飛岡さんが亡くなった5年後に、福島第一原発事故が発生しましたが、飛岡さんは、事故に遭遇せずに亡くなったことは、本人にとって良くないことであり、アルコール中毒患者が、素人並みの安全対策に携わったことも一因しており、いい加減なことをすれば、いい加減な結果になることを認識すべきでした。
(続き) 飛岡さんは、原研勤務中、飲酒していたアル中患者で、原子力安全委員会委員の時も、勤務中に飲酒しているところが見つかり、問題視されました。原子力安全委員会委員の時、勤務時間が終了すると、ビルの地下の飲み屋に直行、飲酒。その程度の人間が、原子力規制に携わっていたので、大事故。