく対比的な作品だと感じた。ユーフォは、部内でもポジション争いがあり、大会では他校と競い合い勝たなくてはいけない、シビアな勝負の世界の音楽を描いている。それに対してけいおんは、日常を楽しく彩るための音楽であり、そこに勝負や競争の残酷さはなく、ただ楽しむための音楽を描いている。比喩的にいうと、滝先生は最初に楽しむための部活にするか、本気で全国金を取りに行くかを生徒達に聞くが、あの質問に対し、前者を選んだのがけいおんで後者を選んだのがユーフォなのだ。確かにけいおんのような、日常を彩るための楽しさを追求する音楽も素晴らしいものだ。しかし、競争の残酷さや勝負の苦しさの中だからこそ聞こえてくる音がある。残酷で苦しい勝負の世界でしか奏でられない音があるのだ。
僕の感想はこんな所であるが、最後に一つだけ。ラストで久美子は、教師になり吹奏楽部の顧問になる。これはこのユーフォという作品そのものにも通じるラストだ。ユーフォは吹奏楽の音楽としてのテクニカルなことを描くのではなく、吹奏楽部の周辺に巻き起こる人間模様を中心に描いていた。1年毎に大きく人が入れ替わるチームで、一期一会的な演奏を行っていく吹奏楽部の特性や、その特性の中に生まれる人の繋がりの方に久美子は魅力を感じたのであろう。だからこそ麗奈やみぞれのように、奏者として音楽そのものを追求する道に進むのではなく、学生の吹奏楽部という場に教師という形で関わり続ける道を選んだのだ。
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