教材の上手い使い方とは。先ず演習、分析そして本読みである。私は教材をいきなりは使わない。地頭を鍛えるには先ず過去の知識そして題意を読み解き空で挑む。それが鉄則。徒手空拳で挑んで例えボロ負けしても、次で取返すという意地こそ、実は栄養素なのだと理解されたい。
勉強しなくても何とかなるけど、すればチャンスは広がるし資格も取れる。家族は今更貴方が勉強したってマネタイズは出来ないって嘗ては言われた。勉強って言ったって色んな分野があるし、耳目を集める科目も限られてる。だから、中高で勉強って人生に横串を刺すもので機会を作るにはうってつけである。
人を救うのは、教義ではなくて制度を知る事だ。多くの人達が貧困に喘ぐ状況というのは、誰かの啓蒙活動に依存するだけでなく自分で行政の諸制度を調べ、行動に移す気概を持たねばならない。菅前総理が自助・共助・公助を掲げていたが、先ずは自助のやり方を情報収集しなきゃ餓死者を多く作る事になる。
人の意見を訊くのは有効な一手だが、それを纏めるのは責任者による責務である事まで教育というのは伝えない。だから我が国においてリーダーが孤独という認識が広まらず、意見を訊いていない奴だといった批判が先ず広まる。いつの世も考えを貫いた人もいるが多くの頓挫した事例はその理由が表にでない。
ストレス耐性のない人ほど勉強が不得意とする考えがあるが、ストレスの掛け方次第で大分その持続可能な勉強時間を確保しやすい。今大学でオンライン講義が残ってるかはしらないが、基本1・5倍速くらいで聴けるならそうやった方が良い。短期集中で、繰り返し聴いてテキストに先生のヒントを書き込む。
声優の鷹村彩花さんと芸人の永野さんの詭弁部始めましたの配信を視聴。鷹村さんのバイブルが有川浩さんの図書館戦争という。図書館戦争はラノベに分類されるので、文体としては柔らかな表現になってる。鷹村さんは年間二百冊読む読書家で、長宗我部元親の大ファン。永野さんも負けじとトークで返す。
最近脳のメモリがガクンと落ちた気がする。記憶とは取っ掛りが重要で、色んな略語で体得するのが常なのだが、ごっそり抜けてく感じだ。知識と経験で勉強するのが元来の試験対策なはずなのだ。色んな論文読むが、理解出来るのは一部なので朝起きて読み、寝る前に読むくらいしなきゃいけないのかな。
今年の紅白は福山雅治さんは甲子園のテーマで出場確定。後はmiletさん、adoさん等々。目玉は誰なのか今の時点で予想するのは早計過ぎるのでもう控えるが、トラジャも期待出来る。さて、そうこうしているうちにまた海外に行くときが来るようだ。私の旅の思い出というのは、やはり食べ物になる。
苦しい時の神頼み。正しく人間とはご都合主義である事は指摘されよう。ただ、神様がいるとしたら救ってあげてよって事、誰だって沢山あると思う。あらゆる差別不公平理不尽に徒手空拳にて挑むのが極小なる人間に出来る事であるし、そうやって切り抜けていくしかないんだと考えたい。
考えて行動するのは得意分野な人はインプットからアウトプットまでの距離が短く一直線の脳内構造になってる。そういう人は多い。深く考え過ぎないから、スムーズに慣らす事ができるのだ。脳は良いよりも頑丈な方がマシなのである。
FFのADBがATBの完成系というが、異議がある。敵の攻撃範囲や敵との距離、刻々と変化する位置によってこちらが使う技、位置の状況を考えねばならないのがベストというのがADB。だが、それではプレイヤーが考慮しなければならない事項が多すぎて、時間を満たしたらダメージタイムとするが楽。
フィリップス曲線のお話を聴く度に、インフレ率と失業率の関係性で必要なマイルドなインフレが重要だと理解出来る。リフレ派とは米国で通用力を持ったノーベル賞のバーナンキさんを含む一グループだ。何故か日本では少数派とされ、異端児扱いだが、世界標準で言ったら、極めて普通の論者達である。
ちきしょう!って言ったら冷笑された。元々私らに勝てる相手じゃないからって。それってどう?確かに私らはプロじゃないし、結果を期待されてるチームでもない。けど勝負である以上、試合が始まったら全力で挑まなくてはみっともない。そんな学生時代の思い出が急に脳裏に浮かんだ。ツラ悲し。
私も旅先で美味しい物を食べたし、景色を楽しみながら珈琲を嗜むと気分も爽快である。旅行というのは、人にとってイメチェンであり、チルの機会なのだ。色んな人達と出会い別れ、帰路に着くと写真を見ては旅を感じる。だから、旅は多くの財産を人にもたらしてくれるのだ。
愛読書は図書館戦争。ラノベ界のカリスマ、有川ひろ先生の名著。そして堀江貴文先生のゼロ。口語体で書かれたあどけなさを残しつつも分かり易い内容。世の中にはこんなに幼さもありつつ、訴えかける作品があるのだな。
noteでもっと色々な記事を読みたいと思っても、私も含め書き手はどうしても時流に沿った記事内容になってしまうが故、実際内容に偏りが出てしまうのは勿体ないなと感じます。じゃあ先ずお前が斬新な記事を書けやという話になるが。どうしても、学歴でも偏差値至上になり、技術の話に終始してまう。
アンチヒーロー。大島優子さんがスパイだったのは見抜いていたが、これは多くの視聴者も予見出来てたような気がする。長谷川博己さんが野村萬斎さんがラスボスか?もっと裏に潜んでるのでは?みたいに言うから其処ら辺も期待したけど、特に語られる事はなく。
可能なら過去に戻ってやり直すという漫画が多い。私も東リベは愛読書だし、設定としては興味深いのだが、人生に置き換えればそれはマイナスだろう。時の流れに沿うなら、未来に向けて頑張るしかないだろう。
イヤだなとか苦手だなって思う感情自体は誰しもそうだから否定しないけど、社会に出たら、当然色んな人がいる中ある程度は共に過ごす時間もあるので。大人としてやっていくというのは色んな価値観と距離を置きつつ付き合っていくのが重要で、プライバシーとか守りながら、貢献していけばいい。
学部で最先端の研究を教えるのは義務なんじゃないかと強く思う。寧ろ社会と学部の橋渡しこそ、高等教育の存在意義とまで思える。ただ、それは歴史を否定するものではなく、長年の積み重ねの結果という過程も同時に考えてもらわねばならない。そう云う主張に沿うメディアはYouTubeではないか。
知識の最先端を学んだ人というのは、所謂無知のお馬鹿さんにバカにされやすい。孤独である。無知とは傲慢と偏見を兼ね備えており、実際学んだ人達の苦労が取越し苦労になりがちだ。その無知の倍増を防ぐ為、大学全入時代の到来を早くから訴えているのが啓蒙活動する人らなのである。
国民民主党の小池都知事再選支持は正しく首長・議会の二元代表制の維持向上をマストとした処にある。この八年間に亘る小池都政の総決算が今度の七夕決選であるだろう。都民の方々は、今般の都政をどう見ているのか。そして各政党の思惑も次の総裁選を睨んだ自民の党内バトルも恐らく答え合わせされる。
スペインのバルセロナで観光客に家に帰れデモが勃発。民泊の賃貸アパート乱立のせいで、家賃が急騰している事が原因だと言う。インバウンドの裏には、πの食い合いがあるのか。観光税を上げて、観光客の数を絞ろうとしているが、海外旅行ファンの私としては、何かいい解決法はないかと思ってしまう。
よくよく考えれば小論文を学んだのは、社会科学の仕組みを先取りしようとする狙いがあったからだ。思想が右でも左でもなく、社会に存在する解決すべき課題を見定め、考える。それって大人になっても変わらない連綿とした知の体系を自分の中に落とし込む、重要な練習である。私の中だけでは完結しない。
最近はHERO観返してる。キムタクの演技が、というよりかは松たか子のツッコミが面白くて視聴するのだが、城西支部の面々の掛け合いも結局末次さんのオチで決着する事が多く、検察ドラマというよりかは群集劇を楽しんでいるかのような感じだ。映画はコテンパンにこき下ろされてるが、そこはそこで。
まだ本なんて読んでんのか。母に言われた事がある。知性の類が読書で身につくだなんて傲慢な考えには至らない。寧ろ読書で世界と差をつけられるとさえ思う。旧優生保護法違憲訴訟はあの損賠額で区切をつけたと思われてるが、原告は適正な賠償金を求めるべきでは?昔の日本は差別意識の塊だったから。
大学に落ちたとか何だとか一生懸命ブログに吐き出す書き手を見る度に、私が思うのは、だから勉強しなさいとしか言えない。こんなに勉強したのにと勉強した参考書とか問題集をひたすら羅列する人もいるけど、頭に入っていなかったんだから、仕方ない。兎に角毒を吐きつつ、次の試験に備えないと。
仲間を集めて、1つの目的に向かい邁進するそんな漫画の主人公みたいな政治家はあまりいない。そもそも具体的に仲間を作るって、飲み友になるか同じ趣味嗜好持ってるか、カ◯払うか。ネットでは高市さんか青山さん推すけど、実際これは支持されるか否かは不透明なので。
ヨビノリたくみ先生の熱力学の歴史の動画、起源となる熱素から今に至る原子・粒子の働きまで、ざっくりかつ明解に振り返られるのが良かった。たくみ先生の専門でもあるので、先生も気合がのっている感じがした。視聴数ももっと伸びて欲しい・・。
高橋洋一さんの安倍元総理への畏敬の念は知れば知るほど深いものだと思う。アベノミクスの理論的支柱たる金融政策は高橋さん、いやクルーグマンの理論通りであると言われるが、国内で周知されるまで論争を巻き起こした。我が国が取り入れた金融政策は国債の日銀引き受けが主たる物だが、効果あるのか。
私は法学部政治学科を軽くディスるような発言をしたが、政治学そのものが高校から学ばせておくくらいの基礎的な土台であり、法律学科こそ解釈論としての強みがあると思ってる。思想で食い違いを正そうにも、科学としての解決を導く真摯な態度でなければ、それこそ感情論の応酬にしかならない。
浪人生活はきつかった。登校するってやっぱり大事。予備校に通うのって凄く寂しい事だった。友達をシャットアウトするつもりもないし、社交いつでもカモンの体だったけど、結局一人で勉強し、一人で過ごした。高校の同期は皆現役にて入学していった。なのに自分はどうして?と思ったけど。
山本一太群馬県知事が小池都知事の再選を唱えた。事実上の支援行為と言えるだろう。蓮舫さんの批判在りきの議論にはうんざりしてるとも語る。八ッ場ダムの見直しで相当群馬県民の怒りを買ったのが蓮舫さん。事業仕分けや与党批判に熱をあげてるが、実際彼女を支援する団体を見れば、思想は見えてくる。
ニューカレドニアの暴動に関してのフランス政府のやり方が強引過ぎたか?という報道がある。原住民の権利を軽視した憲法改正が貧しい人々の怒りの導線に火を点けたという訳だが、マクロン大統領の采配が逆に原住民の神経を逆なでしないか。ニッケルも見つかり簡単には手放せない仏。どうする・・。
自分より勉強出来る人なんて大勢いるよって認める事と自分はバカであると卑下する事は、少し意味合いが異なる。学問に誠実に向き合うのと、自分は出来ないのだと思い込むのは、努力の必要性を理解出来ているかどうかくらいの違いだから。バカだから判らなくていいという態度が一番おこがましい。
大学受験なんてしたくない!という思いは当時持つ事はなかった。受けるのが当然だし、自分には出来るという確信めいた気持があった。でも!やってみたら地獄だった。数字で人を傷つけたり、落ち込ませたり、偏差値の横暴とはかくありけり。ひょっとして社会の縮図??
敵は味方のフリをする。岸田総理は人事がお好きなので、政策実行には余りカロリーを遣わないのかと思ったけど、自ら政権維持を唱えたのが記者会見。総理って打たれて鍛えられていくとは聞いたけど、これ程の支持率の低下で政権続行を言うのはやはり岸田さんも鍛えられてるのだろう。
私が今、大きな声で言いたいのはルールブックの研究会の開催だ。スポーツのルールを解釈して、可能な行為許されぬ反則行為を導き出すだけでなく、競技の美徳言うならばスポーツマンシップに至るまで言及する、そんな研究会、あったら良いのにな。事例研究なんかも弾みそうではあるが・。
自身は気を遣おうと、他人には関係ない。学歴と言われたらそういうスタンス。自分はこのレベルの学びを得たい。けれどそれは同級生には関係ない。自分は物理に限界を感じ政経や社会科学に突き進んだ。物理専攻の人等に馬鹿にされたか?寧ろ応援された。学歴は自分だけの心のお化粧。比較し過ぎらぬよう
高橋一生さんのブラックジャックは期待して良いでしょ。六月三十日テレ朝にて夜九時から放映。俳優さんって売れまくってくると、演出に口挟んでくる人もいるんだけど、高橋さんはあくまで原作尊重してと原作重視の意見をいう。これって作品としての健全なコミュニケーションを図ろうとするものだ。
馴れ合いが嫌いって人はいる。でも本音で渡り合える仲間なんてそれこそ人生では数人といった処だろう。私の高校の友人が、大学に入ってからはひたすら司馬遼太郎を読み漁り、友人関係はシャットアウトした時期があったと話してた。私は其れは無理だ。本読みにはアウトプットする仲間がいないと困る。
熱心に講義聴いてる人の中、スマホがけたたましく鳴り響いたときのあの後ろめたさは今でも記憶の中枢を占めている。言うならばお葬式で大爆笑するくらいの失態である。と言いつつ今論文を読んでいたのだが、流石に脳が限界だよ?貴方のメモリはと訴えてる。息抜きにエッセイでも読もかな・・。
ラノベの文体に嫌悪感を抱く人はいるだろうか?私は小学生の頃、江戸川乱歩を読み漁った。話がスルスルっと頭に入るような滑らか且つ奥行きある表現で魅了された。妖怪博士がお気に入りだ。しかしラノベは図書館戦争を始め、学生が書いた様な柔らか過ぎて冗長な表現が目立ち、読むのに萎えてしまう。
ときどさんの旅vlogが面白くてよくアーカイヴを観ている。勿論ご本人は大会優勝の使命が課せられているから、視聴者程呑気に旅している訳じゃないけれど、やっぱりときどさんの世界各国のライバル達との会話や対戦は、同じ日本人として応援するモウティベになる。出来ればこれからも続けて欲しい。
流行ってる聞き方で、『貴方のバイブルは?』ってあるが何故キリスト教に寄せなくちゃいけないんだろな。せめてあなたの教科書は?くらいにしておけよ、と思う。
円安が良くないという論調に対し、一番経済の恩恵を受けるのが円安であると唱える高橋洋一さん。トランプさんもドル高を危惧している事からも経済を素直に知れば、通貨安という現象は輸出産業にとっては追い風と言えるだろう。日本の経済競争力が一部の勢力に気安くケチつけられては駄目だ。
『解んなかったら暗記すりゃいいじゃん。』そんな事言われた記憶はないだろうか?それって使える知識といえるのか。例えば3次方程式の解の公式を暗唱出来るとか。暗記しなくとも導出出来れば良い、つまり出来るだけ暗記量を減らすのが専門科目の華といえるのではないかと最近考えるのだ。
私も受験を通して様々な事を経験した。落ちもしたし受かりもした。でも挑戦する事は全く無駄ではないと信じてる。勉強が嫌いな人も本番で本領発揮する事もあるし、兎に角何が起こるか判らないのが受験であると思ってる。ただ、メンタルを蝕む恐れがある事も指摘しておかなくてはなるまい。
教育者は上段構えが多いという。上から押さえつけて説法するというおこがましさがあるのではと言われる。振り返れば潜在的民意みたいのを無視する手前勝手な教員は各学年にいた。でも逆に汲み取る度量を示した懐の深い先生もいたのだ。高校の担任は高圧的な人だったが、級友が大人で助かった。
経済わかってない人は長期・短期の用語の使い方からわかってないと言われた。中谷巌先生のマクロ経済学を読み解くとそれも書いてあるのだが、私も学部入る前は判ってなかった。経済学と言えば伊藤元重先生が浮かぶが、やっぱりバーナンキ先生の本を読むとか国内だけに拘らずに広く読むのが効率的だ。