死んで死んで死んで死に直せる

行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ 山中智恵子
螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり 小中英之

 短歌とは畢竟ひとが死とどう向きあふかといふ問ひをえんえんと考へつづけることなのだ、と信じかけたりかけなかつたりする。鳥髪も螢田も地名である。それもかなりめづらしい地名。土地の人びとや博識のひと、記紀に通じたひとなどのほかには、これらの作のゆゑに、うたを読むひとにからうじて知られてゐるやうな。
 この地名と出逢つた衝撃をどう歌にするかといふときに、恐らくは古事記を通じて鳥髪を知つたであらう歌人は、いにしへの伝説を下敷きにしつつ、ひとみなにそのかなしみを負はせ、またかれらすべてのうへに等しく残酷な試練の雪を降らしむべく普遍性をもたせ、みづからの生と死を賭するやうに一首をまとめた。ひるがへつて、ほんたうに螢田駅に行き着いたらしい歌人は駅をいくたびもたづねたすゑ、すぐ見えなくなつてしまふ虹との遭遇にその名を託すことで、螢と虹の果敢ないうつくしさを重ねつつも、それぞれのあひだに微妙なちがひをもちこんで、乃至は微妙にずれをさしはさんで一首のかたちにした。
 さきの歌は鳥髪といふ名と刺し違へて、はげしい心中を遂げんとするといふか、とにかく殺しあひのやうで、のちの歌はそれこそ虹のやうに、まへぶれもなければ音もなく、螢田の名とともにひと知れず消えてゆきさうな気がする。
 勝手な印象だけでものを云つてきたが、それはそれとして、ここまで書いてきたのを読みかへしてみるうちにふと、自分がこの戯文(さう、それはたしかに戯文だ)のはじめに、短歌を詠むときは、とは書かずに、短歌とは、とだけ書いたことに気付かされた。実際、うたを詠むときは生き死にどころかなにもかんがへず、ただ無心にこころをおとづれるほそいほそい糸をたぐりよせることだけに全身全霊をかたむけてゐる。むしろうたを読むときにこそ(嗚呼この詠むと読むとがおなじ訓をもつといふいとほしい面倒くささよ!)死のことを、それもおのれの死のことをつよくおもふ。鳥髪といふ名と刺し違へるのは山中智恵子ではなくわたくしであるし、螢田とともに音もなく消えてゆくのもまた小中英之ではなくわたくしである。うたを読むときに、いくばくか知つてゐる山中なり小中なりの生きざまが脳裡をよぎらないといへば嘘になるだらうし、かれらの生き死ににまつはるあれやこれやを投影してしまふのもまた事実にちがひない。併しそれでもなほ、うたのなかで死ぬのはまぎれもないわたくし自身でしかありえないと感じる。うたのなかでなら何度だつて死んで死んで死んで死になほせる。

 そんなことに今さら気付いたのかと一笑に付されるかも知れないし、そんな甘つたれた感傷で歌をやつていけるとおもつてゐるのかと叱られるかもわかりません。この考へかたが当つてゐるのかゐないのか、妥当なのかさうでないのか、叱られるべきか否か、もうなにもわからなくなつて仕舞ひました。いづれにせよ、この一文はさうしたお笑ひ草にすぎないのだとおもつていただければ充分。いまのじぶんにはかやうに巫山戯たみじかいものを書くぐらゐしかできないのです。もつとも、いまとなつては歌のなかで死をくりかへすことよりも、現実の死の一回性のはうにこころ惹かれるのですが、それもまた甘えた考へといはれればそれまで、やはり愚人の甘つたれた感傷なのでせう。

 いま検索窓に「鳥髪」とうちこむと「鳥髪 名字」などが出てくるし、「螢田」と入れれば「螢田駅 住みやすさ」「螢田 賃貸」といつた候補があらはれる。「鳥髪 山中智恵子」とも「螢田 小中英之」ともをしへてくれない。作者の名をわすれてしまつたらどうしろといふのか。ものをわすれがちなひとにとつては、意外と不親切なものである。鳥髪さんはどんなひとで、螢田は住みよいところだらうか。

(なほ、これを草するにあたり旧仮名づかひを以てしたのは引用した歌が二首ともさうだつたからにすぎず、また旧漢字をもちいなかつたのも歌が固有名詞の螢田のほか新字体をつかつてゐるからです。それと、いま「もちいる」と書いて「もちゐる」または「もちひる」と書かなかつたのは、もともと時代によつて仮名づかひにぶれのあるところ、辞書によると鷗外がさうしてゐるとのことだったから取り敢へずさうしてみた丈け。いづれもとくに主義主張があつてかうしてみたわけではない。辞書をみながら書いたもののどこかに間違ひがあるかも知れません。あしからず。)

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