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長享2年(1488)6月9日は加賀守護の富樫政親が長享の一揆で一揆勢に高尾城を攻められ自害した日。守護は引き続き富樫一族が継承したものの実質的な支配権は本願寺門徒や国人衆が握った。これにより加賀は信長による支配までのおよそ90年間にわたって「百姓の持ちたる国」と呼ばれることに。

明応8年(1499)3月25日は浄土真宗本願寺第8世の蓮如が山科で85歳にて死去した日。本願寺中興の祖といわれ宗義を庶民が親しめる平易な文の御文(おふみ)にまとめた。比叡山延暦寺の圧力により北陸など中心に布教。これがなければ加賀国が「百姓の持ちたる国」になっていないのでしょうね。

天正8年(1580)11月17日は柴田勝家が加賀一向一揆を鎮圧し指導者19人の首を安土の信長のもとへ送った日。3月に信長と石山本願寺の和睦があり加賀国へも停戦を指示していたが戦いは続いた。加賀は一揆が守護を討って信長による平定まで約90年に渡り百姓の持ちたる国という状況だった。