【ネタバレあり】「ゴジラVSコング」を観てきたぞ

……というわけで、感想を箇条書きで。

・人間ドラマは前2作と同じで、相変わらずどうでもいい(とはいえ後述の通り、怪獣どうしの戦いも描写が今ひとつであまり興奮しない。正直なところ大味すぎる出来)。

・いちおう手短に説明しておくと、人間ドラマパートでは2つのチームの物語が同時進行する(この2組は最後まで特に交わらない)。一方は、キングコングと手話でコミュニケーションが取れる唖の少女を利用して、コングに水先案内させることで、前作で明らかになった地球内部の空洞に突入しようとするチーム。もう一方は、ポッドキャストで怪獣や巨大企業エイペックスの悪事を配信し続ける男と、彼の話を真に受けた少女、その友達のデブの3人組。後者は今回の悪役であるエイペックスの基地に忍び込み、貨物とともに香港基地へ輸送され、メカゴジラの眠るブロックにまで侵入。暴走してゴジラたちと戦うメカゴジラをコントロールセンターから止めようとする(でも戦闘描写でメカゴジラが今ひとつ強そうに見えないので、彼らがコントロール装置を破壊するまでもなくゴジラ単体でも充分に勝てたような気がしてしまう)。前者のチームにはなんか悪そうな奴らも混じっているが、だいたい地下空洞で翼竜のような小型怪獣に捕まって死ぬので心配ない。

・エイペックス基地の警備システムは素人3人組が侵入しても何も起きないぐらいザル。監視カメラすらついてないのか。とんだご都合主義。怪獣映画ではないが、空手映画と見せかけたギャグ映画の傑作「直撃地獄拳 大逆転」(1974、石井輝男監督)の銀行ビルのほうがよっぽど厳重な警備を敷いていた。

・そんなわけで今作の敵は、メカゴジラを作ってゴジラやコングを倒し、地球の王座をふたたび人間の手に奪還しようとする巨大企業エイペックスの社長たち。

・ゴジラはメカゴジラの隠されているところと、あとコングのいるところを野生の勘で嗅ぎ付けて出現する。メカゴジラは、前作のラストで売りに出されたキングギドラの頭を元に作られたテレパシーシステムのようなものを使って、パイロットの小栗旬が操縦する。小栗旬は操縦してる間はトランス状態で白目を剥いてるし、ゴジラ、コング、メカゴジラ三つ巴の香港最終決戦では、キングギドラの頭がメカゴジラのコントロールシステムを乗っ取ってしまったのか暴走してゴジラと戦い始めたため、パイロットは用済みになってしまい、出番めっちゃ少ない。かわいそう。

・小栗旬はいちおう前作までの渡辺謙演じる芹沢猪四郎博士の息子という設定なのだが、出番が少なすぎてその設定も特に活かされない。あとケン・ワタナベがいなくなったら用済みということなのか、前2作で人間側のメインだったモナークはほとんどストーリーに絡まない。巨大生物(タイタン)たちの監視と管理はコングぐらいしか描かれないけど、他のタイタンたちはどうなったの?

・ゴジラ対コング、第1ラウンドは手枷足枷をつけて船で引っ張られて海上輸送中だったコング(1962年版「キングコング対ゴジラ」のオマージュ)をゴジラが強襲してスタート。ゴジラはいちおう水陸両棲の怪獣なので、不利な水中戦に持ち込まれたコングが敗北する。コングを地球内部の空洞につながる入口まで生きたまま連れて行かなくてはならないので、死んだふり作戦でゴジラをごまかして乗り切る。しかし今作のゴジラはどんなに遠くからでもコングのいる場所を嗅ぎ付けて襲ってくるほど野生の本能が強いのに、死んだふりぐらいで騙せるものなのだろうか? ともあれ、海上輸送はゴジラに襲われる危険があるので、鎮静剤で眠らせたコングを空輸する(このシーンも「キングコング対ゴジラ」のオマージュ)。

・コングの空輸先は南極で、そこの洞窟から地球空洞説に基づいた地下空洞まで水先案内させるのが今作中盤の目的なわけだが、このあたりのシーンは「キングコングの逆襲」(1967)のオマージュっぽい。「逆襲」でも、悪役の天本英世と若林映子が、南極地下に眠る強力な放射性物質を採掘するためにキングコングを利用しようとする。

・ゴジラ対コング、第2ラウンドは地下空洞のなかの世界(怪獣たちのふるさと)にいたコングが、地面に向けて放射熱線を吐き、香港から地下空洞までトンネルを作ってしまったゴジラのところに出向いて戦う。コングは地下空洞でゴジラ(の祖先?)の背びれがついた盾だか斧だかよくわからない武器を手に入れていたため、これを盾にして放射熱線を防ぎ、斧として使うことでゴジラにダメージを与えることに成功。あとは持ち前の身軽さで、地上では鈍重なゴジラを翻弄して(放射熱線を吐こうとするたび口を塞ぐなど。このへんのアクションが今作の怪獣バトルで唯一と言っていい見どころか)復讐を果たす。これで1対1の同点。

・第3ラウンド、最終決戦も香港。コングの猛攻でダウンしていたゴジラが目を覚まし、今度はコングを圧倒して心臓が止まりかけの瀕死状態にまで追い込む。これで2対1なので「引き分けにせず決着を付ける」という前評判を勘案するに、コングとの一騎打ちではゴジラの勝ち……という結論でいいのだろうか。しかし消化不良。それよりはたとえ引き分けでもいいから「キングコング対ゴジラ」ぐらい派手にやってほしかった。

・ゴジラにやられて心臓が止まりかけたコングだが、地下空洞に突入するときに乗っていったマシンを電気ショック代わりに使って心臓を蘇生させる。そして目覚めたコングは、少女から手話で「ゴジラは敵じゃない、敵はあいつ」とメカゴジラを示されたことでゴジラと共闘する予想通りの展開に。結局勝負はつかないじゃん……。

・でも上にも書いたように、今作の描写では正直メカゴジラがそんなに強くなさそうに見えて、ゴジラ単体でも倒せたんじゃね?ぐらいに思われるので、コングを蘇生させるまでもなかったような気がする。

・電気ショックでコングが蘇生したり、ゴジラの熱線のような飛び道具がないコングを補うためにゴジラのパワーを吸収した背びれの盾(斧)を使わせるなど、ちょっと旧作「キングコング対ゴジラ」を思わせるところがある。旧作では第1ラウンドでゴジラの放射熱線に負けたコングがゴジラに対抗するため、雷や高圧電流に晒されて帯電体質となり、電磁石のように逃げるゴジラを吸い寄せ、電撃を食らわせることで互角の勝負に持ち込んでいた。まあ単に飛び道具のないコングをゴジラと戦わせるために必要な道具立てというだけで、特にオマージュではないのかも知れないが……。

・メカゴジラは登場まで散々じらすわりに、大して強くもないので拍子抜けしてまう。ゴジラ単体が相手でもパッとしない戦いぶりだし、コングが参戦してからはフルボッコという感じで、さらに登場人物たち(とりわけ何となくついてきてしまった友達のデブ)の活躍でコントロールセンターがダメになったあとは、手脚を次々にもがれてしまう。手脚をもいでいった末にコングがメカゴジラの首をもぐのは、メカゴジラの首をもぐシーンがある「ゴジラ対メカゴジラ」(1974)および「メカゴジラの逆襲」(1975)のオマージュか(いちおう伏線として、地下空洞で巨大生物と戦って勝ったコングが倒した相手の首をもいで体液を飲むシーンがある)。

・最後はゴジラが海に帰り、コングはなんか香港の街で所在なさげに立っている。「キングコング対ゴジラ」では両者とも海に転落し、最期に両者の咆哮を被せることでいい感じに終わっていただけに、この大味なラストシーンは残念。

・メカゴジラがキングギドラの死体をもとに作られるのは、「ゴジラVSメカゴジラ」(1993)で、前作「ゴジラVSキングギドラ」(1991)で23世紀の未来人が残していったメカキングギドラの技術を元にメカゴジラが作られたことへのオマージュか。このへんの設定は、怪獣オタクだった前作のドハティ監督の置き土産なのかも。また、ゴジラとメカゴジラの戦闘シーンでは互いの口から吐いた熱線がぶつかり合う描写があるのだが、これは1974年以来、メカゴジラものの映画では定番の画。

・メカゴジラのパイロットが男性(小栗旬)なのはちょっと残念だった。メカゴジラ2が登場する「メカゴジラの逆襲」での真船桂(藍とも子)、3式機龍が登場する「ゴジラ×メカゴジラ」(2002)での家城茜(釈由美子)のように、メカゴジラには女性がよく似合う!と個人的には思っているので……。もちろん「ゴジラVSメカゴジラ」では、戦闘機ガルーダと合体したスーパーメカゴジラのパイロットは実質ガルーダ搭乗員の青木一馬(高嶋政宏)だし、「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」(2003)では整備士の秋葉恭介(金子登)がメカゴジラと心を通わせるので、メカゴジラ=女性の怪獣、というのは僕の思い入れに過ぎないのかも知れないが。

・メカゴジラを操るエイペックスの社長がコントロールルームでロックのブランデー?を飲んでいるのは、「ゴジラ対メカゴジラ」で、やはりメカゴジラのコントロールルームに居座るブラックホール第3惑星人・司令官がブランデーらしきものを飲んでいたことへのオマージュか。また、この社長が自分の作り上げたメカゴジラにやられてしまうシーンは、構図などがちょっと「ゴジラVSキングギドラ」の帝洋グループ総帥・新堂(土屋嘉男)が自社ビルの高層階でゴジラにやられるシーンと重なるものがある。もっとも後者の場合は、戦時中に南方で自分の命を救ってくれた恐竜、その成れの果てたるゴジラと半世紀近い歳月を経てふたたび向かい合う……という複雑な心情描写あってのシーンなので、それに比べると今回のエイペックス社長のやられ方は大味の感を逃れない。

・「ゴジラVSキングギドラ」との類似としては他に、大企業が強力な兵器(原潜、メカゴジラ)を隠し持つほどに肥大しているというストーリーも挙げられるか。「ゴジラVSキングギドラ」はバブル経済を反映したものだったのに対し、今作の場合は恐らくGAFAなどを想定しているのだろうが。

・コング、いちおう香港で高層タワービルに登るけど、本当に一瞬なので見どころという感じではない。

・とにかく伊福部昭の音楽が流れないゴジラ映画はどうしても物足りなく感じてしまう。「ゴジラ対メカゴジラ」の佐藤勝による軽快な劇伴などは例外中の例外だが……。ゴジラ出現シーンのBGMにやや伊福部昭を意識したような箇所はあったものの、やはり伊福部サウンドが聴けないと「ゴジラ観たなー」という満足感がない。

・前作「ゴジラKOM」(2019)のようにエンドロールの後に次回作を予告するような何かがあるのでは?と期待していたが何もなし。これでモンスターバースはおしまいだよ、ということだろうか。あんまりだ。

・前作のドハティ監督が怪獣オタクだったのに比べると、やはり怪獣へのリスペクトがいまひとつ足りないように感じた。ドハティもそうだが、「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」(2001)の金子修介監督(平成ガメラ3部作の監督でもある)や、言わずと知れた「シン・ゴジラ」(2016)の庵野秀明監督など、怪獣オタクが怪獣映画を撮るとうまくいくことが多いような気がする。

……以上、取り急ぎ「ゴジラVSコング」の感想でした。いわゆる「怪獣プロレス」としては前作「ゴジラKOM」や他の和製ゴジラ作品に比べて見劣りするし、人間ドラマは当然ながらダメダメなので「シン・ゴジラ」などとは比べものにならない。ゴジラ映画としては正直あんまりオススメできない出来でした。

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