何者でもなくなった日
4月1日、新年度開始の日。
ある子どもは小学校に入学し、ある学生は進級し、ある人は新社会人となって、ある人は人事異動で新たな部署に配属されるなど、少なからぬ人に変化をもたらす日。
この日に自分は、「何者でもなくなる」という変化を迎えた。
卒業式に返納した学生証に記載されていた有効期限は、「2020年3月31日」。
すなわち、昨日までは自分を含む卒業生は「大学生」であった。
そして多くの卒業生は今日から「新社会人」ないし「大学院生」になる。
しかし自分には「大学生」という肩書がなくなったのち、そこに入るべき肩書がない。
昨日までは「学生」と名乗れた自分は、今日からは何者でもないのだ。
何者でもなくなるという感覚は想像以上に虚無を覚えるもので、止まない雨の陰鬱な空気も相まって、今日はいちにち何もできなかった。
昨日はあんなに感傷的に学生生活を振り返るようなnoteを書いていたのに、今日はもう学生だったときのことを考えることすら禁じられているような気持ちでいる。
だってもう、自分は学生ではないのだから。
"何者"かになるためには、何らかのアプローチと努力をしなければならない。
「社会人」になりたいのなら就職活動を、「大学院生」になりたいのなら受験勉強をする必要がある。
しかし、何もする気がわいてこない。
現実的には正規でも非正規でも働かなければならないのだが、仕事を探す気にすらならない。
これはおそらく、体調や体力的な問題ではない。
双極性障害の影響で休学を余儀なくされた際にも、フルタイムではないにせよアルバイトを探し、働いていた期間が数年あるからだ。
だからそれというよりも、大学生活を駆け抜けるのに全力を使い果たして、気力が燃え尽きてしまったことが原因であるように感じるのだ。
職場環境とのミスマッチで休職を選択した知り合いに、「自分のペースで身体と心を落ち着けつつ、"休み"すぎないように気を付けて」と声をかけたことがある。
こういう場合、相手は疲れ切っているのだろうから、"ふつう"は「ゆっくり休んでね」などと言うべきなのだろう。
しかし自分はそうは言えなかった。
大学在学時に休学を選んで「浦島太郎」となった(前回の記事)自分にとって、"休む"とはそれまで所属していた社会集団と自分とを切り離すことだと感じていたからだ。
そして、慎重に行動しないと、休職という選択もその道を辿るのではないかという懸念があった。
「社会に出た(この言葉も扱いが難しいが)」こともない自分が言うのも厚かましい話ではあるが。
「何者でもなくなった」今、知り合いにかけたこの言葉が自分に返ってきているように感じる。
大学在学中"休んで"いたわけではないが、双極性障害を抱えて体力的な制限のある自分は「大学」という集団と自分とをつなぎとめることさえ精一杯であった。
裏を返せば、「大学」という集団にしがみついていた数年間は「社会」という集団から切り離されていた時間であったということであろう。
今の自分は、知り合いにかけた言葉でいうところの"休み"過ぎた状態なのだと思う。
社会という集団にひとり放り投げられ、自分がどこに身を置き何をしたらよいのかわからない「浦島太郎」。
大学にはあった「アリアドネの糸」も、ここにはない。
仕事を探さなければ、働かなければ。
肩書がないということは、社会の中で居場所がないように感じるから。
そう思っているのに、玉手箱のない地上で、糸玉のない迷宮で、ひとりで怯えて動けずにいる。
休職をして、いちど自分の社会的な居場所から切り離された人は、どのようにしてその場に戻ってこられるのだろうか。
もしその場に"糸端"を結んでおかなければ、やはり自分のように社会から切り離されたまま、そこに戻ることに怯えながら"休む"ことになるのではないだろうか。
もちろん、初めから所属を持ったまま休んだ人の「復職」と、何者でもない自分の新たな「求職」では場合が異なるだろう。
しかし、疲れて"休んだ"人が、どのようにして社会とのつながりを取り戻したのか、参考として聞いてみたいものである。
求職するにあたってのツテや方法は、いくつか頭に入っている。
あとはそれを実行するための燃料が必要なのだ。
先達の話を聞き、本日をもって「何者でもなくなった」自分も、"何者"かになれる、社会に居場所を持てると思えるようになりたい。
気力も湧かず動かない身体をベッドに横たえながら、そんなことを考えたいちにちであった。
おしまい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?