人気の記事一覧

『クオン・デ 革命の生涯(CUỘC ĐỜI CÁCH MẠNG CƯỜNG ĐỂ )』(Saigon Vietnam,1957)  ~第14章 支那へ渡り、そして再び日本へ~

¥100
1年前
+3

【百年ニュース】1920(大正9)6月19日(土)張作霖(東三省巡閲使)が奉天から北京に入る。安直両派の抗争調停のため。護衛は2個中隊(300名)に機関銃4門。日本が支持する安徽派(段祺瑞,徐樹錚)の北京政府に対し、欧米が支持する直隷派(曹錕,呉佩孚)が挑戦の意思を固め保定に集結。緊張が高まっていた。

【百年ニュース】1920(大正9)7月1日(木)安直両派の衝突が目前に。安徽派(段祺瑞)への圧力を強める直隷派(曹錕,呉佩孚)が発した三要求に対し、段祺瑞は拒否を意味する最後通牒を徐世昌総統向けに通告する。同時に傘下師団に戦闘準備を命じる。張作霖の仲介は機能せず。