沈黙の季節と帰り道

冬とは沈黙の季節なのだとつくづく思います。特に夜に。

蝉は鳴かず、鈴虫も蛙も鳴かず、風は木枯らしとは対象的に強くとも音はない。乾燥しきった太平洋側の冬には雨は少なく、雪だって静かに地面に降りる。寒いので家も車も窓を締め切り、誰かのはしゃぐ声やご機嫌な爆音のラジオは聞こえてきません。それ以前に寒い夜は車も人も少ないです。
そもそも、「沈黙の季節」といわれてまず思い浮かぶのも私にとっては冬です。

この前学校の帰りに暗くなってから自転車に跨ってまず思いました。
当然遅くまで学校に残っていくと同じく家に帰る下校生徒も少ないので、話し声が聞こえることはありません。それ以前に寒いと少しでも熱を逃がすまいと口元まで防寒具に埋もらせて口を開けようとすらしない人も多いです。耳を澄ましても、特に何という音が入ってくるわけではない。
こんな寒い冬には鼻歌を歌う気分にもなりません。


でも一つだけ、沈黙の冬の夜以外にはなかなか聞けない音が私の自転車からはします。

私の自転車には手元のスイッチを捻ってから漕ぐだけでつくライトをつけてもらっています。ぐいんぐぃんという音をさせながら車輪を2、3回でも転がせばすぐ先がたちまち明るくなります。
ライトがいらないときはスイッチをもう一度捻れば、明るい道を無駄に発電しながら少し重いペダルを漕ぐこともありません。


冬の夜は夏のそれと違って暗いので、私はまずそのスイッチを捻って自転車を漕ぎます。冬は大抵の家が防寒のため雨戸も閉めてしまうので、例え住宅地を通っても街頭の明かりしかまずありません。駅前にはかろうじてイルミネーションが光ったり光らなかったりしている程度の田舎なので、だいたいの道は暗いのです。

私は沈黙の季節の夜の一時を、必ずなんとも形容し難い機械めいた機械の音とともに過ごします。本来年中聞けるもののはずなのに、いろいろな要素のかみ合わせで沈黙の季節だけがその音を私に拾わせるのが、ちょっとおもしろいと思いました。


でも、沈黙といえどわざと音を遮断しているわけでは勿論ないので、必ず音はしているはずなのです。
音もなく吹いた風が木の葉や枝を揺らして、それが擦れる音だとか、遠くに響いた車やバイクの音だとか。

それらの沈黙も等しく愛車のライトに遮られていると思うと、ちょっと残念です。

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