日記(le 24 mai 2021)

公園飲みのこと

近所に公園があり、昼間は部屋にいても(そう無職は昼間も家にいるのだ)声が届くぐらい元気に子供たちが遊んでいるのだが、夜になると別の声が僕の部屋まで届くようになる。
例の「公園飲み」をする集団の声である。緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が出て、路上飲みや公園飲みが話題にのぼるようになったが、そのだいぶ前から地元の若者たちとおぼしき集団が深夜(22時頃から1時頃まで)になると公園に集まって飲み会をしていた。それが今も続いている。というかこの記事を書いている現在(5月24日23時半前)も、声が聞こえてくる。
あまり人と集まって酒を飲むということを日常的にやらないタイプなので(せいぜい年に数回程度)わからないのだが、年がら年中、毎日のように友達と集まって飲みながら他愛ない話を語らうというのが欠かせない人種というのもいるのだろう。とはいえ感染リスクが高くなると言われているわけだし、やめてほしいと思う。
ちょっと前に、公園で工事をしていたと思ったらのぼりが立っていた。はじめ「公園内飲酒禁止」と書いてあるのかと思い、ついに行政かどこかが対策に乗り出したのかと考えていたが、あとで近くに寄って見直してみたら「公園内喫煙禁止」ののぼりだった。僕は超ド近眼のくせに部屋にいるときや近所を出歩くときはメガネを外したままでいて、感染拡大にともなって情勢が悪化してからは余計にメガネをかけたくなくなったのだけれど、そのせいで見間違えたらしい。

万年筆のこと

筆記具に凝ったりする趣味はなく、なんならコンビニで百円そこそこで売っているようなボールペンでかまわないと思っていた人間なのだが、角川短歌賞をもらったとき賞状と賞金と一緒に、記念品の万年筆をもらった。調べてみると7万円ぐらいする高級万年筆で、その頃とてもお金に困っていたので売れないかと思っていたのだが、金文字で僕の名前が刻印されていたので売るわけにもいかなくなった。それで書き癖その他についての書類を書いて万年筆と一緒にメーカーに送って、オーダーメイドの調節をしてもらったので(そういうサービスのついている万年筆だった)自分にしっくりくる書き味の筆記具がはからずも手に入った。
とはいえなかなか万年筆を、というか手書きで文字を書く機会が少なくなった昨今なので、出番は訪れなかった。
しかし2018年の10月に大学で助手に採用されてから、在宅勤務になる2020年4月までの間、助手業務で筆記用具が必要になり、そこでついに万年筆の出番がやってきた。インクに凝ったりする趣味としての万年筆ではなく、実用本位の普段使いの万年筆である。助手業務で筆記用具が必要になったのは手書きしなければならない書類が多かったのもあるが、その中でも万年筆でなくてはならなかったのはいくつか理由がある。
僕のいた助手室は助手助教3人でまわしていたのだけれど、僕は前任者の留学にともなう年度途中の異例の採用だったため、任期の関係で先輩助教2人から仕事を教えてもらえるのは後期の半年間だけだった。後期の半年間だけで前期にやる仕事も覚えなくてはならないので、必然的にメモをとる機会も増える。大学ノートを持ち歩いて仕事のたびにそのノウハウを記入するのだが、机などの支えのない場所でメモをとったり、長い打ち合わせの間ずっとメモをとっていなくてはならなかったりする。そのとき筆圧が強くなくても濃い文字が書けて、かつ長時間書いても疲れにくいようカスタマイズされた万年筆は絶好の筆記用具だった。
それと万年筆を使うことで気分も上がるもので、助手時代には授業にも万年筆を持って行ってノートをとるのに使っていた。僕は語学が苦手なので、助手在任中に学部生〜修士課程院生向けのフランス語の会話や資格試験対策(DELF/DALF, TCF)のクラスに出ていたのだけれど、そのときにも万年筆を使っていることが知れると何とはなしに周りの若い子らから注目されるし、コミュ障の僕にでも話の種ができるので(「実は短歌で賞をもらったとき商品にもらった万年筆で……」etc.)何かとありがたかった。
そしてまた万年筆を使うと気分がいくらか昂揚するというので、仕事のタスク管理にも使っていた。特に先輩助手として、後から入ってきた助教・助手を引っ張っていかなくてはならなくなった2019年4月以降は、毎朝出勤するとまずその日のタスクを裏紙(たくさん溜まっていた)に万年筆で書き出して、優先順位を付けて順番にこなしていくようにしていた。タスクには助手業務だけではなく、自分の研究も含まれる(こちらの方は業務が忙しくてはかどらず、ついに博士論文を完成させられなかったが……)。鬱病が悪化して何もできなくなってしまった今から考えると信じられないような量とペースのタスクをあれこれこなしていたのだ。あれだけのタスクをこなせたのには、万年筆を使うことで気分を高めていたのが効果的だったのではないかと今でも思う。
今は無職になってしまったので万年筆を使う機会はなくなってしまった。書かなければならない書類はあっても、それはカーボンコピーの一種なのか、複数枚の写しをつくるため黒ボールペンで筆圧強く書かないといけないタイプの書類だったりして、万年筆では用をなさない。他の書類も何となく万年筆で書くのは気が引けて、結局コンビニで百円のボールペンで書いている。履歴書を作るのにも、万年筆で書くと字の癖が強過ぎてマトモに読めないものができあがってしまうので、PCでExcelを使って作ったもの(テンプレートをwebからダウンロードした)を印刷して済ませている。
またいつか気楽に万年筆を使うことのできる日は来るのだろうか。

タスクのこと

比較的まだ元気だった助手時代は、上述のようにその日のタスクを万年筆で裏紙に書き出してこなしていたのだが、元気がなくなってしまった現在はタスク管理にEvernoteを用いている。ついでに言うと助手時代はいちおう専任の教職員という扱いなので、毎年大学から紙の手帳をもらえていたのだが、それももらえなくなった今、なんとなく手帳を買うのもはばかられて(どうせ予定なんて通院とハロワ通いとたまに入る面接ぐらいしかないのだし)手帳代わりにも使っている。
別にEvernoteが使いやすいというわけではないのだけれど、2012年にガラケーからスマホに換えるとき、当時理系の大学生だった妹からすすめられて使い始めたので、長年の習慣でなんとなく使い続けている。当初は短歌の管理に便利なアプリだなと思って使っていた。ガラケー時代は携帯のメモ帳に短歌を打ち込んで、ある程度溜まってきたらメールにコピペしてまとめてPCに送り、改めてPC上でWordファイルにコピペしてから、切り貼りして順番を変えたり、歌を削ったり追加したり推敲したりしていたのだが、EvernoteにしてからはスマホとPCが同期できるのでいちいちメールで送る手間がなくなったのが大きかった。鬱が悪化して長時間PCに向かっているのが苦痛になってしまってからは、短い原稿や書き物も寝床に寝転がってスマホからEvernoteに打ち込んでいる。
しかしEvernoteで管理するにせよ何にせよ、鬱病が悪化すると、「タスク」と認識するものが元気だった頃に比べて格段に増えるのである。
それまでは、たとえば助手の仕事なら「〇〇先生に確認のメールを入れる」とか「××のワークショップの立て看板を立てる」とか「△△の講演会のチラシを作る」とか「□□のシンポジウムのため教員ロビーで会議室を押さえる」とか、そういう仕事のひとつひとつが「タスク」だった。あるいはそこに博士課程の学生としての「会話の授業の課題:木曜5限まで」とか「ゼミの研究発表:金曜3限」とか「論文投稿〆切:n日まで」とかも入ってくる。
しかし鬱が悪化してからは、生活のほとんどすべてが負担なので、ひきこもって働きもせず暮らしているのにあらゆることが「タスク」になった。
たとえば「福祉事務所に自立支援医療制度の更新書類を作って持っていって手続きをする」とか「メンタルクリニック通院:再来週火曜日の17時」とかはまだいくらかタスクらしいタスクだが、鬱がひどいとEvernoteでいちいち管理するのも嫌になるほどの生活のこまごましたこと、すなわち「あした人と会うからシャワー浴びる」とか「着替えてシャワー浴びたら洗濯機を回す」とか「コンビニに水と食べ物を買いに行く」とか「通院のために寝間着のままではなくシャツとズボンに着替えて、足許も素足にサンダルではなく靴下と靴をはく」とか、そういうことまでもが「タスク」になるのだ。
要するに普段の生活のなかで何気なく、それこそいちいち紙に書き出すなりアプリで管理するなりしなくても、「あれとあれとあれね」という感じでさほど意識せずにできていた生活のすべてが、鬱が悪化すると「タスク」化される。書き出して、一念発起して、気力体力を振り絞って、何とかかんとかこなさなくてはならないものに変貌を遂げてしまうのである。
鬱病って、ほんと、しんどいものですね。

観光地のゴミのこと

批評家の佐々木中さんがツイッターでシェアしていたニュースで、このご時世で観光客が激減したのに京都の鴨川がゴミだらけになっているというのがあった。観光客だけでなく地元民もゴミを捨てていたのだ。清潔好きな日本人といううぬぼれは捨てなくてはならないだろう。
そういえばパリが汚れてしまっているというニュースも目にした。パリのほうはいつも汚いといえば汚い街らしいのだが(仏文専攻だったのに旅行も含め一度もフランスに行ったことがないので実情は知らない)それでもこの情勢下で汚いということは、京都と同じく国際的な観光地であるパリもまた、観光客だけが汚していたわけではないわけだ。もちろん記事にもあるように、感染症対策のため清掃にあたる人員を削減しているというのはあるにせよ。
僕自身は観光地に住んだことはなく、生まれ育ったのは福島の片田舎の農村だし、上京してからも住んだのは郊外のあまりパッとしない町ばかりで、いまひとつ「(外国からの)観光客による害」というものがピンとこないのだが、実際のところはどうなのだろうか。京都の人などに訊いてみたいところではある。

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