元特捜検事の複眼

元特捜検事の複眼(`21/12)

錦秋の山野の物見遊山は「モミジ鑑賞」に非ず、 なぜか「モミジ狩り」という 蛍狩りに似て、摘んで帰り食材などに供して 口に運ぶ訳でもないのに 本来捕食目的による獣類等の捕獲が、いつしか「遊び」と一体化。 鷹狩りを皮切りに、潮干狩り、葡萄狩り、茸狩りと、捕食・採食行動にまで広がるが、遊びだけを「狩り」と称するには疑問が沸く。

有料
200

元特捜検事の複眼(`21/11)

平山郁夫や東山魁夷らの石版画を巡る贋作事件 欲に嵌った摺り師のさもしい品性 それでも詐欺罪でなく著作権法違反で 摘発せざるを得なかった捜査機関の歯ぎしり 石版画は摺り上げ枚数が限定された鑑定書なしの美術品、真贋の区別は作品力と販売元の信用力だけ。金欲しさ故に、持ち前の凄腕にPCスキャナーや画像編集ソフトまで駆使し、有名百貨店等も真作と誤信させる完璧な贋作を十年近く手掛ける。発覚の端緒は、贋作を見破った愛好家ではなく、長きにわたり多数枚を摺り上げて墓穴を掘ったこと。しかし、見落

有料
200

元特捜検事の複眼(`21/10)

刷毛で描かれたかの様な薄雲に 錦織りなす落葉広葉樹 目で確かめる秋の砌(みぎり) 異端は桐の木 葉音で秋の到来を知らせるとして 「桐一葉」なる季語まで誕生 桐は他の落葉樹より一足早く、色を染めずに落葉。 その葉は柏葉や朴葉より大きく、音を奏でて落葉しても不思議ではないが、植物学的には草の仲間(幹は空洞で樹芯がなく実態は茎)、その形状が「木」に「同じ」であるとして「桐」の字を当てられただけ。

有料
200

元特捜検事の複眼(`21/9)

国賠訴訟で敗訴した国側の上訴対応、 その要否・当否を左右する政治的判断 時期を失すれば被害者救済の名目は色褪せ、 法的安定阻害が高まるリスク  小泉劇場の幕開けはハンセン病訴訟の控訴断念。控訴審は一審の延長としての事実審。「和解」に似て、法的安定性と具体的妥当性の観点から政治的判断に親しむ。今回の黒い雨訴訟で政治的判断と喧伝された上告断念は、二審判決に被爆者援護法の対象地域の踏出し感があるとしても、上告理由は見当たらず。総理談話としては、上告断念に触れず、「更なる法整備に努め

有料
200

元特捜検事の複眼(`21/5)

正義を貫き身を正す剛毅さ 官僚が官僚として一目置かれる由縁なり 情と飲食で立案した政策には饐(す)えた臭いが付き纏い 腐敗するは必然です  強大な権限に群がる事業者の跪(ひざまず)きで特権階級化。「三せる(飲ませる・食わせる・いばらせる)」は当たり前、併せて、利害関係者とは「バレない仲間」と履き違えた総務省官僚の体たらく。行政監察で中央官庁のお目付け役なのに、「人に厳しく己に甘く」を顧みない二流官庁の悲しさ。倫理法令は、一定の条件下で飲食を慫慂するツールに非ず、断る勇気と品性

スキ
1
有料
200

元特捜検事の複眼(`21/6)

オーガスタのグリーン上で輝く松山英樹に 最年少記録を続ける棋士藤井聡太 目を凝らしても見えぬ父幹男と正史氏の姿 語らず出しゃばらず好感度抜群です  二人が頂点に立ったのは父親の努力と支援があってこそ。胸を張ってマスコミに登場しても許される筈。なのに「菊づくり菊見るときは影の人」に似て控え目な立ち位置、世間はその名前さえ知らず。型破りの無頼漢で息子以上の存在感を発揮した勝小吉との違い。親子鷹の尊称を得たプロ野球界のチチロー、女子プロゴルフ界の横峯良郎は「所詮は鳶と鷹の領域内、シ

有料
200

元特捜検事の複眼(`21/7)

🔸そこまでお上の裁きに頼るのか 隣家の池に棲む蛙の鳴き声を巡る騒音訴訟 キモは「都内」の住宅街と 都環境基準60デシベルを上回る 「昼夜の鳴き声」とか 東京都の環境基準は生活騒音に関し、「50デシベル超の子供の大声・駆け足」「90デシベル超の飼い犬の鳴き声」を例示。近時の幼稚園等に対する「子供の声がうるさい」とする近隣住民の苦情対策に取合えず役立つも、コンセプトは「発生源が人為的作用、受忍限度の踰越(ゆえつ)、抑制・除去できるモノ」にある。人為性のない「自然音」を生活被害とし

有料
200

元特捜検事の複眼(`21/4)

加賀棒茶は加賀御用達文化の象徴 それが近江商人にない長所と欠点 VIP相手に贅を弄び 廉価良質商品の消費者提供精神を忘れています 加賀棒茶は煎茶の茎のリユースながら、行幸された八二歳の昭和天皇の飲み物として、刺激性の低い茶茎を焙煎して献上したことを契機に、日本一高い煎茶に変身。これぞ金箔工芸、九谷焼、輪島漆器等と並ぶ、権力・富裕者市場を狙った御用達ビジネス。消費者目線に立たない商いが細るは必定。お隣の近江商人は「三方良し」をコンセプトに天秤棒を担いで全国行脚して富を分散・蓄財

有料
200

元特捜検事の複眼(`21/8)

我らの胸に深く刻まれた 真夏の「八時一五分」と「一二時零分」が到来 忘れず、忘れないための慰霊追悼式 ~一分間の黙祷でもって  広島に原爆が投下され、終戦勅書の玉音が流された時刻。この時刻に併せて官民一体となって行われる黙祷。昭和二七年五月「政府主導追悼式は宗教色のない黙祷で行う」とした閣議決定で、現在まで続く。宗教色を理由に「合掌、礼拝、お辞儀」等の伝統的作法は排除されたが、黙祷には「過ちは二度と繰り返しません」と、戦没者·被災者と一体となった「同甘共苦」と「当事者性」があ

有料
200