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『雀児』に見る麻雀マンガのハッタリ

つい先日、『週刊少年ジャンプ』のWebサイトである「少年ジャンプ+」(通称:ジャンプラ)に、初の麻雀マンガである『雀児』が掲載され、話題になりました。

底辺noterとして、時事ネタには全力で乗っからねば、という熱い思いで書いたのがこの記事です。

麻雀マンガはハッタリが命!!

『サルでも描けるまんが教室』(通称:サルまん)という、1990年代に一世を風靡したマンガ入門書がありました。
その中の各ジャンルのマンガをどう描けばよいかを説明した箇所に、「麻雀マンガ」の項もありました。ちなみに、最近なら、「きららマンガ」とかが入るんでしょうかね。

麻雀なぞ知らんでも、麻雀マンガは描ける!!

その「ウケる麻雀まんがの描き方」によれば、

ということになります。
じゃあ、何が大事なのかというと、それは「ハッタリ」なんですね。

ハッタリ。麻雀まんがの本質を一言で言い表わすならばこの言葉に尽きよう。言うまでもないが、麻雀まんがはその大部分が麻雀シーンによってできている。ということは、画面的には殆どがバストアップ、即ち人物の上半身のみの描写に終始しなければならないのだ。(中略)この非常に限られた制約の中で魅力あるドラマを展開するにはよほどの技倆が作者に要求されると言えるだろう。(中略)以上の三ハッタリで読者の脳を撹乱する!! さもなくば到底、たかが麻雀に生命のやりとりをする男の生き様を感動的にごまかすことなどできぬ。

『サルでも描けるまんが教室 21世紀愛蔵版(上)』127ページ

麻雀マンガのハッタリ三箇条

そして、提唱されるのが、以下の「麻雀マンガのハッタリ三箇条」です。

  1. 効果のハッタリ

  2. セリフのハッタリ

  3. 顔のハッタリ

特に、3つ目の「顔のハッタリ」が最も重要であり、「顔さえ描ければ麻雀まんがは勝ったも同然」とさえ言われています。

「ハッタリのきく顔」の代表格とされたスピリッツ編集長(当時)

『雀児』に見る麻雀マンガのハッタリ

じゃあ、この「麻雀マンガのハッタリ三箇条」から見て、『雀児』はどうだったのかというと、

1.効果のハッタリ

全体的に『雀児』には派手な効果はなく、淡白です。
うーん、ここは、もうちょっとがんばってほしかった気がしますね。宇宙とか。

この「オオオオ」はけっこう好きでした。
森遊作先生が『鉄火場のシン』で多用していた、煮詰まった状況や手牌の凄みを表現する擬音ですね。

『鉄火場のシン』第4巻

2.セリフのハッタリ

うひょーっ、これですよ、これ。
幼稚園児まで、こういう殺伐としたセリフを吐くのが、麻雀マンガなんですね。

3.顔のハッタリ

ぶん殴りたくなるようなユウジくんのこの表情、いいですね。勝ったッ!
西が雀頭なのに、「タンピン」って申告してるとか、ささいな問題ですよ。

このように、令和の現在においても、30年前にサルまんが提唱した「麻雀マンガのハッタリ三箇条」が有効であることが証明されました!

さぁ、麻雀マンガをあたらしい時代へ

10年前の以下の記事で、私は、サルまんの主張には、さすがに時代の歩みによって追い越された部分もあると指摘していました。
「麻雀マンガは大部分が麻雀シーンであり、画面のほとんどがバストアップになる」という点ですね。

そして、「バストアップを超えた最先端の麻雀シーン」として紹介したのが、『咲 -Saki-』第8巻のこの箇所でした。

時代の最先端を行くローアングルの麻雀シーン

しかし、残念なことに、時代の先を行きすぎたせいか、『咲』が一歩踏み出した後に続く麻雀マンガは、その後、現れませんでした。

他にも、スタイリッシュな麻雀マンガは、バストアップという定番アングルに安住せず、いろいろと工夫しています。

スタイリッシュな股間強調

もうちょっと『雀児』の話をしようか

個人的には、『雀児』はそれほど面白いとは思いませんでしたが、もう少し語ってみます。

麻雀をマジメにやりすぎている

麻雀ファンからは、以下のツッコミに代表されるように、「麻雀をもっとマジメにやれ」という感想が多くありました。

しかし、私は、逆に、「一般誌でやるには、麻雀をマジメにやりすぎなのでは🤔」という感想を持ちました。大量の麻雀用語をぶっ込んで、話が麻雀にかたよりすぎではないかと。
まあ、一般誌といっても、ジャンプラは実験場的な意味合いの強いサイトであり、ニッチなマンガも多いので、それほど一般受けは意識しなくていいのかもしれませんが。

ともあれ、一般誌では、大半の読者にとっては麻雀のルールなんか知ったこっちゃないので、ルールや用語がわからなくても、何か面白い(or スゴい)ことをやっていると思えるような絵作りが必要だと思うんですよね。

作者の平岡先生はこう言っていますが、わかりやすく描いたとしても、麻雀のプレイやイカサマを使った密度の濃いギャグというのは、一般層には目が滑るので、なかなかついていけないんじゃないかなあ。

アングラなイメージを引きずっている

上の園長の設定はじめ、「メスブタがよぉ」だの「100万円払えよ」だのに見られるように、『雀児』は麻雀のアングラな面を強調しています。

日本唯一の麻雀マンガの専門誌である『近代麻雀』は、最近では、ギャンブルのイメージをどんどん減らし、MリーグにVTuberと、地下の雀荘で打っていた昭和のおっちゃんたちが舌打ちしそうな健全さに満ちています。その一方で、超メジャー誌の系列にあるジャンプラが、時代に逆行するように、アングラ風味全開の麻雀マンガを掲載するのは面白いなと思いました。
といっても意図があるわけではなく、麻雀の従来のイメージを踏襲しているだけで、つまりは、それが世間の見方ということなんでしょうね。

ジャンプラの本誌である『週刊少年ジャンプ』では、囲碁ブームを巻き起こした『ヒカルの碁』が連載されていましたし、いずれも短命に終わったとはいえ、将棋マンガも何本かありました(最新作は、2019年の『ふたりの太星』)。
最近の流れからすれば、Mリーガーをめざす中高生を主人公とした青春麻雀マンガが連載されてもよさそうなものですが、麻雀はまだまだこんなイメージなんだな、と残念に思う部分もありました。

麻雀マンガの新時代のためにも、お絵描きAI・NovelAIちゃんが、早いとこ、麻雀は積み木遊びではないと認識してくれないかなあ、と強く思ったことでした。おしまい

せめて、積み木の種類は統一しようよ (>_<)

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