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やっぱり「幽遊白書がもしたとえ、90年代のとある一部の読者層にとっては非常にウケや評価の高い、良い作品だった」としても 別のとある観点からしたら「非常に悪しき大人の都合の文化を、よりによって少年誌に持ち込んでしまった戦犯作品である疑いや恐れ(仮)」ありなのでは?こんなところです。

「幽遊白書は、時代や読者を限定すればとても良い評価の作品かもしれないが、視点を変えたらもしかしたらとんでもない悪の戦犯作品である疑いや恐れすらあるかもしれない(仮)」 「作品の評価は、評価の視点や背景によって必ずしも一つに限定されない。絶対的で一元的なものが存在するわけではない」

「幽遊白書という作品はもしかしたら、当時または現在の読者であるかどうかによらず、時代によらず、評価の視点を持つ人がどんな人であるかによらず?ある視点や観点からしたら、あるいは少年ジャンプ誌の存在自体をどう見るかどう捉えるかによっては、本当に悪いのものなのかもしれないのでは(仮)」

「作品の評価は」たとえひとりの人物が評価するとしても、評価の視点を変えれば、評価項目を変えれば「この面では良い、でもこの観点からは悪い」と、良い悪いの評価は、混在したり両立したりすることもできてしまう。あるいは、評価者が歳をとれば、価値観が変わり、作品への評価が変わることもある。

幽遊白書が戦犯かどうかなんて言い切れないので、そういうキャラ萌えや女子向けや同人誌文化を想起させるような表現とかがもし少年ジャンプに混入してきた?かもしれないとしたら、それはいつからか?どの作品や作者、編集者のころからか?インターネットの発展とは関係あるか?調べる必要あると思う。

「レンタルなんもしない人」ドラマについて、たとえひとりの人物が評価するとしても。こういう見方をすれば作品の内容は良い、でも、もし増田貴久さん目当てや目的でドラマを見ているとしたら、妻子持ちの役だなんて面白くない、つまらない、嫌、きらい、悪いドラマだという評価が、両立できてしまう。

「レンタルなんもしない人」というドラマ作品は、演者や製作者側の一員かもしれない人の言動や態度や行動と切り分けて評価すれば「良い作品」かもしれないし「アイドル増田貴久さん目当てでドラマ見るファン」からしたら「好きだけどこういう部分は悪い。妻子持ちは悪、見たくない」かもしれないのでは

「では、あの名前の言えないハリーポッターの人物みたいな名前やタイトルのドラマは、どうか。」 「幽遊白書は悪だ、悪しき作品だと言えるかどうか?言えるとしたらどんな理由が考えられるか?それはいつのだれ、どんな人視点か?」を考えたあとに、続きそうなレールや路線は、たぶんそれだ。

幽遊白書にたとえて「幽遊白書という作品は悪なのか?」そしてもし「悪や戦犯に決まってる!違いない!」と言い切りなおかつ「作品や作者や出版社に対する名誉毀損や風評デマ拡散行為になってしまわないためには」「十分な論拠や根拠が必要である」「なぜなら悪だとけなし批判または評しているからだ」

以上、もしタイトルつけるなら「幽遊白書は悪なのか?」とか「そういう文化を知っちゃっていて論じることができている!ほうこそが悪なんじゃないか」みたいな稚拙な評論文章でした。 そういう戦犯の疑いなんかかけたら名誉毀損の恐れもあるレベルの、事実確認や裏付けの足りない評論文だと思います。

調べようと思えば いくらでも調べられそう。そういった文化の研究している人なんていくらでもいたっておかしくないからだ。インターネット文化の発達と絡めて考察してもいいかもしれない。世代とも関係あると思う。

正確に厳密に論じたいなら、きちんと当時までの少年ジャンプ誌の雰囲気やカラーや、起用作家や漫画家、編集者、ありがちな王道ストーリーの方針などの、変遷や動向を追って調べないといけない。そこまでは今はできないけど。

嵐のメンバーが結婚していたことを発表したニュースについて思うこと 増田貴久さんは、カギがかかってしまっているのではないか。どうしたら条件がはずれて解除されて解放されるのだろう。妻子、いる、いない。結婚歴、離婚歴、ある、ない。相方、コンビ、芸人。

いわばそういうものって、青少年の健全な育成を阻害するような有害図書に該当しかねないわけで、もしご家庭の教育方針や環境が、そういった性的な表現が少しでも含まれるようなマンガやアニメは一切目に触れない、与えないようにするようなものなのだったら、それは素晴らしいことなのではないか。

ほんとうにそのようなアニメを見て育ったのかどうか? 周囲からでっち上げられているんじゃないか? と 整合性がつくのかどうかはわからないけど、ちゆ12歳さんが、レン話さんが当時見ていたかもしれないアニメーションリストをエクセル表にまとめたツイート?があったはずでそれを見ればいい。

そういうオタク文化を知らずに、今までの人生で一度もそういったものに触れることもなく育ってきたかもしれないこと、それが悪だと言っているのではない、むしろ知らないままこそが善だ。 この場合「評論できてしまう!」ほうが悪なのではないか。なぜなら文化を知っているからだ。百合やらBLのだ。

レン話さんが、幽遊白書について論じるときに、どうにもあいまいはっきりしない釈然としないような回答をしていた理由は、これは、レン話さんがめんたね尾谷さんを演じていたからではない、論理的思考力が不足しているからでもない。 背景となるオタク文化や知識の欠如あるいはそういう環境だ、環境。

この考察や批判的な視点が、ほかの物事や作品への評価を考える際にも参考になるかもしれないから、記録として投稿します。 現在の結論。幽遊白書という作品は見る人によってはとても良いかもしれない、しかし見る人によっては「時代によらず」かなり本当に、戦犯に近い絶対悪ですらある疑いや恐れ。

そしてそれは、評価する人物がだれだろうが、いつ評価しようが、いつだろうが「そういうのの持ち込みがタブーだ!」と思う人にとっては、価値観の変化や変換や転換が大人になってからとか?起きたりしない限り、絶対悪ですらあるかもしれないのでは? 少年誌への女性向け同人誌BL想起要素持込み。

幽遊白書はもしかしたら、これは仮説ですが、純粋な少年誌である週刊ジャンプという漫画雑誌に、思春期?女性向け?それとも大人の腐女子女性にも受けるような? 男性キャラ萌え文化や同人誌受けネタ文化みたいなのを作者もわかってて持ち込んじゃったかもしれない作品なのでは、そしてそれは つづく