「神は細部に宿る」 全くその通りで、クリエイターが何かを産み出す時、細部を軽視する人に神はご褒美を決して与えてはくれない。でも細部だけやることに嬉々として全体のデザインや構造や意味に無頓着な人にも神はご褒美をくれないと思う。クリエイターとは本来、創造主=神という意味だし。
ある作品が予想外にヒットして揉める場合は、だいたい関わった人がどれだけその作品に関わったかの認識の違いから揉めるんだけど、その揉め事を事前に防ぐために最初に丁寧にクリア作業してる作品に限って、結果そんなにヒットしなかったりする業界あるある。つまりヒットしたから揉めるとも言える。
何かプロジェクトを始める時に、テキセツに選ぶことばかりに執心して、いざ始めるとテキトーに行う人が多い。 でも本当に大事なことは、選ぶのはテキトーでも、始めたらテキセツに行うことだと思う。 アイデアを始めても、それがサスティナブルに続かないと、いつまでも形にはならない。
自分はこんなにすごいです!と売り込まないと仕事にならないってのはなんか苦手だし嫌なんだけど、新しいことを始める場合は先方にそれを自分ですごいんだって売り込まなくては始まらないわけで。さらにその説明が先方に理解されてないとわかったりするとなんか恥ずかしいし自己嫌悪になる。難しい。
ある地方の大型書店でトークイベントを計画していたが、先方と何度かやりとりして日程も決めたのにその後音沙汰無し。で今電話してみたらその日はNGですと。その連絡自体も無いし進める気も無いみたい。結局何かが進んだりカタチになるのは担当者のやる気であってそれが無いなら何も生まれない。残念
やりたくないことをやらないために会社を辞めたのだから、僕にやりたくないことやらせようとしてもダメなのです。だって我慢してやりたくないことやるんだったら、元いた会社で我慢してやってるよって話だから。やりたくないことやるのに我慢できるなら、そもそも会社辞めてないわけで。
オンラインサロンの運営会議を皆でしててオンラインサロンの問題点と限界がかなりわかった。クローズドな社会で起こる慢心や過信や不信や勘違いの増長がリアル社会より過度に増幅する。身体的な接触が少ない分身体的交信が培っていた調整機能が減退する。要は僕らは直接体験しないと意味がないのだ
閉じたフレームの中でのヒットを狙う。 閉じた組織の中での意見で動く。 閉じた市場の中でのマーケティングで商品を作る。 それが閉じた世界の中では勝利の法則なのかもしれないけど、それに邁進するあまり外の世界とのクオリティの差がどんどん開いていく。自己満足に特化した閉塞感と行き詰まり。
仇花・徒花【あだばな】咲いても実を結ばずに散る花。転じて、実を伴わない物事。むだ花。 人との出会いも、はじめた仕事も、作った作品も、自分の人生も、徒花ってことはよくある。でもその花が一瞬でも美しかったのならそれはそれいいんじゃないだろうか。とか思わないとやってられない時がある。
元部下の同僚のモチベが低いって悩みに答えて。 本当に最近思うんだけど自分の一回の人生を何に使うか?ってことなんだと思う。だって一回しかないんだよ。その一回を1つのことにずーっと使うもよし色々やるもよし。だから貴方と違う、自分は違う人生歩みたいって人生も同様に尊いと僕は思うよ。
7月1日。今年も半分。うまくいかないこともうまくいきそうなことも、楽しいことも嫌なことも、わかって欲しいことも、わかりそうもないことも、それなりにある。そんなグツグツいろんな気持ちが寄せ鍋のように煮込まれてる今の気持ちは、今は書けそうにないから、いつか書こう。
W杯をアプリでフジロックをYouTubeでJリーグをDAZNで見るこの夏。もうテレビを見ない夏。だってテレビ付けても見るべきものがない。というかその時間に見たいものがある時は見るけどただ付けても見たいものはほとんど無い。見たいものは後で見る。つまりもうテレビは共時的には見ない。
8月も終わる。残念な出来事もワクワクする出来事もカタチが崩れる出来事もカタチが生まれる出来事もいろいろあった。禍福は糾える縄の如しとはよく言ったもので禍福はほぼ同時に来たりする。悲しさとうれしさは同時にやってくる。終わるものは終わり始まるものは始まる。てことで9月が始まる。
先日の出版社の人との話。新聞の書評がかつてほど本の購買につながらないらしい。理由は様々だけど、本の中身の良さを言われても本自体にアクセスすること自体が面倒だと思われている。つまり海外旅行は楽しいですよって言われても成田空港に行くのが面倒だからという理由で行かないような。
何かを生み出すためには【仕組み】と【中身】があって、仕組み側の人はその仕組みであとは中身を誰かに作らせれば儲かるとか人気出るとか皮算用するんだけど、その場合だいたい中身側の人に裏切られる。それは中身側の人への敬意がないから。人は信じてくれない人を信じることはできない。 逆も然り。
上手くいくか失敗するかは水モノだからその結果はまだ仕方がないとして、それをやってることが誰にも報われないことが一番虚しいし寂しくなると思う。人は誰もが承認欲求の塊でそれはネガティブに言われがちだけど、互いが互いの承認欲求に応えてあげることが、実はとても大切なことなんじゃないか。
新しいこと 新しいこと 新しいこと 今日3つのミーティングしたら、3つの場所で、3つの新しいことが生まれた。 既存のフレームの中で売り上げや人気を上げるのに躍起になるより、新しいフレームを作ることの方が何倍も楽しい。それが3つもある。 バイバイ既存のフレーム。
これホント自戒を込めてもなんだけど、問題を起こす人や組織は、その起こった問題への謝罪や後処理でも問題を起こす(場合が多い)。つまり問題が起こったのは、たまたま起こった不幸な事件というより、その人や組織に元々問題が起こるようなやり方や思想や仕組みが内在している場合が多い。
日々の暮らしや勉強や仕事や人生の中で、自分においても他人においても会社の中でも社会全体でも最大の敵は“面倒くさい”って気持ちだと思う。あらゆることがこの“面倒くさい”って感情で停止するし停滞するし邪魔されるし妨害される。むしろこの面倒くさいを抜け出したものだけが前に進むと思う。
今や時々刻々と環境や状況が変化しているのだから、それに合わせて人の言動が変化する=朝令暮改の方が初志貫徹とか終始一貫よりも自然かも。その際にむしろ問題なのは言葉と行動の不一致。言ってることもやってることもコロコロ変わってもいいけど、言ってることとやってることが違うことが問題。
その考え方がスキだなって共感する人が、自分と考え方を違う人をディスってたりするのを見たりすると、なんか悲しくなるな。ある考え方がステキなら、逆の考え方の人をディスる必要なんかないんじゃないかな。それだとステキな考え方が、なんかステキじゃなくなって、スキでもなくなってしまう。
最近気づいたこと。ネットだコミュニケーションだって世界だから友人や知り合いが多い的なことが大切なんだろうけど、友人少ないですって人の方が実際会うと僕はなんか安心する。コミュニケーションはその人の魅力とコネクトする手段であって、それ自体が目的になってる人が苦手だから。
長年プロデューサーをやってるので、色んなサービス業とかで対応する人の言動の端々で、その人(その会社)の営業や接客方針が透けて見えてしまう。途中からお金回収に動き始めたな!とか。最初の「お客様を思って」ってスタンスが「自分たちの利益のために」に変わる瞬間。それに出会うとやるせない。
ワイドショー見ててコメンテイターの言舌について考える。「専門外のことを僕はこう思うんですけど」とコメントしたりする。でもそれって普通の人が普通の生活の中で言っていることと何ら信憑性では変わらない。なのにテレビのワイドショーで言ってるだけで、ある種のパワーと信憑性を持ってしまう。
メーカーだけでなくそれをチェックする番人も不正。日本の優位性と長く信じられてきた(信じさせられてきた)日本の品質と技術の神話なんてものは本当に虚構だったんだって改めて思い知る。多分多かれ少なかれどの業界でもある話で、その認識の上で一人一人これからどう生きるかが問われてると思う。
武道館ライブで、小沢健二さんが“世代”というのは広告が作ったモノだって言ってたけど、ほんとそう思う。僕らは広告とテレビの作ったイメージと概念に引っ張られ過ぎている。自分がいいと思ったモノがいいわけで、わからない人は何歳だってわからない。そこに年齢なんてひとつも関係ないのだ。
知り合いの高3受験生の息子さんが拙著「最速で身につく世界史」で世界史に興味が湧き、勉強のやり方の特殊講義を開催。結構自分流のやり方、名付けて『バラエティ勉強法』があるんだと実感。「興味を開く→知識をつなぐ→問題を間違える→知性として体得する」ってメソッド。これ、本になるな!
「世界中の戦死したその当時の兵士たち、若者たちの中には生きていれば本当はものすごい人類の文明に貢献した人がいっぱいいたはずなんですよ。それが大勢死んでるわけですよ。戦争というのは未来を、自分の未来をつぶすわけです。」 松本零士 NHKニュースおはよう日本8/13
新幹線乗ると、TOKIOのアンビシャスジャパンがかかって、時代の流れを感じたりしてちょっとだけ悲しくなったり、うたばんの博士くんのビーアンビシャス号をなぜか思い出したりして、ちょっとだけにやけてる自分がいる。
「連日暑さが続いて、熱がたまってくると暑くてたまらない」ってつい喋ったんだけど、たまるとたまらないって? 辞書には「たまらない」の「たまる」って我慢って意味とあり、それができないから「たまらない」らしいんだけど、たまらなくなるのは、何か気持ちがたまってきた時のような気がする。
角田陽一郎著『最速で身につく世界史』また重版決まりました!!これでなんと13刷です! ロングセラーになっております! 社会人の方も学生の方も歴史が好きな方も苦手な方も、ぜひお読みください!
声高に自分の論を主張しても、多分そういう論争になりがちなことはだいたい半分くらい正しくて半分くらい間違ってると思う。それが51対49だと正解で49対51だと不正解とされてしまうような。なので大事なことは自分がたまたま51の方だとしても49の方にも耳を傾けることじゃないだろうか。
他人のことをほとんど理解できないのはそもそも当たり前なのだから、僕らができることはお互い理解してみようと努めようとそれでも思い続けることしかないのだ。なので相手の言動がそれでもどうしても理解できないと思ってしまったら、その時点でその人との関係性は終わることを意味する。
角田陽一郎の新刊『運の技術』いよいよ6月15日発売です!ゆうこすさん 、AR三兄弟川田十夢さん、マキタスポーツさんに推薦いただきました! 運を具体的な事例をもとに論理的に解説してる本です! 絶対お役にたちます! ぜひお読みください!
〇〇さんを紹介して!って自分に近づいて来た人に(仕方なく)〇〇さんを紹介するとろくなことがない。その人との関係を利己的に雑に扱ったりされて、自分と〇〇さんの関係が逆に悪くなったりする。紹介して!と近寄ってくる人は多分に利己的だから。人間関係を利己的なツールとしか見ていないから。
いろいろな業界でかつて力を持っていた既存の組織の権力とか圧力とかが急速に薄らいでいる。今までだったらその組織の権力で封じ込めてた個人への理不尽さが露わになってる。それを見知った時、一人一人がどんな所感を持ちどんな行動を取るか?その総体がこれからの組織の新しいあり方を形作ると思う。
「U(あなた)が渦になるとUNIT(集まり)になり、さらに渦になるUNIVERSE(世界)になる」的なことを朝からラジオ聴きながら考えていたら、J-WAVEからacross the universeが流れる奇跡。
お腹の贅肉が少し減るだけで、身体も考え方もぐっと軽くなる。 すると身体も思考も途端に動きやすくなる。 動きやすくなると身体も思考も何処かもっと別の場所へいける(気がする)。 未来に向けて自分の思考を変えることとは、つまり僕にとっては痩せることだ。 、、、痩せよう。
立場や地位が上(だと思ってる)人が下の人に文句や意見を言うことと、立場や地位が下(だと思ってる)人が上の人に文句や意見を言うことは等価ではない。勇気と気概が根本から違う。厄介なのは立場や地位が上の人が、自分が上だと自覚しないで下の人に言う文句や意見。それがハラスメントを産む。
角田陽一郎の新刊『運の技術』と『13の未来地図』青山ブックセンターさん平積み!ありがとうございます!皆さま是非!!
説明しなくてはそれがわからんというのは、つまり、どれだけ説明してもわからんということだ ー村上春樹「1Q84」より
今日の話。角田さんのロールモデルは?って尋ねられたのだけれど、若い頃にはこういう人になりたいって確かに漠然と憧れがあったのだけれど、今は全くない。それっていい点も悪い点もあって、精神的には独立独歩とも言えるし孤立無援とも言える。見たことない未踏の地に足を踏み入れてる感覚。