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天正10年(1582)12月20日は秀吉が柴田勝家と結ぶ織田信孝(信長三男)の岐阜城を包囲し和議を結んだ日。織田家当主と決まった信長の孫・三法師を信孝が安土城へ送らないことを信雄(信長次男)と組んだ秀吉が謀反とみなした。本当の裏切り者は大声で非難していると後世見るとわかりますね。

天正10年(1582)12月20日は秀吉が柴田勝家と結ぶ織田信孝(信長三男)の岐阜城を包囲し和議を結んだ日。織田家当主と決まった信長の孫・三法師を信孝が安土城へ送らないことを口実に信雄(信長次男)と秀吉が岐阜城を包囲。越前の勝家は雪で動けず丹羽長秀や池田恒興は秀吉らを支持した。