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人を狂わせるほどの愛【映画】容疑者Xの献身

#映画感想 #邦画 #東野圭吾

【見た映画】

容疑者Xの献身

2008年 

主演:福山雅治

監督:西谷弘

原作:東野圭吾

【はじめに】

”この世に科学で証明できないものなど存在しない”

どこかで聞いたようなセリフです。理系出身の私も、この言葉が真実であると信じたいですし、実際そうではないかと思っています。

本作はこの言葉に多方面から疑問符を投げかけていきます。

本作は

「実に面白い」

というセリフで有名なガリレオシリーズの一作です。

ドラマやアニメの劇場版よりは、映画一本で完結する作品が好きな私は長らく見る機会を失っていたのですが、友人の勧めもあり、ドラマシリーズも未視聴、原作も未読のまま視聴しました。

結果、これまでの自分を恨みました。

映画好きの中でも評価が高いのは知っていましたがここまでとは。

原作、ドラマシリーズの前提が一切なくても十分に楽しめます。私と同じ理由で未視聴の方はすぐにでも見て欲しいと思います。


【簡単なあらすじ】

花岡靖子は娘の美里とアパートに二人で暮らしていました。そのアパートへ靖子の元夫が彼女の居所を突き止め、訪ねてきます。どこに引っ越しても疫病神のように現れ、暴力を振るう元夫を靖子と美里は大喧嘩の末、殺してしまいます。呆然とする二人に救いの手を差し伸べたのは、隣の部屋に住む天才数学者、石神でした。彼は論理的思考によって二人にアリバイ作りの指示を出します。

そして3月11日、旧江戸川の河川敷で死体が発見されます。警察は遺体を花岡靖子の元夫と断定し、花岡母子のアリバイを聞いて目をつけます。ですが捜査が進むにつれ、あと1歩といったところでことごとくズレが生ずることに気づきます。困り果てた刑事は、友人の天才物理学者、湯川に相談を持ちかけます。

すると、驚いたことに石神と湯川は大学時代の友人だったのです。湯川は傍観を通していたが、やがて石神が犯行に絡んでいることを知り、解明に乗り出していきます。


【感想】

緻密で論理的なトリックと、その対極にある人間味あふれる感情とが交差するとても巧妙なサスペンス映画でした。

劇中で仕掛けられるトリック、そして視聴者である私たちにしかけられたトリックの巧妙さもさることながら、やはりそこに”人間の感情”という非論理的なものが深く絡み合っていく様が本作の一番の面白みだと感じました。

特に堤真一さん演じる石神の、無感情に見えながら、内にうごめく複雑で難解な感情が垣間見える様子が恐怖すら感じるほどの狂演でした。

人間の持ち合わせる”愛”の深さ、そしてその深い”愛”が何でもない日常の中で簡単に生まれ、少しのほころびから簡単に崩壊していく。

そんな決して科学では証明できない現象が、人というものをここまで狂わせるのだ。そんなメッセージを感じました。

【考察(※本編の内容を含みます)】

思い込みというトリックというにも及ばないような初歩的なだまし術で、ここまでできてしまうのかと驚愕しました。

序盤から中盤にかけて、石神の論理的思考力の高さや、仕掛けるトリックの巧妙さを見せつけられます。それゆえに、”思い込みを利用するなんて初歩的なことをしないはず”という思い込みを視聴者にさせている皮肉さがなんとも最高です。

物語は「フィクションだし、そういうものか」と思えるほどの些細な疑問をたくさん残しながら進んでいきます。

事件があったことを石神に隠し切ることすらできなかった靖子と、まだ幼い娘の美里が石神の指示があったとはいえ、なぜ自然なアリバイ工作ができ、警察の目も逃れるような自然な演技ができたのか。

河川敷のホームレスの前を歩く描写がここまで詳細に描かれるのはなぜなのか。

いたはずのホームレスの一人がいなくなっていたのは何か関係があるのか。

これら全てが、物語の進行に支障をきたさず、視聴者の中だけで少し気になった点として残り続け、最終的に伏線としてすべて回収されます。

視聴者は伏線が伏線であるということまでは自分で気づくことができていながらも、回収の方法が分からず確信が持てないというギリギリの状況を楽しむことができるのです。

また、その期待感を全く裏切ることのない、美しいまでの回収。これはさすが東野圭吾作品だなといった感じでした。

これら全ての流れが、完璧なまでに論理的に構成されており、そこに不安定な人間の感情というもう一つの要素が乗ることで、物語から受け取れるものは無限の広がりを見せています。

すべての行動、描写に理由があり、結果がある、そんな理路整然としたトリックの根幹に”愛”という感情が存在することで全体が一気に不安定なものになります。

これにより、トリックが解けても最後まで、視聴者と湯川の頭からは「なぜ」が消えないのです。

石神はなぜ靖子に手を貸したのか、なぜそこまでのことができるのか、そこには論理的思考は存在せず、ただ”愛”という証明不可能な感情だけがあったのです。


【おわりに】

”この世に科学で証明できないものなど存在しない”

冒頭にも記載したこの言葉を、私は本作を視聴した今でも信じていたいと思っています。今は難しくても、いつか証明できるものだと信じたいのです。

人間をここまで狂わせる”愛”とはいったい何なのでしょうか?

いつかこの疑問に答えられる時が来ることを信じたいのです。

この物語の含む謎も、本作を見た私の感情もまた、科学では証明できないものになっているのではないかと思います。

いつか本作が投げかけたすべての疑問符が解き明かされることがあるならば、そのときは

「実に面白い」

と湯川に言ってほしいなと思います。


最後までお読みいただきありがとうございます。

では、また。

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