フリースタイル出産。

沖縄でのほほんとGWしているところに、東京の女友達から電話がかかってきた。

「ねえねえ、無痛分娩と、自然、どっちがいいと思う?」

選択肢のあふれる、現代 ➖ 終活を始め、人生の様々な岐路において、不謹慎なほどに選択肢を与えてくれる現代社会は、”出産”という最も自然で、人智の及ばないはずの経験においても、我々の意見を求めるようになって、久しい。

「最近は、フリースタイル出産っていうのも、あるんだって。」

フリースタイル出産

そんな格闘技みたいなカテゴリ分けが、出産にもあるの!?

と、一瞬耳を疑ったが、どうやら本当らしい。

あたかも他のスタイルは不自由であることを示唆するかのような名前だが、特にそういったネガティブな意味はないらしい。妊婦さん自身の体に心地良いように、そしてなるべく自然に分娩が行えるようにという思いから提唱された(であろう)このスタイルは、従来の分娩台でのいわゆる仰向けのポーズで医師に囲まれて子供を出産する、いわゆるあの病院での出産からの自由、といった意味合いが強いらしく、ググってみると、それはそれはフリーダムな姿勢がわんさかでてくる。このスタイルのいいところは、旦那さんの参加も(フリーなので)できることで、旦那さんが生命誕生の瞬間にもっと積極的に立ち会うことで、更に絆が深まっっちゃたりするとのこと。

助産婦さんがの立会だけでそれぞれの家で出産が執り行われていた時代もあったわけだし、そういうスタイルももちろんあってもおかしくないのだが。

何はともあれ、このフリースタイル出産。

私だったらどうするであろう。

マサイ族を愛し、先住民や、文化誌を読んでいるときに一番興奮をおぼえる私にとって、その自由鷹揚な出産方法、人間の原始的な魂を揺さぶる出産方法に、少しも心を揺さぶられなかったといえば嘘になる。しかも、もしかしたらこの鷹揚な大地・沖縄で出産をするのだとしたら、なんだかフリースタイルもできなくないような気がするが、ネオメガロポリス・東京(?)のどまんなかで、やるのはなんだか違うような気がする、金持ちの道楽みたい、と言っていた友人Mの気持ちもわかる。そして、参加する旦那さまの中にだって、やはり排泄物や血が出たりする環境が生理的に駄目だ、という人もいるかもしれないし…。っていうか、私が男なら無理だ。うん、無理だ。自分の目やににすらうんざりするような人間に、そんなスプラッターは耐えられない。

でも、そういうことを乗り越えて、もしくはものともせず母親たちはずーーーっと、子供を産み、一度ならず何度も、そして立派にその生まれた子供を育ててきたんだなあ、ともうと、お母さんありがとう、という気持ちがわきこってくる。

私はいつの日か、そんなものを乗り越えて、立派な母になれるんだろうか。

その前に、妊娠して、子供の命の芽吹きをお腹に感じられるようになったら、どうやって生むのがベストなのか、わかるようになるんだろうか。

20代のときには、想像もし得なかった、選択肢。

きっと生きていくって、新しい選択肢が目の前に現れてくることなんだろう。良い選択肢も、さして嬉しくもない選択肢が増えていくのが、きっと人生なんだろう。

さて、来年の今頃は、私も同じような選択肢で頭をなやませているのだろうか。









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