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ある「先生」と「先輩」に送るnote

「#みんなの卒業式」

noteのトップページで偶然目についたこのハッシュタグを見て、この春卒業を迎えた自分の学生生活について語りたいと思った。

「卒業式」というテーマで「学校の卒業」について書くなんてひねりがなくてダサいとは思う(この発想はひねくれているのかもしれない)が、せっかく学生最後の日だし、これに乗じて感傷に浸らせてもらおうじゃないか。

なんせ、自分は8年間も大学に通っていたのだから。


8年間も大学に在籍していた理由はシンプルだ。
noteのプロフィールにもあるように、ADHDと双極性障害。
これらが学生生活のあちこちで綻びをもたらして、気付いたら卒業することなく8年が過ぎていた。

正確に言うと8年間ずっと通学していたわけではなく、数年休学して療養し、復学して数年勉強していた。
いろいろと迷った結果、復学にあたっては別の専攻に転科して、全く別の勉強を始めることにした。


復学してからは、浦島太郎みたいな気持ちでいた。

予備知識のない専門の勉強をすることはもちろん、周りの学生たちはそろって歳下、それもかなりの開きがある。
大学の設備や学習環境のシステムも、あったものがなくなっていたり、新しいものが増えていたり。
この場にいる学生の誰より長くこの大学に在籍しているのに、この場にいる学生の誰よりこの大学について"わからなかった"。


竜宮城から帰郷した浦島太郎は、地上でははるかに長い年月が経っていたことに絶望し、玉手箱を開けて老人となる。

国文学専攻ではなかったのでこのおとぎ話のオチをどう解釈したらよいのかはわからないが、少なくとも自分にはこの話で意味するような「玉手箱」は持っていなかった。

その代わり持っていたのが、同じく"昔"の話でいうところの「アリアドネの糸」であった。

古代ギリシアのクレタ島の王女アリアドネは、恋した勇者テセウスが迷宮の奥に潜む怪物退治ののち、迷宮から無事に帰ってこられるよう糸玉を渡す。
これを受け取ったテセウスは迷宮の入り口に糸玉の端を結びつけ、それを繰りながら迷宮の最奥部へたどり着き、糸をたどって無事に帰還したという話である。
要するに「アリアドネの糸」とは、ヘンゼルとグレーテルにおけるパンくずの成功版のようなものだ。



休学前の自分に"糸玉"を渡してくれたアリアドネはふたりいた。

ひとりは、自分がまだ年次が低いころにうちの大学に着任された「先生」だった。
正確に言うと「特任研究なんとか」という肩書らしいが、詳しいことは忘れてしまった。

実のところ、うちの大学に着任する前から、「先生」と自分は知り合いだった。
どういう経緯で知り合ったかは割愛するが、その関係性は「特任なんとか」と学生、というより、飲み友達。
繁華街のうるさい居酒屋でべろべろに酔っぱらいながら「うちの大学で授業やってよ」なんて言ってたらほんとうに来ちゃったから、あら不思議。

そんなわけで休学前に「先生」がうちの大学に来たわけなのだけど、「先生」の配属先は自分が入学したときには倉庫だったような場所で、業務の内容も看板通りには行われていなかったように見えていた。
「先生」の配属先は「学生のため」の業務を行う部署であったが、「先生」と雑談ひとつするにも個室に通され、ここは何のための部屋なのだろうと息苦しく思っていたものだ。

そんな中、自分は双極性障害を発症し、研究から、大学から、足が離れていくようになる。
その後「先生」と会うことはほとんどなく、休学が決まった。

そうしてどんどん「先生」と会う機会がなくなり——————

となるかと思いきや、休学中の方がそれ以前より交流するようになっていた。

それというのも、「先生」が配属された部署が時を重ねるごとに(特に、大学から離れた自分から見たら)めまぐるしく進化していったのである。
主目的である「学生のための」講習会や講演会が行われ、その部署の部屋が学生の居場所としてオープンなスペースになり、それらで知り合った学生たちの交流場になり…
自分が休学する以前、「先生」と雑談しに行けば個室に通されていた、クローゼットで何をしているのか、誰がいるのかよくわからなかったときとは天と地ほどの差ができていた。

休学中は療養しながらアルバイトをしていた自分は、週にいちどお休みをいただいて、「先生」の講習会やゲストの講演会などに通った。
大学を"辞め"てもまた学ぶことができてうれしかったし、そこで出会った学生さんと交友関係を築くこともできた。

今思えばこの体験が、いちど"失敗"したにもかかわらず、転科してでも復学して、また勉強しようと決意させたのかもしれない。



そして自分に"糸玉"を渡してくれたもうひとりは、知り合った当時、自分の休学前には後輩だった「先輩」である。
知り合った当時は相手の方が年次が下だったが、復学後には上の学年になっていた。
わかりづらいと思うが、とにかくそういうことなので、ここでは「先輩」と呼ぶ。

「先輩」と出会ったのは、「先生」の部署で行っていた(自分の休学前では数少ない)講習会でのことである。
「先輩」は全く知らない相手にも物怖じせず話しかけ、すぐに打ち解け、自然と人の輪の中心にいるような人であった。
数回の講習会の後にも交流をしようと、グループLINEを立ち上げたのも「先輩」だった。

個人的に連絡をとるようになったのは、自分が休学する直前に「先生」との飲み会で再会し、その講習会以外にも共通の所属があることを知ったときからであった。

休学中のアルバイトがお休みの日、「先生」の部署の講習会などに行くと、たいてい「先輩」はいた。
周りの学生のことを誰ひとりとして知らず、ひとりで座っている自分を「先生」は意識的に声をかけてくれているようであったが、「先輩」も何気なく話しかけてくれたものだった。
学生同士のグループディスカッションなどあれば、時にはフォローし、時には諫めてくれた。

ひとりぼっちの自分がそれにどれだけ救われたかははかりようもないが、「先輩」はこのことをまったく覚えていないだろう。
しっかりしているようでフラフラしていて、フラフラしているようでしっかりしている人なのである(個人の感想です)(褒めています)。



復学した「浦島太郎」は、このふたりから受け取った"糸玉"を手繰って、大学生活に"帰って"くることができた。

いや、浦島太郎は地上の生活に戻れなかったのだから、ここはテセウスにたとえた方がよいかもしれない。

まぁそんなことはどうでもよくて。
こうして卒業ができたことは本当にたくさんの人のお力添えがあってこそで、そこに順位や優劣は絶対につけられないのだが、やはり自分を「学生生活」という基盤につなぎとめてくれたのは「先生」と「先輩」であったと感じている。

「先生」のいる部署にいけば、とりあえず「先生」がいる。「先輩」もたまにいる。
ひとりぼっちの「浦島太郎」はひとりじゃない。
ここには居場所がある。

そしてその場で「先生」と「先輩」とを通じて、他の学生さんたちと知り合い、職員さんたちとも出会い、たくさんの"地上"のことを教えてもらった。
彼らと講習会などで共に学び、長期休暇には遊びに行ったりもした。

いつしか「先生」と「先輩」がいなくても、自分は「浦島太郎」ではなくなって、ひとりの大学生になっていた。



「浦島太郎」だった自分の学生生活や卒業に「先生」と「先輩」がこんなに重要な役割を果たしていたと、今まで本人たちにきちんと伝えられていただろうか。
そんな思いから「#みんなの卒業式」のテーマとして彼らのことを記事にしたのだが、この感謝の気持ちは筆舌に尽くしがたいということを再認識させられるばかりであった。


「先生」、「先輩」、ひとりぼっちで迷子になっていた自分に居場所をくれてありがとうございました。


勉強していろいろと経験を積んで、いつか自分も「先生」や「先輩」のように誰かに"糸玉"を渡せることが、今の自分の夢です。

そのための勉強をこの春から始めようとする自分のために、また糸端を持っていてくれますか?


ある「先生」と「先輩」へ、限りない感謝と願いを込めて。



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