人生は迷走です。
前回カンボジアにゆくと宣言して、はや数ヶ月 -
行きませんでした!!
結局、見つけた仕事先の社長みたいなひとから、あんまりいい感じを受けなくて…。おそらく悪いひととかではないんだろうけども、なんとなく自分には受け入れられなくて。
スピな言葉でいうと、オーラがね!オーラが合わなかったんですよ。
単純に海外にいくためだけ、と考えたら、行ってしまえばよかったんだろうけども、踏み込めないほどに相性が悪かった。
そして今月のはじめには、ほそぼそとやっていたブログを閉じてみたり、やはり生活はしなくてはいけないからまた会社勤めをまじめたり、渋谷のど真ん中に引っ越してみたり、ハーブ栽培をはじめて3週間でやめてみたり…。
わあ~自分迷走してる!
と思う。
子供を産んで、家を買って、みたいな友達の話を聞いたり、いま比較的大きな会社にいるのだけども、そこにいる絵にかいたようにしっかりした大人のみなさんをみてると、なんだかずいぶん違う人生を生きているな、という気もする。
だからといって、最近は落ち込んだりしなくなった。
長く生きてきていいな、と思うのは、自分の体にとって、合わなかったり無理だな、とおもうことがおきたときに、自分の精神力の弱さからくるものなのか、はたまた体調が悪いからなのか、それとも単純にシチュエーションと自分が合わないからなのか、の精査ができるようになってきたことだろう。
自分を押し殺してまで、やることはない。
ここはふんばるところ。
最近寝てないから、うまくいかないのだろうな、など。
なんとなく、逃げていいときと、逃げてはだめなときの精査がつくようになった。
そして人生は冒険とチャレンジだ!という私のマントラは、万人共通ではないんだ、ということに気がついてから、価値観が違うひとからのジャッジメンタルな発言にいちいち傷つかなくなった。
笑い飛ばせるようにはならないけれども、淡々に、そういうものなんだ、と思えるようになったというか。
かくゆう今、会社をサボってこれを書いている。
とある月曜の午後の昼下がり、近くではどうも若い駆け出しのモデルさんなのか、二人の女の子が、今私がいったようなはなしをしている。
私の脳みその代わりに、彼女たちが言葉にしてくれている。なんて不思議な世の中だろう。
そして、なぜこんな公開してもなんのメリットもなさそうな、note記事を書くのだろう。
やはりそれは、わたしが文字を通して発信するということが好きだから。
そして、承認欲求ですらない、共有欲求があるからだろう。
見て!読んで!味わって!っていう欲求は、もう消えたかな…とおもったときにも、しつこく頭をもたげる。もう書くことはないよな、と思ったそのときに、ちょっと待て!オラ!と、頭をガツンと殴ってくる。
書くことがないのではない。書いていないだけなのだ。
一人で言葉に、表現にたちむかっているときに楽しさ。
忘れられない恋人のように、ときに思い出す、書く、という喜び。
そしてそれを失うことは、自分を失うこと、とイコールなのだ。
また、少しずつものを書いていこうと思う。
あー、ふざけてえ…!
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