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ものしりじいさま鶴見俊輔氏は、1905(明治38)年が転換点だったという。 首肯できるところも多々あり、あらためて日露戦争前後の本を積ん読山から発掘中。

胸中の温気

8か月前

若きサムライのために (7)

日露戦争中の1905(明治38)年6月、日本海軍はロシアのバルチック艦隊を破った。だが戦争継続の余力を失った日本は、同様に疲弊したロシアに対する停戦の斡旋を米国のルーズベルト大統領に申し入れる。 同年9月5日、米国ニューハンプシャー州ポーツマス近郊にて両国の講和条約が締結。

『愛国心はならず者の最後の避難所である』 サミュエル・ジョンソン 『誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇った者がない。大和魂はそれ天狗の類か』 夏目漱石 日本 20240827