天正16年(1588)閏5月14日は肥後国人一揆の責任を問われた佐々成政が尼崎で切腹した日。信長の黒母衣衆筆頭として活躍し本能寺の変後は秀吉と対立した。秀吉に許された後に九州征伐の手柄で肥後一国を任された。しかし早急な検地などの影響で国人一揆が起き成政は自力で鎮圧できなかった。