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残された感情や努力の足跡に何を思うか。

橋本勇郎(@hashimotoyuro)です。

ネガティブな感情というと、なんだか避けるべきものとして扱われることが多いです。私たちの感情を大きく二分すると「快」「不快」。不快な感情は避けようとするのが本能と考えると、仕方がないのかもしれません。

一方で自分の気持ちについて考える際に重要なことは、「快」「不快」を作り出しているのは、私たちの心や体であるということです。

例えば、怒られるのが怖くて新たなことにチャレンジできない。このような思考回路に陥ってしまうのは、怒られて育ち、新たなチャレンジをしなければ怒られることを回避できると学んだからと言えます。このように、私たちは自分の行動とその結果を結びつけて、日々効果的な「自分の法則」と呼べるものを作り上げています。

そして、この自分の法則には目的が存在します。この例でいうなら、「怒られる」という自分にとっての危機状態を避けることが目的です。不快な感情のほとんどは、自分にとってマイナスな状況を避けるために使われています。

悲しさだったり、無気力といった他のネガティブな感情にも同様に何かしらの目的が存在します。例えば、「失ったものが自分にとって大切だった」ということを再確認するために、私たちは悲しみという感情を感じるのかもしれません。無気力になってしまうのは「ちょっと立ち止まれ」という合図かもしれません。

深く深く自分の気持ちと向き合えた時、さらにその気持ちを受け入れるか、そうではないと拒むかは本人に委ねられています。さらに言えば、すぐに受け入れる必要もなく、そのペースも自分自身で決めていい。落ち込んだ時に自分自身の気持ち耳を傾けることは、前を向くためには必要なプロセスです。

このような過程を踏んで、自分自身の気持ちに落とし所を見つけられそうな時に是非自分自身の心に問いかけてみて欲しい言葉があります。それは「これから自分がどうしていきたい?」というものです。

我々には過去の出来事を変える力は与えられていません。しかし、未来に向かって今を変えていくことができます。その未来と今への希望を見出すことで少しずつ前に進んでいくことができるはずです。

これまでの歴史の人物がそうして来たように、我々にもそれができると信じています。

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