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【百年ニュース】1920(大正9)6月20日(日)施存統(20)が上海を出発、留学のため東京へ向かう。施存統は初期の中国共産党メンバーのひとり。施の出発直前に上海で陳独秀を中心に社会共産党(上海共産主義小組)が結成され、翌年の中国共産党結党につながる。施は日本到着後周仏海と2名で日本小組結成。

【百年ニュース】1920(大正9)6月26日(土)施存統が東京に到着。施は戴季陶に心酔し,勧めに従い日本留学を決意。また当時肺を患っておりその療養も目的。東京到着後すぐに宮崎滔天宅(北豊島郡高田村,現目白駅付近)へ。滔天の長男宮崎龍介は施を到着当日病院に連れていった。

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【百年ニュース】1920(大正9)9月10日(金) 施存統が東京同文書院(目白中学校)入学。経済学習得の前提となる日本語を学び始める。来日前戴季陶より日本語習得には3年必要と聞くが年末には長編翻訳論文を「民国日報」に投稿。施は宮崎滔天,龍介宅に近い高田村1556の三崎館に下宿。