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とんびのいない空を見上げる

山と田んぼのそばで育った自分にとって、とんびはごく日常的に見かける鳥だった。

とてつもない上空で、左右に細かなバランス取りながら、ナイフのような形の羽で風を捉える。それが彼らの生存に必要な行動なのか、能力の誇示なのか、娯楽の一種なのか、専門的なことは知らない。

地上から見上げてもその体長は測りかねるが、実際とんびの成鳥はとても大きい。水辺に休む姿を見たことがあるが、幼稚園児並みの堂々した体格だった。

ここ神戸の市街地でとんびを見かけることはほぼない。「とんびがいいひん(いない、の意)」ことは、この街に出てきたときの驚きの一つだった。見かけた人はラッキーである。

そんな神戸にも農村エリアがある。たまに車で出かけると、上空にとんびを見かけることがある。キャスターを吸いながらしばらく眺める。取り巻く時間の進行が自動的にスローダウンして安らぐ。
と同時に、温かい人達のいた世界から遠く離れてきた自分を感じる。

傍目にはひとりぽかんと空を眺めている暇な男に映るだろう。

とんびといえば「廊下とんび」を見かけなくなった。日中あちこちの部署で油を売りながら情報交換に勤しむ人達のことである。

社会に出たての頃、何をしに来たのか分からない方々が時折ふらりと課長を訪ねてきて、しばらく話してまた他所へ移動したりしていた。

私は就職氷河期の採用だが、それでも当時は今より組織に余裕があったのかも知れない。
時を経て自分もマネージャー職となったが、席にいがちで情報不足を感じる。
とんび的行動を多少増やす余裕があっても良いのかも知れない。

まもなく近畿地方の梅雨も明け、夏が始まる。
夏が来たら、晴れた週末に車で農村部を目指そう。青空を雄然と飛行するとんびを眺めることで、どうしようもないこの人生に束の間の緩みが欲しい。(零)

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